愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

2011年度卒業生制作ゼミのアルバム

2012年03月16日 | 運営
2011年度卒業生制作ゼミのアルバム


卒業生がアルバムを制作して卒業の記念にプレゼントしてくれました。手作りのプレゼントとはありがたいことです。

卒業生自身がこのアルバムのデータを持っていないそうなので,写真にとって公開することにしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒業に当たり(mujo)

2012年03月15日 | 運営
3月15日に愛知学院大学は卒業式を迎えました。一部就職活動のため卒業延期する者を除いて,ゼミの4年生たちは卒業していきました。名古屋マーケティング・インカレと卒論をやり遂げ,2年半のゼミの学修を終えてくれたことにホッとしています。

なお,うちのゼミからは岸桃子さんがビジネス情報学科卒業総代(曹洞宗管長賞受賞)に選ばれました。3年連続で優秀者を輩出することができうれしく思っています。岸さんは学部優秀卒論賞も受賞しました。

卒業生には次の言葉を贈ります。

  祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
  おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
  たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ

有名な平家物語の冒頭の一節です。名文として親しまれてきました。祇園精舎や沙羅双樹など我々にはなじみのない言葉が出てくるので,今となっては分かりにくいかもしれませんが,この一節が表現しているのは,無常です。

無常こそは日本人の死生観そのものと言っていいでしょう。卒業生にこの無常をかみしめて欲しいと思います。

栄える者もやがて滅んでしまうのならば,頑張る必要はない。無常はそんな虚無的な気持ちにつながるかもしれません。しかし,無常は虚無ではありません。

無常は不変なものはないことを意味しています。そして生あるものは必ず死ぬということも意味しています。物事は常に変化するからこそ,一瞬一瞬に力を込めよう,人は必ず死ぬからこそ,精一杯生きようという感慨につながるのです。

平家を貶める表現として平家物語冒頭の一節はよく使われます。しかし,無常の象徴とされるにふさわしく,平家の人々は実はほころびた貴族政治の改革者として平安末期の時代を堂々と生き抜きました。失敗はしましたが精一杯の輝きを見せたのです。

平家一の精鋭と評された将軍に平重衡がいます。重衡は合戦に破れ,源氏方に捕えられてしまいます。源頼朝の前に引き出されたとき,嘲笑いを受けながら,頼朝から捕われの身の気持ちを訊ねられます。重衡は,武運拙く自分たちは負けてしまったが,軍事に携わる者にとって,敵に捕われ,命を奪われることは恥じでない,さあ早く首をはねなさいと堂々と返答します。あまりの潔さと威厳に,並み居る源氏方の武士は感動して涙したといいます。信念にしたがって精一杯生き抜いたという思いが重衡を潔い態度にさせたのでしょう。

我々日本人は無常観を持つからこそ,打たれ強い国民性を示すといえます。在学中みなさんは東日本大震災の報に接しました。みなさんが子供のころには阪神大震災が起きました。被災者たちは,整然と,淡々と復興に立ち向かってきました。あの魂をみなさんも備えているはずなのです。

無常のこの世界で生き抜く覚悟を持って,卒業生のみなさんはこれから精一杯の努力を心がけてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

semester

2012年03月07日 | Weblog
東大が国際化を進めるため9月入学全面移行検討を発表してから,大学に関する報道はこの話題中心です。東大は旧帝大やそれに匹敵する格の11大学で協議すると発表したので,いわゆる難関エリート大の改革問題であると受け取られています。

日本の大学で,留学生の受け入れが多い大学トップ3は,早稲田,東大,立命館アジア太平洋です。学術レベルが高いか,国際化を建学理念にした大学です。うちのような中堅以下の私立大学などは無縁かなと思わないではありません。

しかし,留学生受け入れ数4位以下の大学には,中堅以下の私立大学がたくさん並んでいます。その中には,全学生に対する留学生の割合において,早稲田や東大よりもはるかに高い大学が存在します。こういうことを大学関係者の私が指摘するのは穏当ではないかもしれませんが,留学生の受け入れでようやく入学定員を充たしている私立大学が日本にはいくつも存在しています。

そうなると,国際化,9月入学問題は難関エリート大の改革問題ではなく,幅広い日本の大学に関わる問題であるといえます。

9月入学全面移行案で気になるのが,「進んだ」欧米先進国に合わせよう,追いつこうという発想がどこか見え隠れすることです。

日本の教育改革,とりわけ高等教育改革にはこの手のものがいくつもありました。ロー・スクール,ビジネス・スクール,大学院重点化,共通一次試験,センター試験などなど。欧米先進国,とりわけアメリカの教育制度に合わせて導入されたものばかりです。理念先行で,具体的に社会的ニーズがあるのかどうか分からないような改革でした。

その結果,あからさまに「失敗だった」と指摘されるもの,意図通りではなく「裏目に出た」と評価されるものがあります。

先日早稲田がクォーター制導入検討を発表しました。1年を4学期に分けて,各学期で教科を学生に履修させ,その単位を取得させる制度のことです。この場合,9月入学を基本とするアメリカのような大学だけでなく,9月や4月以外に入学月を設けている国にある大学との間の学生交換にもフィットするそうです。早稲田はクォーター完結の教科を増やして,学生の留学機会を増やす一方,4月入学の現行制度は基本的に変えないそうです。

外に出る学生も,受け入れる学生も,全学生の中では一部にとどまることを考えれば,早稲田の案の方が東大の案よりも現実的だと思われます。

ちなみに,多くの大学では1年を2学期に分け,各学期で教科を学生に履修させ,その単位を取得させるセメスター制を既に実施しています。実はこのセメスター制をきちんと実施していれば,9月入学を取り入れることは可能になります。本学も数年前から実施しています。しかし,不完全な実施です。

本学では,もともと通年科目であったものを,単純に2つに分けただけで(例えば4単位科目を2単位2つにする),内容的にセメスター完結になっていないものが多く存在しています。私が担当している科目でもそうなっているのがあります。学生からは何のためにセメスター制になっているのかという素朴な疑問を毎年受け取ります。これを本来のセメスターの主旨に沿ったものにすれば,9月入学は可能になるでしょう。ただ,外から見れば当たり前のことをきちんとできないのが大学というところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする