愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

比較問題

2008年11月25日 | Weblog
先日,ゼミの3年生が,東京と名古屋で化粧品消費行動についてアンケート調査を行い,両者の比較ができないか検討しました。東京,名古屋それぞれの調査対象者に,相手側の化粧品消費行動の印象を述べてもらうという項目がありました。つまり,名古屋では東京人の化粧に対する印象,東京では名古屋人の化粧に対する印象を聞くのです。

その結果,名古屋において東京人の印象は詳細に語られるのに,東京において名古屋人の印象はあまり語られないことが分かりました。これはなぜなのか,ここから何か考えが導き出せないかとゼミ生たちは頭をひねっていたのです。彼らには直接何も指摘しなかったのですが,今ここで考えを述べてみれば,そのような結果が出るのはある意味当たり前です。名古屋人にとっては東京はいつも意識する巨大な存在であるため,東京人に対する印象を強く抱いているわけですが,東京人にとっては名古屋という都市は単なる一地方都市にしか過ぎません。名古屋人には悔しいことかもしれませんが,東京人が単なる一地方都市の住民に対して強い印象など持ちようがないのです。

比較という場合,何と何を比較するかによって,考察内容はがらっと変わります。ゼミ生たちの研究の場合,もともと東京中心に書かれた新聞記事の内容を名古屋に当てはめるとどうなるのかという問題意識で始まっているので,名古屋と東京との比較は当然なのですが,そもそも東京という特別な都市と,地方都市である名古屋とを比較するのは本当に意味があるのか一度踏みとどまって考えてみて欲しいと思います。名古屋を中心に考えれば,ひょっとすると,東京以外の都市とを比較したほうがより名古屋の特徴が導き出せるのかもしれません。もちろん,関西,中京,関東という古来文化的に相違があるという地域を比較することは文化論を考察する上では重要なのかもしれませんが。

非名古屋人の私がこちらに来てみて面白いと思ったのは,無条件に名古屋人は名古屋と東京とを比較したがるということです。なぜ,他の都市とは比較しないのだろうかと不思議に思うのです。個人的には,名古屋は千葉市に似ているように感じられるので,一度比較してみてはどうかと思うのですが・・・。

私たち大学教員・研究者も他人のことを不思議がってはいられません。そもそも学者たちはなぜ日本とアメリカとを比較したがるのか。他人からはそう不思議がられているかもしれません。学問の世界は何かというと日米比較です。挙句の果て,日本は遅れているからアメリカに近づけるような方策を考えましょうという結論が出てくる場合もあります。これまた不思議だ・・・。
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恩師を囲んで

2008年11月11日 | Weblog
先日,大学院博士後期課程在学中に研究指導頂いた先生のお祝いパーティーに出席しました。大学院時代に指導を受けた人々は今は大学教員や企業人となっていました。皆それなりに年を重ね,社会的に活躍している様子です。

このようなパーティーでは昔話に花が咲くものです。大学院時代,いかに先生に怒られたかという話しで盛り上がりました。恩師は普段は温厚なお方なのですが,ゼミでの研究指導は厳しいので有名でした。毎週,「こんな研究どぶに捨てちまえ!」「何も考えてないな。脳みそを取り出して塩でもんだらどうだ!」「昨晩は寝たのか?3時間も寝たとはどういうことだ。発表のときは寝ないで来るもんだ!寝ている暇があったら本を読んで勉強しろ!」というような調子で,研究発表が終わると終始怒鳴られるわけです。上級生が下級生を見かねて助け舟を出そうと,質問を投げかけると,「くだらん質問するな!」と一喝される始末です。今では笑って話せることですが,当時はゼミに出席するのが辛くて,毎週逃げ出そうかと思って,涙したものです。ゼミの仲間だった人たちは皆同じことをいいます。

今,教員になってみて思うのは,厳しく学生を指導することは実は大変なことだということです。厳しく接するためには,自分の指導が間違っていないという信念,厳しい接し方の後フォローの手間を惜しまない態度,反発を招いても気後れしない精神,学生に納得させるため率先して模範を示す力量が必要なのです。つまりは強い覚悟がないとできないのです。恩師とは違い,そのような覚悟が備わっていない自分には,なかなか厳しい指導はできないものです。多くの教員にとってそうでしょう。

厳しいことを指摘しようとすると,嫌われるのではないか,反発されるのではないか,やる気を失ってしまうのではないかというおそれを感じてしまいます。また,正しいと思って指摘する際,実は間違っているかもしれないという不安が脳裏を横切り,つい躊躇してしまうこともあります。

学生は,教員(私も含め)から厳しいことをいわれ,しょげたり,むかついたり,やる気を失くしたりすることがあるかもしれません。ゼミ生はじめ学生に理解して欲しいのは,われわれ教員も厳しく指導するためには覚悟を決めているということです。そしてそれなりに悩んでいるということです。学生には,厳しい指導をありがたいとまで感じる余裕はないでしょうが,そこまでいわれるのはよくよくのことなのだと納得し,自分を振り返るきっかけを得て欲しいと思います。
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大学祭見学

2008年11月03日 | Weblog
先日,うちの大学の大学祭を見に行きました。3年ぶりです。主に教えている学生のロックバンド演奏を聞きに行きました。練習を積んだ跡がうかがえて,なかなかがんばっていました。

しかしながら,全体としてみると,うちの大学祭はつまらないという印象です(以前から思っていました)。一所懸命運営している学生には申し訳ないのでが・・・高校の学園祭の延長のようです。なぜつまらないかというと,まず賑わいがないのです。具体的には,正門からして飾り付けが貧相で大学祭開催のメッセージが外部に発信されていない。正門からメイン会場までが遠すぎるし,そこまで人を誘導する工夫がいまいちない(以前よりは改善されていますが)。参加団体が少ない。連日集客の目玉がないなどが原因です。2つめには,テーマがあいまいということもあげられます。パレットという全体テーマがあげられていましたが,いまひとつ何をお客さんに提供しようとしているのか分からないのです。それを具体化して会場ごとにサブ・テーマを割り振って(色を割り振るように)明示し,それにあわせた出し物を少数でも演出しないと来場者にはテーマの意図が分かりません。3つめには,屋台とアマチュアバンドがメインで大学らしい知的さがないことがあげられます。学術研究関連の出し物がありましたが,数が少なく地味で目立たない。しかも,面白く見せるための工夫も不十分な感じでした。

独断と偏見に満ち溢れた自論ですが,大学のレベルは図書館と大学祭に現れると思っています。いい大学の図書館には文献が揃っていて,学生がそこで本を借りてきちんと勉強している姿を見ることができます。そして,いい大学の大学祭は頭を使った運営がなされていて,身内以外の人が見ても楽しめるイベントにそれなりに仕上がっています。残念ながら,図書館は別にして,大学祭を見る限り,うちの大学は一流とは距離が結構あるようです・・・。

さて,大学祭を改善することに結びつく大学の教科はあるのでしょうか。手前味噌になりますが,マーケティング関連の教科は結びつくと思っています。イベントそのものを扱うことはあまりありませんが,ターゲットやテーマを決めて具体的に戦略を立案するというマーケティングの発想は大学祭にも活かせるでしょう。また,マーケティング論(とくに流通や小売経営)で扱う商店街やショッピングセンターは集客を大問題としているので,大学祭の基本的課題を考える上で参考になるでしょう。

大学祭の実行委員のなかで,大学祭を改善したいと思う学生がいるのなら,マーケティングを勉強してみることをお勧めします。また,一度,東京や大阪にある大手一流どころの大学の大学祭を見学してみるといいでしょう。それをまねするだけでも意義はあると思います。
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