先日ゼミの時間、複数のゼミ3年生グループが研究発表のためのテーマを披露しました。漠然としたものばかりです。その中の一つに、「近年生鮮食料品の価格変動が大きくなってきているので、それを平準化するためのマーケティング上の方策を考察する」というものがありました。
それに対して4年生が「本当に価格変動が大きいのかデータを示してほしい」と指摘しました。さらに「どうなれば変動が大きいといえるのか」と変動を規定する基準や要因を求めました。
その後、私は研究発表で常に念頭に置かなければならない言葉として、「ほんま?(本当?)」「なんで?(なぜ?)」を諭しました。多くの学生たちは、本、雑誌、インターネットに書かれた意見をうのみにして、そのまま自らの研究発表やレポートに盛り込みます。また、特定の現象を改善するための戦略を自ら導くと表明しながら、その現象がなぜ生じたのか自分なりに原因を捉えようとしません。
自分が参考にした意見や自らの主張について本当にそう言えるのか、根拠はきちんとそろっているのか、「ほんま?」と発して、深く考えなければ説得力のある説明にはなりません。「なんで?」と発して、取り上げた現象の原因やメカニズムをとらえなければその改善や戦略提案の糸口を得ることはできません。そうでなければ、ただの思い付きを表明するにとどまります。
4年生はそもそも価格変動は悪いことなのかと指摘しました。価格は需要と供給のバランスを図るための重要情報です。価格の変動は需給の調整のためには不可欠であるという考え方が存在します(実際、必修科目の経済学の初歩でゼミ生はそう習っている)。これを踏まえて、3年生が掲げたテーマの研究上の意義を問いかけた訳です。もちろん価格の平準化には意義がありますが、3年生はそれを深く考えてはいませんでした。この研究意義についても、「意味ある?(意義はあるか?)」と発して深く考えてほしいのです。
研究テーマを設定することは、研究発表上最も難しい事柄です。研究テーマが決まれば、研究発表は半分完成したも同然なのです(少なくとも社会科学において)。この先数か月3年生たちは悩み続けるでしょう。徹底して悩み続けてほしい。こちらから助け舟を簡単には出しません。それがゼミ生たちの頭を鍛えることになるからです。
それに対して4年生が「本当に価格変動が大きいのかデータを示してほしい」と指摘しました。さらに「どうなれば変動が大きいといえるのか」と変動を規定する基準や要因を求めました。
その後、私は研究発表で常に念頭に置かなければならない言葉として、「ほんま?(本当?)」「なんで?(なぜ?)」を諭しました。多くの学生たちは、本、雑誌、インターネットに書かれた意見をうのみにして、そのまま自らの研究発表やレポートに盛り込みます。また、特定の現象を改善するための戦略を自ら導くと表明しながら、その現象がなぜ生じたのか自分なりに原因を捉えようとしません。
自分が参考にした意見や自らの主張について本当にそう言えるのか、根拠はきちんとそろっているのか、「ほんま?」と発して、深く考えなければ説得力のある説明にはなりません。「なんで?」と発して、取り上げた現象の原因やメカニズムをとらえなければその改善や戦略提案の糸口を得ることはできません。そうでなければ、ただの思い付きを表明するにとどまります。
4年生はそもそも価格変動は悪いことなのかと指摘しました。価格は需要と供給のバランスを図るための重要情報です。価格の変動は需給の調整のためには不可欠であるという考え方が存在します(実際、必修科目の経済学の初歩でゼミ生はそう習っている)。これを踏まえて、3年生が掲げたテーマの研究上の意義を問いかけた訳です。もちろん価格の平準化には意義がありますが、3年生はそれを深く考えてはいませんでした。この研究意義についても、「意味ある?(意義はあるか?)」と発して深く考えてほしいのです。
研究テーマを設定することは、研究発表上最も難しい事柄です。研究テーマが決まれば、研究発表は半分完成したも同然なのです(少なくとも社会科学において)。この先数か月3年生たちは悩み続けるでしょう。徹底して悩み続けてほしい。こちらから助け舟を簡単には出しません。それがゼミ生たちの頭を鍛えることになるからです。