先日のブログにあるように,日経新聞2月20日朝刊に国立大学財務・経営センターの金子元久教授(中央教育審議会委員)のインタビュー記事によれば,現在高校生の6割ほどが家でほとんど勉強しないことが高校教育上最大の問題であると考えられます。
金子さんはつぎのように述べています。「日本の将来を考えると、多くの高校生が家でほとんど勉強しない状況は深刻だ。これでは自分で勉強する習慣も,授業を復習して自分の中で位置付けし直す習慣も身につかない。社会の多様化・流動性が進むと,常に自分で勉強し,知識を仕入れていないとチャンスを失う。単純な反復労働はどんどん海外に出ていく。創造性がないと就職も厳しいのに,自分で学ぶ習慣ができていない。恐ろしいことだ。」
金子さんは高校教育のことを論じていますが,同様の問題は中堅以下の私立大学(つまりは大半の私立大学)にも当てはまります。高校時代にほとんど勉強をした経験のない生徒を,AOやら推薦入試やらで大量に学生として受け入れているのが大半の私立大学です。そして,入学後,その学生はやはりほとんど勉強しません。
高校時代ほとんど勉強をした経験がなく,大学に入学後もほとんど勉強しない学生がうちの学部にも少なくない数存在していますが,彼らの行く末を案ずると,暗い気持ちになります。自ら学ぶことのできない人物に,判断の伴う責任ある仕事を任せる組織はないと思うからです。したがって,マック・ジョブと呼ばれるような単純な反復労働が与えられることになりますが,その手の労働の多くが海外に移されていきます。つまり,このままでは将来まともに仕事に就くことができなくなるかもしれないのです。
ただ,大学で出来うる対策は限られているように思えます。というのも,大学というのは高等教育を施すことになっていて,知的探求心を持つ大人が学生となり自学自習する前提で教育システムが組まれています。そして,教員は研究者で,その研究活動に学生を巻き込む,あるいはその研究の一端を学生に知らしめることで教育活動を展開することになっています。中堅以下の私立大学でも,大学と名のつく以上はそうなっています。勉強の習慣のような基礎の中の基礎を学生に身につけさせる余力もノウハウも大学にはありません。
個人的には,結局学生を教員の研究活動に強制的に巻き込むより他に方策がないと思います。研究というものに本気で取り組めば,知的探求心が刺激されます。何しろ確たる答えのない問題に答えを探そうというのですから。そして,簡単には答えの出ないその活動は地道な作業の積み重ねを要求します。多大な労力と時間を費やします。きちんと巻き込まれれば,毎日自ら頭を使い,情報収集を繰り返さざる得ない状況に追い込まれます。つまりは,自ら毎日勉強せざるを得なくなります。
そのためには,学生に,一見易しい,身近な問いに答えを見つける作業を与えることからはじめ,次第に高度な問題にあたらせるような教育ノウハウを我々が身につけなければなりません。しかし,これは大学教員にとっては基礎学力養成ノウハウを身につけるよりは容易なことのように思えます。そして,学生から逃げ道をなくすことです。しんどいことから簡単に逃げる学生が多すぎます。
金子さんはつぎのように述べています。「日本の将来を考えると、多くの高校生が家でほとんど勉強しない状況は深刻だ。これでは自分で勉強する習慣も,授業を復習して自分の中で位置付けし直す習慣も身につかない。社会の多様化・流動性が進むと,常に自分で勉強し,知識を仕入れていないとチャンスを失う。単純な反復労働はどんどん海外に出ていく。創造性がないと就職も厳しいのに,自分で学ぶ習慣ができていない。恐ろしいことだ。」
金子さんは高校教育のことを論じていますが,同様の問題は中堅以下の私立大学(つまりは大半の私立大学)にも当てはまります。高校時代にほとんど勉強をした経験のない生徒を,AOやら推薦入試やらで大量に学生として受け入れているのが大半の私立大学です。そして,入学後,その学生はやはりほとんど勉強しません。
高校時代ほとんど勉強をした経験がなく,大学に入学後もほとんど勉強しない学生がうちの学部にも少なくない数存在していますが,彼らの行く末を案ずると,暗い気持ちになります。自ら学ぶことのできない人物に,判断の伴う責任ある仕事を任せる組織はないと思うからです。したがって,マック・ジョブと呼ばれるような単純な反復労働が与えられることになりますが,その手の労働の多くが海外に移されていきます。つまり,このままでは将来まともに仕事に就くことができなくなるかもしれないのです。
ただ,大学で出来うる対策は限られているように思えます。というのも,大学というのは高等教育を施すことになっていて,知的探求心を持つ大人が学生となり自学自習する前提で教育システムが組まれています。そして,教員は研究者で,その研究活動に学生を巻き込む,あるいはその研究の一端を学生に知らしめることで教育活動を展開することになっています。中堅以下の私立大学でも,大学と名のつく以上はそうなっています。勉強の習慣のような基礎の中の基礎を学生に身につけさせる余力もノウハウも大学にはありません。
個人的には,結局学生を教員の研究活動に強制的に巻き込むより他に方策がないと思います。研究というものに本気で取り組めば,知的探求心が刺激されます。何しろ確たる答えのない問題に答えを探そうというのですから。そして,簡単には答えの出ないその活動は地道な作業の積み重ねを要求します。多大な労力と時間を費やします。きちんと巻き込まれれば,毎日自ら頭を使い,情報収集を繰り返さざる得ない状況に追い込まれます。つまりは,自ら毎日勉強せざるを得なくなります。
そのためには,学生に,一見易しい,身近な問いに答えを見つける作業を与えることからはじめ,次第に高度な問題にあたらせるような教育ノウハウを我々が身につけなければなりません。しかし,これは大学教員にとっては基礎学力養成ノウハウを身につけるよりは容易なことのように思えます。そして,学生から逃げ道をなくすことです。しんどいことから簡単に逃げる学生が多すぎます。