愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

卒論発表会

2017年01月14日 | 卒論
今年度のゼミの卒論発表会を今月13日に実施しました。4年生に個人で卒論の概要を20分の持ち時間で口頭発表してもらい,それに対して,2,3,4年生参加者全員が投票形式で評価しました(4年生は自分以外について)。また,2,3年生にも同時に研究発表してもらいました。3年生の発表は評価対象になりました。

今回最も評価が高かった卒論は瀧本大介「JR名松線の利用者増加に向けての課題」でした。その卒論では,過去20年にわたり利用者を減らし続けている名松線の現状と課題を,利用者データや沿線地域データからあぶり出し,それを踏まえたうえで,利用者増の策を検討しています。定期券による利用者(沿線住民や通勤・通学者)が利用者のほとんどを占める中,観光客を呼び込むため,他路線の成功事例と失敗事例を引きながら,トロッコ列車,レストラン列車,グリーンツーリズムなどの策を導出しています。論旨が単純明解で分かりやすかった点はよかったでしょう。ただし,調査に不十分な点がありました。実現可能性の検討も不十分でした。後輩たちにはそれらを自らの課題として捉えて欲しいと思います。

全体として卒論のレベルは例年通りでした。うまく結論を導き出すロジックが組めなかったものもいくつかありましたが,みな大まかなテーマを狭く絞り込む過程を経てきたことが分かりました。その過程が思考を深める過程であるということができます。卒業を前に,それを4年生がみな経験できたことは重要な教育的意義であると思います。

今回良かったのは発表時の質疑応答です。4年生たちはお互いに,論理のおかしさ,用語定義の不十分さ,目的の不明瞭さを指摘しあいました。例年よりもそのやり取りは活発でした。2年次の頃には満足に質問ができなかったことを振り返ると,随分成長したと思います。

今回ゼミ生間の評価が高かった上位4つにAAの評価を与えることにしました。それは私個人の評価とほぼ同じです。4年生や3年生は評価眼が身についてきたようで,発表内容の論理性や独自性をきちんと捉えた評価ができていました。

3年生にはチームで,名古屋マーケティング・インカレ本大会発表の修正版を発表してもらいました。元々は海外テーマパークの日本市場参入に関する指針を探るというテーマでした。しかし,大きくあいまいであるため,論理性と独自性のある発表をインカレ本大会では満足に展開することができませんでした。本大会では恥をかいてしまいました。そこで,修正を図ってもらいました。結局,彼らは,日本国内にある映画のテーマパークの成功例と失敗例の比較分析というテーマに変更しました。ようやく自分たちなりの,結果の見通せるテーマを見つけ出したようです。やっと知的成長の跡を示したといえます。

2年生には先日論文コンテストに提出したものを修正して,口頭発表してもらいました。2年生の発表は評価対象にはしませんでした。論文執筆,口頭発表をやりきってもらい,その過程で,調査や発表の基礎的方法を学んでもらえばよいからです。うまくテーマが絞れず,焦点の定まらない発表をしてしまいましたが,やりきることが大事。その経過で次年度の課題を見つけ出してくれればよいでしょう。

今月末に商学部学生のためのビジネスカンファレンスにゼミ生全員が参加し研究発表します。全員今回の発表と同じ内容を発表しますが,私からは再度反省と改善を要求します。もう少し粘ってください。
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口癖

2016年08月06日 | 卒論
ゼミの各学年には,夏休み中,きちんと継続して調査や原稿執筆を行うよう,休み前に指示しました。とくに,4年生には卒論を半分程度は夏休み中に書き上げ,秋学期第1回の授業で提出するように指示しました。

4年生にとっては学生生活最後の夏休みです。就職活動が終わっているゼミ生が今年は多い。有意義に過ごして欲しいのですが,できれば社会人になってからではなかなかできないことを手掛けて欲しいと思っています。いつも私は2つのことを推奨します。1つは長期の旅行です。社会人になるとなかなかできなくなります。休みが取れなくなるからです。借金してでも行く価値はあるといつも説きます。もう1つは読書です。落ち着いて読書をする時間的精神的余裕が社会人になると失われることが多いのです。

この読書について,好きな書物をあれこれ読むことに加え,卒論テーマに関連したマーケティングや経営学の教科書や論文を読んで欲しい。企業人になるとビジネス・ノウハウを扱うビジネス書を読む機会が増えると思いますが,教科書や論文などは読む機会が減るでしょう。大学に在籍しているからこそ味わえる経験です。

ところで,いつも学生の研究発表や卒論に対して,論評する時に出る言葉があります。「ほんまに?」「なんで?」の二つ。口癖です。「ほんまに?」は,ゼミ生が根拠の薄弱な主張している時に思わず口にします。確かな根拠で主張を支えるべく再検討するように迫っています。「なんで?」は,ゼミ生が論理性のない話しを展開している時に口にします。現象のメカニズムをきちんと考察するように促しています。

最近ゼミ生に出しているメールを確認したところ,新たな口癖を発見しました。「安直」。一部4年生の卒論計画・構成案に対して,安直!を連発していました。安直なので考え直せという指示をしました。

この安直という言葉を使ったのは,ゼミ生が簡単に仮説を出そうとしたり,思いつきで計画案を書きだしたりしたからです。きちんと関連する文献を読んで,基礎的知識を蓄えてからでないと,論理的に仮説や計画を考え出すことはできないはずなのに,それを省こうとしたので,「安直」と指摘したのでした。

夏休み明け,秋学期第1回の授業で,4年生全員に卒論作成の途中経過を報告してもらいますが,どうなることでしょうか。ここでまた安直な内容だと,「あかん」と言い渡すことになるでしょう。努力の跡が見えると,「まあまあやな」と発するでしょう。「ようやったな!」これは最後まで取っておきます。
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ありきたりのテーマの深堀り

2016年06月17日 | 卒論
4年生で,卒論で広告効果を取り上げる予定のゼミ生がいます。テレビCMのプロモーション効果を考察するというテーマです。つまり,消費者は,テレビCMに対して高い好感を持てば,そのCM対象の製品に対して興味を高め,購買しようと思うかどうか考察するというのです。そしてテレビCMの好感度は出演タレントの好感度に関連するかどうかも考察しようとしています。

CMのプロモーション効果など,いわゆる広告効果は古くて新しい研究テーマです。ありきたりなのかもしれません。しかし,簡単にはその効果があるかないか断定はできません。

この研究はプロモーション効果をどのように規定するかが重要です。効果の次元として,商品の知名度,商品の選好度,商品購入の意向度,販売数量などが考えられます。どれを取り上げるのかによって議論は変わってきます。

また,CM好感度を取り上げる際,それに影響を与える要因まで考察範囲を広げると,議論は深まります。すなわち,CM出演者の属性,内容の種類(イメージ広告,比較広告など),放送のタイミングなどを影響要因として捉えると,それらがどのようにCM好感度に影響を与えるのか考察することです。同様に,CMの受け手側の要因についても考察すると,さらに多様な議論が展開されます。あるいは,製品の種類や属性に着目して,その違いとプロモーション効果との関連を考察することができるかもしれません。そのように議論を広げる中で,オリジナリティーのある論理が展開できるようになるでしょう。

まずは,ゼミ生には,既存研究・関連研究をいくつも探して読んで欲しいと思います。いくつもいくつも存在します。当然の指示ですが,これを徹底して行うことによって,知識が蓄積され,研究上の穴が見えるようになります。そこから上記のような次元や要因に関する議論を自分なりに整理してください。そのつぎに,仮説を立て,検証ができるかどうか検討してください。

テレビCMのプロモーション効果は古いテーマですが,メディア環境が激変する現在,企業においても消費者においてもCMの位置づけは変わってきています。したがって,それを学生なりの新鮮な目で再検討する意義はあります。難しいテーマで,マーケティングを一から勉強し直すことになるかもしれませんが,是非,面白い卒論を仕上げて欲しいと思います。


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卒論テーマ吟味

2016年05月21日 | 卒論
今月,ゼミ4年生には卒論テーマを順番に発表してもらっています。就職活動が佳境に入っていますが,卒論のテーマを春学期中にきちんと考察しておかないと,12月の締め切りに間に合わなくなるので,今頑張ってもらっています。

教務課に7月初旬に卒論テーマを提出することになっています。その時には,卒論のタイトルを入力すればよいので,そのことのみに備えるのならば,今はタイトル考案で済ませればよいということになります。しかし,12月までにきちんと書ける見通しを立てたうえで,タイトルを提出しなければなりません。もし提出後うまく書けないということになれば,秋学期にタイトルの変更が必要になりますが,それは学部では原則認められていないのです。

ゼミで今4年生に求めているのは,タイトルに加えて,仮結論,目次,調査方法,研究意義の概略です。これらがきちんと説明できれば,執筆見通しを立てることができます。

仮結論は重要ですが,これは調査の進展によってどんどん変わってきます。それでよいのです。簡単に結論が出るのならば,わざわざ半年以上かけて卒論に取り掛かる意味はありません。しかしながら,変わるからといって,仮結論がなければ,進むべき方向が定まらないことになります。

まず,関係する文献をきちんと読むことが大事です。本を1冊2冊読む程度では全く不十分。本を何冊も,論文や雑誌の記事を何十本も読み進めます。そうすると,自分が取り上げようとしている研究領域において,どんなことが既に明らかになっているのか,今どのような社会現象が起きているのかが分かってきます。さらに,それら文献の内容をうのみにするのではなく,それらが明らかにしていない点や不十分な検討に終わっている点を見つけ出します。いわば穴を見つけるのです。そうすると,その穴が追い究めるべき課題になるのです。それをどのように解決するのか考察すると,結論の見通しが立ちます。そして,その解決策を考える際,情報の収集方法を悩んでみると調査方法が浮かび上がります。文献調査を進めるのならば,どの文献を探すのか。文献調査では解決が図られないのならば,アンケートやヒヤリングなど一次情報の収集を企図することになります。

つぎに重要なのが目次です。本と同じように,卒論にも目次が存在します。目次は構成案です。なぜ重要なのかといえば,目次は設計図になるからです。設計図がないまま家を建てることはありえないように,目次がないまま卒論を執筆することもありえません。

設計図としての目次をきちんと定めておくことは,執筆の効率化につながります。目次があって,全体像が決まっていれば,卒論は1ページ目から書き始める必要がないのです。第3章を先に書いて,つぎに第2章の第2節途中まで仕上げ,第4章に取り掛かりながら,第1章を書くということができます。設計図があるので,順序を外して書いても,きちんと後に内容をつなぎ合わせることができます。卒論が書けないと騒いでいるダメな学生の振る舞いを見ていると,たいてい1ページ目から書き始めています。最初の部分はテーマや問題の設定を説明しますが,それがうまく書けないので,先に進まないのです。目次が定まっていれば,書きやすい部分から書いていけばいいのです。ただ,理解しておいて欲しいのは,執筆の初期段階に決めた目次は,思考が深まるにつれ修正することになるということです。後に修正するのなら,目次は不必要かといえば,そうではありません。仮のものでも設計図があれば,それが方向性を示してくれるのです。そして,執筆途中で,論理に矛盾がないか,無駄がないか,不足部分がないかを振り返る指針になります。もし,目次そのものが論理上無理があると気づけばそれを修正します。目次がなければその気づきすらないでしょう。

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ビジカン問題点

2016年02月05日 | 卒論
第1回のビジカンは無事終了しました。先日指摘した運営上の問題点は、比較的容易に解決すると思います。重大な問題は、発表内容とその学生評価(投票)というイベントの根幹部分にあります。

今回、多くの4年生が卒論の内容を発表しました。教員から見ると、文献の渉猟、アンケート等の一次データ収集という点で、2、3年生の発表よりも総じてレベルが高い。にもかかわらず、卒論に対する学生からの評価が概ね低い。大半が低い得票でした。投票によって優秀賞に選ばれた卒論がありましたが、もっと良い卒論があるはずなのに、なぜそれらが高評価なのか不可思議。

閉会式で発表にかかわった先生方からコメントをいただきましたが、複数の先生から「我々の目と、学生の目は違っている。皆さんが優秀だと評価した発表の中には、我々が評価していないものがある」という指摘がありました。私も同様の指摘をし、「多くの4年生の卒論に対する得票が低いのは残念。4年生が伝える努力を怠ったことが原因の一つであるが、評価する学生の目が養われていないことも原因の一つである。今後の課題としたい」と話しました。

結局、自分たちに身近で、分かり易い発表は「良い」発表であると捉え、理論考察やデータ処理のような自分たちに難解な部分がメインの発表は「良くない」発表であると判断してしまったのでしょう。あるいは、自分たちに未知の分野は評価を回避したのかもしれません。投票用紙に評価のポイントを記述しましたが、それを学生たちは理解しなかったということです。

学生が研究発表に対する十分な評価眼を持たないという問題点は、私は過去10年間ずっと認識してきました。今回はそれが顕著に現れてしまったと思います。今回は、参加学生のモチベーションを上げるため、事前想定の4つよりも多くの学生投票による優秀賞を出しました(7つ)。しかし、本音を言うと、出しすぎたと思っています。2、3年生が今回の評価を参考に「こんなレベルでいいのだ」と高をくくって、次年度の卒論や研究発表に対する取り組みを進めてしまうのは、大変よろしくありません。次年度は4月からビジカンの準備を始め、できれば春学期中に中間発表会を実施したいと思っていますが、その時にきちんと参加学生の評価眼を養う工夫が必要であると強く感じています。また、不正が疑われる投票があったので、その防止も考慮して、投票方法も改善するつもりです。

ここで、うちのゼミの卒論を振り返ります。半数以上が一次データによって仮説検証を行っています。また残りは、ケーススタディーによってマーケティング上の原則導出を試みています。例年並みだったと思います。調査をきちんとやった上で、独自の見解を示すのが、卒論の基本であると過去散々諭してきましたので、それを受けとめてくれたようです。

ただし、つぎの大きな欠点があります。どれも理論検討が薄いのです。マーケティング論や経営学に関する様々な理論を用いて、「なぜそのことが起きたのか」について分析をするという努力が足りない。あるいは、仮説を導出する際に十分に理論に触れていない、ケーススタディーが物語の記述にとどまってしまった。3年生には、この反省を踏まえて、次年度卒論で理論を正面から取り上げてほしいと思います。

今年度ゼミの運営で良くなかったと反省しているのが、恒例の全学年参加の卒論発表会を行わなかったことです。ビジカンに参加するので、時間的余裕がないという判断から、卒論発表会を見送りました。しかしながら、2、3年生たちは卒論を今後どのように進めるべきなのか、4年生の反省から学ぶ機会を持てなくなりました。次年度は、ビジカンとは別に卒論発表会を開催する予定です。
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新企画

2015年11月05日 | 卒論
うちのゼミ4年生ゼミ長の牧田君を実行委員長として、愛知学院大学商学部の学生有志が、研究発表会「ビジネスカンファレンス」略してビジカンを企画しました。来年1月30、31日に名城公園キャンパスにおいて開催します。これはポスター形式による研究発表コンテストです。ビジネスに関する研究発表ならば何でもOK。参加学生は、演習、実習、卒論の成果をポスターに託して、発表します。それに対して、学生や教員が投票によって評価します。上位者は表彰されます。

そもそもこれを企画した背景は、学生の卒論に対する取り組みのモチベーションを高めるためです。うちの学部の場合、卒論はゼミ(演習)において指導されます。ゼミの単位認定者である担当教員によってゼミごとに卒論の評価がなされます。それは当然のことですが、それだけでは学生の卒論執筆に対するモチベーションは上がりません。なぜならば、少人数で2年半にわたって続くゼミにおいて、学生は教員に対して甘えの感情を持つからです。「とりあえず、字数等の形式要件さえ満たせば、先生は単位はくれるだろう」と高をくくって取り組む学生が多くみられます。もちろんほとんどの担当教員はきちんとした指導を行っていますが、学生が甘えの感情を持つと、指導がなかなか実を結ばないのです。

したがって、ゼミの外で評価される機会を設けることが必要になります。ゼミの担当教員や仲間以外に、発表内容を確認され、評価されると、学内であっても、学生は緊張感を持つことになるでしょう。ということを私はずいぶん前から学部内で提案してきましたが、無視されるか批判される以外の反応を得ることはありませんでした。

そこで、ゼミ生に直接声をかけてみたのです。そうしたら、ゼミ生自身も、現状の卒論評価について物足らなさを感じていたことが判明したのでした。ゼミ内の評価だけでは頑張り甲斐がないというのです。そして、学生主体の研究発表コンテスト主催を決意してくれました。学部の他のゼミ(中野ゼミ等)にも声をかけたところ、賛同者が現れ、実行委員会を組織し、このたびようやく開催できることになりました。

このコンテストでは、ポスター発表という形式をとります。なぜこうなったかというと、学生の研究発表でよく採用される口頭発表によるコンテストに対して、学生たちは不満を持っているからです。口頭発表、いわゆるプレゼンによる発表では、内容よりもプレゼンの巧みさによって評価が左右されがちです。卒論というのは文章表現した成果なので、それを中心とした発表コンテストは、しっかりと内容を評価する形式にしたいという学生の強い思いが、ポスター発表を選択させました。また、ポスター発表では、一度に多くの発表を展開することができことも重要点です。

卒論を焦点とした発表コンテストですが、それだけでなく、学生として個人やチームが、ビジネスに関して研究した成果ならば何でも発表してよいことになりました。うちのゼミでは、2年生、3年生にも研究発表してもらう予定です。そこで、ポスター発表の方法とコンテストの運営を学んでもらいたいと思います。
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いうまでもなく卒論は重要

2015年05月16日 | 卒論
下の記事は,多くの私立大学社会科学系の学部では,学生のゼミ所属率が低く,卒論が必修でない例が多いことを問題視しています。

私はかつて,とあるマンモス私立大学の教育学部で,教育心理学を専攻していました。そこでは,卒論は必修でした。しかも,提出後は口頭試問(面接試験)が課せられました。その評価は,指導の先生(主査)に加え,他の先生(副査)も加わって行われました。卒論がきちんと書けるように,2年次から研究の方法論を学ぶことができるカリキュラムが組まれていました。ところがその母校の商学部では,卒論はゼミ論という名称で,ゼミ単位での提出と評価にとどまっていました。しかも,学生のゼミ所属率は50%程度でした。母校商学部に設置された大学院研究科に進学した時に,私はその状況を知り驚いたことを思いだします。まさに記事の通りでした。

なお,どこの大学でも,心理学系の専攻では,私が受けたような措置は普通のことのようです。人文科学系の他の専攻でも卒論が必修なのは珍しくありません。私立大学社会科学系学部の教育が特異なのかもしれません。

愛知学院大学商学部はどうなっているかといえば,赴任当初,学生のゼミ所属率は60%程度でした。卒論はゼミ内での評価にとどまり,学部において,研究の方法論や卒論執筆の作法を教える科目や機会はありませんでした。母校の商学部と同じ状況にありました。その後,本学商学部では,学生定員が大幅に減少したため,ゼミ所属率が上がり,今は90%程度になっています。その点では改善が見られています。ただし,今なお,学部のカリキュラム上,研究の方法論や卒論執筆の作法を教える科目や機会はありません。また,学部全体での提出後のプレゼンテーションや口頭試問の機会もありません。大半のゼミでは教員がきちんと指導していると思いますが,学部全体で上手に学生に卒論を書かせ,それを評価する仕組みがないため,士気が上がらず,何か本を写せば卒論になると思っている学生が存在しています。この点に改善の余地を残しています。

ともかく,卒論の重要性は昔から指摘されてきました。様々大学改革の施策が導入されても,これに変化はありません。研究活動が中心にあり,自学自習が基本である大学教育のあり方を典型的に表しているのが卒論です。改めてゼミ生にはその重要性を諭して行きたいと思っています。そして,ゼミ内で閉じた評価を行わず,私に加えて他の教員の評価も加える工夫や,体系だった執筆の方法論を学ぶ機会を設けていきたいと思っています。

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大谷大学は2万字の卒論が必修です。授業での教員向けや学生同士のプレゼンテーションで評価されたり、卒論提出後は教員の前で口述試問もあります。「大学なんだからそんなことは当たり前だ」と思う人も多いでしょうが、そうでない大学も沢山あります。

ある高偏差値のマンモス私大の社会科学系学部の先生は私に、「ウチがゼミや卒論が必修でないのは、学生の多様なニーズに応えたものだ」とおっしゃいました。一理あるでしょう。しかし、その学生が数百人で黙って講義を聞くだけの「経済学入門」だけで卒業していいのでしょうか?

学生時代に大講義を黙って聞くだけの学生生活を送っても、有名私大の文系学生は、受験時の基礎学力は高いため、割と良い会社に就職できます。でも、ゼミに所属せず、卒論を書かず、恩師と呼べる大学教員に一人も出会わない大学生活を送ることは、あまりにも空しくないでしょうか。

天下の慶應義塾大学経済学部でも、専門ゼミ所属率は6~7割です。言うまでもなく一橋は必修です。慶應では、「ゼミに入らなくても附属出身者は就職に強い」なんて話もありますが、望んでも入れなかった「ゼミなしっ子」は、入ゼミ生と比べて就職実績が劣ると内部の関係者に聞きました。

ある名門私大の経済学部長は、FD講演会で私に、「ゼミに入っていない50%の学生の就職など知らん」と言い放ちました。しかしそもそも、在学生の50%しかゼミに入れない仕組みを作り出したのは、当の大学側なのです。それならばいっそ、入学定員も半減させるべきでしょう。

今、スーパーグローバル大学を含む、多くの大学が取り組んでいる「グローバル化」は、英語の授業や留学制度の充実であり、必ずしも学部教育の水準がグローバル化しているわけではありません。大講義を一方的に聞くだけで卒業して、どこがグローバル水準の学部教育なのでしょう。

教員も事務作業や入試業務で疲弊し、教育・研究に時間を割けない大学の、どこがグローバルなのでしょう。もうお気づきでしょう。「自分たちはグローバルだ」と国内に向けて言っているのは、「日本はすごい」「日本は世界から認められている」と自分で言っている本やテレビ番組と同じなのです。

(山内太地 BLOGOS 2015年05月12日)
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テーマ探し

2015年05月08日 | 卒論
今ゼミ生たちは,研究テーマ設定に頭を悩ませています。特に,4年生は卒論テーマが決まらずに,「どうしよう,どうしよう」とうめいています。そこで,卒論テーマ探しに参考になりそうな本を紹介しましす。

サンキュータツオ『へンな論文』(角川学芸出版)がその紹介本です。「珍論文ハンターのサンキュータツオが,人生の貴重な時間の多くを一見無駄な研究に費やしている研究者たちの大まじめな珍論文を,芸人の嗅覚で突っ込みながら解説する,知的エンターテインメント本! 」という推薦文がインターネット上に載っています。

それでは,サンキューさんが面白いと感じた,つぎのような論文を紹介・解説しています。
「奇人論序説――あのころは『河原町のジュリー』がいた」
「行動伝染の研究動向――あくびはなぜうつるのか」
「傾斜面に着座するカップルに求められる他者との距離」
「走行中のブラジャー着用時の乳房振動とずれの特性」
「男子生徒の出現で女子高生の外見はどう変わったか」
「コーヒーカップとスプーンの接触音の音程変化」
「オリックス・バファローズのスタジアム観戦者の特性に関する研究」

題名からして何これ?という印象を与えてしまうものもありますが,基本的には,身近に起きた現象に関する疑問に対して,答えを見つけ出そうとする論文ばかりです。

例えば,「傾斜面に着座するカップルに求められる他者との距離」という論文は,公園の斜面にカップルが座っているのを身近に見るが,他のカップルが存在する場合,当該カップルはそれとどれくらい距離をとって座るのか,どんな姿勢でいるのか,密着度はどれくらいか,それらを調査してみようという研究です。

この調査のため,研究者は,何日もかけて,港の桟橋に通い,カップルを装いながら,352ものカップルたちの座っている位置や行動を観察し,記録しています。

そんな調査にどんな意味があるのかと思いますが,以上の調査によって,心地良いカップルの空間のあり方を考察することができるというのです。それは,商業施設や公共施設の設計に参考になる可能性があります。人にはパーソナルスペース(不快に感じる人と人との間合い)というものがあります。私たちに身近な公園のカップル。その生態をパーソナルスペースから読み解こうとしているとも言えます。

文中,「美しい夕景を見たとき,それを絵に描く人もいれば,文章に書く人もいるし,歌で感動を表現する人がいる。しかし,そういう人たちのなかに,その景色の美しさの理由を知りたくて,色素を解析したり構図の配置を計算したり,空気と気温を計る人がいる。それが研究する,ということである」という表現が出てきます。まさに,研究者の心性を言い当てています。何か身近に不思議に感じたことを見つけ,それに対して,なぜそんなことが起きるのかという疑問が生じたならば研究は始まります。その疑問に未だ十分な答えがないときに,答えを自分なり見つけ出そうと考え,調査や思索にとりかかったならば,研究活動に従事していることになります。

役に立つとか,高く評価されるという考えはひとまず置いておいて,疑問と情熱に引っ張られて調査をする,これが大事です。上記の紹介論文はおそらく学会の主流からは外れているでしょう(門外漢なのであくまで想像)。それでも,純度の高い情熱が詰まっていると評されています。

なお,著者のサンキュータツオさんは,早稲田大学大学院博士後期課程で日本語学を専攻した経歴を持ちながら,芸人をしている方です。研究とお笑いを理解するサンキューさんが,研究とは,研究している本人が一番ノリノリで興奮している,エンターテイメントだと評しています。まずは,ゼミ生には,『へンな論文』を読んで,学問を面白がって欲しいと思います。

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卒論

2015年01月14日 | 卒論
1月9日の補講日に,卒論発表会を開催しました。ゼミの2年生,3年生,4年生,一部卒業生が出席しました。4年生の卒論発表に対し,全出席者が100点満点で評価をし,その合算によって,優秀卒論を選びました。

今回選ばれたのは,サロン・ド・マルシェの活性化をテーマにした牧野杏梨の卒論です。サロン・ド・マルシェは八事興正寺で毎月1回開催されている定期市です。その活性化への助力を主催者から当方に依頼されたため,うちのゼミ3年生中心に関わってきました。毎回90ほどの出店者が集まり,2千人を超える来場者を数えるマルシェに対して,牧野は3年生と一緒に何度もフィールド・リサーチを行い,活性化策を考察してきました。

マルシェが生産者と消費者が直接つながることを目指し,こだわりの商品について対面販売で提供することをコンセプトにしていることから,卒論ではその利点を活かすことを模索しています。行き着いた策が,来場者の買い上げ率を引き上げるために,出店者による対面販売において,来場者にライフスタイル提案を行うことです。具体的には,店舗間相互の商品紹介,店舗をまたいで扱い商品を組み合わせた調理の提案などです。地道な努力をゼミ生たちは評価しました。

この卒論の改善点を昨日ゼミ2年生に聞いたところ,彼らは活性化策の実現可能性の検討が弱い点を指摘しました。また,フィールド・リサーチにおいて,出店者による対面販売の実態,来場者による対面販売の評価などの調査が不十分であるため,活性化策の必然性が明確ではないという指摘もありました。

私は2年生に「今度は自分たちの問題としてその指摘を受け止めて欲しい」と述べました。自分たちが他人に対して行ったその指摘を,自分たちが今後同じような調査研究を行う時の教訓として,受け止めて欲しいという趣旨です。

卒論の執筆に対して,4年生には何度も反省と改善を求めてきました。反省と改善が個人の成長をもたらすと信じています。つぎには,反省と改善を個人の問題とせず,ゼミ全体の教育に昇華させていく必要があると感じています。4年生の反省と改善は,3年生や2年生に引き継がれ,教訓として,思考にしみこませていく必要があると思うのです。

なお,4年生の卒論発表の後,当日3年生の一部に研究発表を行ってもらいました。名古屋マーケティング・インカレを辞退した学生にゼミの単位を取得させるための課題です。これらの発表に対しても,全出席者に卒論と同様の方法で評価してもらいました。評価は低く,あらかじめ設定した合格点を獲得できなかったものもありました。全部聞き終えた後の私の感想は,「間に合わせだな」というものです。やはり,こういうものはやらない方がいいと感じた次第です。発表者にとっては,温情だという受けとめか,厄介事だという認識しか出てこないからです。来年度のゼミの運営を反省することになった新年です。
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もうすぐ締め切り

2014年11月19日 | 卒論
卒業論文締切まで1か月を切りました。もう80%程度の完成を見せている必要があるはずですが,現4年生たちの原稿を見た限りまだまだといったところです。

今年度,ゼミの4年生は5名しかいません。そのためか,あまり私ががみがみ叱らなくても,黙々と作業を進めてくれているようです。今年度の卒論テーマはつぎようなものです。

ビールにおけるロングセラー・ブランドを複数とりあげ,それらのケース・スタディーから,ロングセラーの原則を導き出す。

佐賀県呼子朝市を取り上げ,フィールド・リサーチを通して,その集客要因と問題点を導出する。

購買者の冷凍食品パッケージに関する情報処理過程について,購買者に対するインタビュー・データをテキスト・マイニングすることによって明らかにする。

ドン・キホーテにおける非計画的購買の生起要因を,買い物客に対する深層インタビューから導き出す。

八事興正寺におけるマルシェを取り上げ,フィールド・リサーチを通じて,その販売方法の改善策を提案する。


それぞれの興味関心にしたがって,テーマを見つけてきたわけですが,きちんと先行研究を読み,それに基づいて,もしくはその批判に立って卒論研究を進めるという,ゼミの基本方針は守ってくれたようです。また,データ収集の努力を惜しまないという方針も守ってくれています。数冊の本を読んで,それらをまとめて(悪くいうと引き写して)終わりという安直な卒論はなくなっているので,その点では今年も良かったなという感想です。

ただ,自分なりの主張を展開するという点では,不十分です。4年生たちは,今月に入ってから,結論が定まらないと騒いでいます。

毎年出てくる問題ですが,いつも私が口にするのは,焦点を狭く絞ることです。独自の主張というと,何か大それた提言をしなければならないと学生は思いこむようです。しかし,大きなテーマのもとの大それた提言は,ありきたりの抽象的な言葉の羅列になってしまうことが多いのです。独自の面白い主張を学生ができることはほとんどないでしょう。

研究範囲の一部を取り上げ,それを掘り下げてみることをいつもアドバイスします。とにかく「小さく,狭く」していくのです。そうすると,考慮すべき要因が少なくなり,処理がしやすく,要因間の関係が明瞭になります。その結果,独自の主張がひょいと出てくるようになります。

なお,最近,学生が自由に使えるコンピュータ室を訪ねてみると,卒論執筆中の4年生たちであふれかえっていました。その会話を聞いてみると,「字数が8千までいった。あと1万2千だ」「字数増やすのに,本をここからここまで書き写すよ」という字数稼ぎの話ばかりです。文章の論理性や主張の独自性を議論する学生を見ることはなかなかありません。こういう雰囲気を変えていかないと大学の教育改善にはならないでしょう。

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