最近,ファーストリテイリングの柳井正氏が,日本経済新聞の卒言直言で,「1年生に内々定,その意味は 大学変えねば日本は沈む 」という記事を書かれている。
柳井氏の主張は、大学は社会の要請に応えていない。もっと社会の役に立つ人材を輩出せよ,そのために教育力を磨け,ということである。柳井氏に限らず,実業界が大学教育に求めるものは,生徒にもっと役立つことを沢山詰め込んで欲しいということだろう。
ところが,現在の大学教育では,(直接的には)全く役に立たないことを,ほんの少ししか教えていない。そもそも大学の授業,1コマ90分半期15回の授業で伝達できる知識など高が知れている。大学では役に立たないことについて,ほんの少しばかり教えているだけである。必然的に授業で教えられる知識など高が知れているのである。実際、自分の学生時代を振り返っても、先生の講義や演習から得た知識は、自習して得た知識に比べ圧倒的に少ない。 柳井氏のような実業界の方々からお叱りを受けるのも当然のようにも思える。
もっと世の中に直接役立つことを,パワーポイントなどの最新のプレゼンテーションを使って,数十倍の速さで教えたら,どんなに素晴らしい教育効果が得られるだろうかと思う人も多いだろう。
しかし,これは実際には,ほとんど機能しないだろう。それは何故かというと,東大などトップレベルの大学の学生でも,ほんの一握りの学生しか,自分でどんどん学習してゆく能力がないからである。
それは何故かというと,自発的に学習する学生であっても,自分がきちんと理解しているのか,それとも理解が不十分であるのか,ということすら分かっていないことが非常に多いからである。自分で分かっているつもりでも、全然分かっていないことが非常に多いのだ。
実際、学生に「それは何故ですか?」と訊くとほとんど答えられないことが多い。「そう習いました」「それは公式です」「そう教科書のここに書いてあります」といった答しか学生が持っていないことが多い。物事を自分で考え,自分なりの分析を加える思考力が欠如しているのである。
私の目指す大学教育とは、生徒に自立して考える力を身に付けてもらうことであり,そのために,「それは何故ですか?」という質問を繰り返しているのである。
従って,私が柳井氏の問いかけに,答えるとしたら,「急がば回れ」と答えるしかない。なぜなら,こうした迂遠にも見える方法が,柳井氏の求める「自分で考えて、自分で結論を出して実行できる人材」を生み出す一番よい方法だと考えるらである。仕事ができる有能な人材とは,学習能力の高い人材,ということではないだろうか。
(アゴラ 2013年 1月13日)
以上はある大学の数学教員が書いた記事の要約です。私が日頃考えている大学教育のあり方と関連するので,引用しました。最近は,FDが重視され,学生にとっての分かりやすさが何より教育上重要になってきています。そして,実学指向が強まっています。「役に立つ知識」を,「動き」のある方法で教授することが大学教育のあるべき姿であるという考え方が蔓延してきました。
商学部のようなビジネス系学部では,企業と連携して,現場の実習,ビジネスプラン立案,ビジネスケースの分析などを組み込んだ授業が,優れた教育の例として,もてはやされています。
もちろん私も,分かりやすさの重要性,「役に立つ授業」の良さは理解します。自分の授業の参考にしています。しかし,大学で学ぶ意義を考えてみると,学生が分かりやすい授業を受けて知識を覚えることや,「役に立つ授業」が大学教育の中心になることはおかしいと思っています。大学は,研究者が教員になり,教員の研究活動に学生を巻き込んで行くことが期待されています。大学教員になるためには,教員免許は必要なく,その代りに,研究業績が求められる点から考えても,研究が教育の中核にあることは明らかです。
大学に在籍している以上,学生は大学らしい学びにきちんと関わるべきだと思います。それは,研究者である教員の指導を受けて,学生が研究活動の一端を体験することです。そして,「なぜ」の探究を行うのです。学生が知識を覚えるための分かりやすい授業は,大学以外の教育機関でも受けることができます。また,ビジネスプランの立案は企業に勤めれば体験できるでしょう。
Researcher-Like Activity という考え方があります。東京大学の市川伸一先生が提唱された教育手法です。これは生徒や学生に,研究者活動の縮図のような活動を体験してもらうことで,学問的探究の面白さを体感してもらい,勉学モチベーションを高めることを狙う手法です。研究発表のみならず,論文査読,シンポジウム開催,講演などを経験させることなど様々な活動が含まれます。
研究者の探究活動は,人の本来的な興味・関心に根差しているので,探究的態度を形成しやすいといえます。科学研究は文化的意義が認められているので,それを体験することは文化の継承にもつながります。何より,研究者の活動には,因果関係の推論,論理的な主張,批判的吟味など,市民活動に不可欠な要素を含んでいます。
Researcher-Like Activity は,将来社会人として活躍する学生には,「頭の使いよう」という基盤を形成するために極めて重要な教育手法だと思います。
ただ,これは特殊な手法ではありません。大学にとっては当たり前のことをやるだけのことです。わざわざこの重要性を主張しなければならないのは,学生の学力低下や短期的な教育効果を求める一部世論のため,大学自身が本来の姿を見失いかねないからです。
学生の学力低下に適応し,教育の効果の見えるResearcher-Like Activity のあり方を模索する必要があるようです。
柳井氏の主張は、大学は社会の要請に応えていない。もっと社会の役に立つ人材を輩出せよ,そのために教育力を磨け,ということである。柳井氏に限らず,実業界が大学教育に求めるものは,生徒にもっと役立つことを沢山詰め込んで欲しいということだろう。
ところが,現在の大学教育では,(直接的には)全く役に立たないことを,ほんの少ししか教えていない。そもそも大学の授業,1コマ90分半期15回の授業で伝達できる知識など高が知れている。大学では役に立たないことについて,ほんの少しばかり教えているだけである。必然的に授業で教えられる知識など高が知れているのである。実際、自分の学生時代を振り返っても、先生の講義や演習から得た知識は、自習して得た知識に比べ圧倒的に少ない。 柳井氏のような実業界の方々からお叱りを受けるのも当然のようにも思える。
もっと世の中に直接役立つことを,パワーポイントなどの最新のプレゼンテーションを使って,数十倍の速さで教えたら,どんなに素晴らしい教育効果が得られるだろうかと思う人も多いだろう。
しかし,これは実際には,ほとんど機能しないだろう。それは何故かというと,東大などトップレベルの大学の学生でも,ほんの一握りの学生しか,自分でどんどん学習してゆく能力がないからである。
それは何故かというと,自発的に学習する学生であっても,自分がきちんと理解しているのか,それとも理解が不十分であるのか,ということすら分かっていないことが非常に多いからである。自分で分かっているつもりでも、全然分かっていないことが非常に多いのだ。
実際、学生に「それは何故ですか?」と訊くとほとんど答えられないことが多い。「そう習いました」「それは公式です」「そう教科書のここに書いてあります」といった答しか学生が持っていないことが多い。物事を自分で考え,自分なりの分析を加える思考力が欠如しているのである。
私の目指す大学教育とは、生徒に自立して考える力を身に付けてもらうことであり,そのために,「それは何故ですか?」という質問を繰り返しているのである。
従って,私が柳井氏の問いかけに,答えるとしたら,「急がば回れ」と答えるしかない。なぜなら,こうした迂遠にも見える方法が,柳井氏の求める「自分で考えて、自分で結論を出して実行できる人材」を生み出す一番よい方法だと考えるらである。仕事ができる有能な人材とは,学習能力の高い人材,ということではないだろうか。
(アゴラ 2013年 1月13日)
以上はある大学の数学教員が書いた記事の要約です。私が日頃考えている大学教育のあり方と関連するので,引用しました。最近は,FDが重視され,学生にとっての分かりやすさが何より教育上重要になってきています。そして,実学指向が強まっています。「役に立つ知識」を,「動き」のある方法で教授することが大学教育のあるべき姿であるという考え方が蔓延してきました。
商学部のようなビジネス系学部では,企業と連携して,現場の実習,ビジネスプラン立案,ビジネスケースの分析などを組み込んだ授業が,優れた教育の例として,もてはやされています。
もちろん私も,分かりやすさの重要性,「役に立つ授業」の良さは理解します。自分の授業の参考にしています。しかし,大学で学ぶ意義を考えてみると,学生が分かりやすい授業を受けて知識を覚えることや,「役に立つ授業」が大学教育の中心になることはおかしいと思っています。大学は,研究者が教員になり,教員の研究活動に学生を巻き込んで行くことが期待されています。大学教員になるためには,教員免許は必要なく,その代りに,研究業績が求められる点から考えても,研究が教育の中核にあることは明らかです。
大学に在籍している以上,学生は大学らしい学びにきちんと関わるべきだと思います。それは,研究者である教員の指導を受けて,学生が研究活動の一端を体験することです。そして,「なぜ」の探究を行うのです。学生が知識を覚えるための分かりやすい授業は,大学以外の教育機関でも受けることができます。また,ビジネスプランの立案は企業に勤めれば体験できるでしょう。
Researcher-Like Activity という考え方があります。東京大学の市川伸一先生が提唱された教育手法です。これは生徒や学生に,研究者活動の縮図のような活動を体験してもらうことで,学問的探究の面白さを体感してもらい,勉学モチベーションを高めることを狙う手法です。研究発表のみならず,論文査読,シンポジウム開催,講演などを経験させることなど様々な活動が含まれます。
研究者の探究活動は,人の本来的な興味・関心に根差しているので,探究的態度を形成しやすいといえます。科学研究は文化的意義が認められているので,それを体験することは文化の継承にもつながります。何より,研究者の活動には,因果関係の推論,論理的な主張,批判的吟味など,市民活動に不可欠な要素を含んでいます。
Researcher-Like Activity は,将来社会人として活躍する学生には,「頭の使いよう」という基盤を形成するために極めて重要な教育手法だと思います。
ただ,これは特殊な手法ではありません。大学にとっては当たり前のことをやるだけのことです。わざわざこの重要性を主張しなければならないのは,学生の学力低下や短期的な教育効果を求める一部世論のため,大学自身が本来の姿を見失いかねないからです。
学生の学力低下に適応し,教育の効果の見えるResearcher-Like Activity のあり方を模索する必要があるようです。