愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

補足

2013年10月15日 | 名古屋マーケティング・インカレ
昨日,名古屋マーケティング・インカレ第2回中間発表会における,愛知大学為廣先生の講評をこのブログに書き留めました。それに関連して,私が感じたことを書きます。

為廣先生のいう「下手な麻雀」から脱却するためにキーになるのは,他ならぬ教員です。下手を上手にするためのコーチング・スタッフとして教員は存在しているのです。学生の下手さを指摘し,上手になるための方法や考え方を,学生ごとに教示するのが教員の役割です。

インカレ参加学生たちが,下手な段階にとどまっているとしたら,我々担当教員が十分役割を果たしてこなかったことになるので,反省しなければなりません。ただ,今まで,我々が何もしてこなかったかというと,そうではないことは参加学生にも理解してもらえるでしょう。

おそらく,すべての担当教員は,口うるさく(ガミガミと)「あそこがだめだ」「これは間違っている」「このように修正しろ」と指摘し続けてきたことでしょう。私も毎週「あかんな」とゼミ生にいい続けてきました。

しかしながら,そのような教示をしてきたとしても,今一つ参加学生側に変化がないと我々は感じています。参加学生側も同じく感じているのではないでしょうか。担当教員の指摘は,所属するゼミの学生からは「親の小言」と同じく受け取られているように感じます。いつも顔を合わせ,同じ話をする担当教員の指摘に希少性がなくなっているのでしょう。

以上の状況を脱するために,つぎのような単純なことを実践する必要があると思っています。参加学生がゼミ担当教員以外の教員に積極的にアドバイスを求めることを,我々が勧めるのです。ゼミの担当以外の教員は,いってみれば,親戚のおじさん・おばさん,友人の親,町内の大人といったものです。自分の親の小言とは違い,それらの人々のアドバイスは希少で,新鮮であるため,素直に受け取ることができるかもしれません。

参加学生が所属している大学には,商学・経営学・経済学に関連する教員が何十人といるはずです。その先生たちに話を聞きにいくことを勧めます。その中には,現在の研究発表内容に通じた方がいらっしゃるでしょう。また,それとは異なる専門分野の教員に話を聞く意義もあります。違った視点が与えられると思考が深まります。

当然,インカレに関わっている,ゼミ担当教員以外の教員(他大学も含む)にアドバイスを求めることも勧めます。インカレの実情や学生の能力を十分理解した上で話をしますので,具体的なアドバイスが得られるかもしれません。

最近,私は,参加学生がゼミ担当教員以外の教員にアドバイスを求める意義を目の当たりにしました。

今年度,うちのゼミで,土産物の衝動買いをテーマに研究発表の準備をしているチームがあります。私は,4月から,発表内容にある衝動買いの概念がおかしいので,きちんと調べなおすように何度も指摘してきました。このブログにも記述しました。しかし,一向に改まる気配がないまま,半年が過ぎました。10月に入り,そのチームは,私以外の教員にアドバイスを求めたときに,同じことを指摘されました。そこで,やっと自分たちの衝動買い概念が間違っていることを理解したのでした。彼女たちにとって,親の小言は重要とは思わず聞き流してきたが,親戚のおじさんのアドバイスは心に響いたようです。
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備忘録

2013年10月14日 | 名古屋マーケティング・インカレ
10月12日(土)に今年度第2回の名古屋マーケティング・インカレ中間発表会が名城大学にて開催されました。開催幹事役の名城大学大崎ゼミのみなさんには大変お世話になりました。

全ての研究発表が終わり,閉会式にて,参加していた教員による講評が行われました。その一つ,愛知大学の為廣先生の講評が秀逸でしたので,ここに記しておきます。ゼミ生や他の参加学生の心に留めておいて欲しい言葉です。

「私は,学生時代,麻雀ばかりしていた。定期試験の時,とにかく早く解答を書き,メンバーになりそうな他の学生をつついて,一緒に試験途中教室を出て,雀荘に向かったほどだ。麻雀は,大学卒業後,社会人になってからもよくやった。ただ,社会人になってからは,負けが込むようになった。学生時代には,結構いい勝負をしていたはずなのに,なぜだと考えてみると,つぎの事実を思い知った。学生時代は同じメンバーとばかり,麻雀をしていた。メンバーはみな下手だったので,下手同士でいい勝負になっていたのだ。しかし,社会人になると,自分よりずっとうまい人と卓を囲むことになったので,自分は負けるようになった。」

「自分がやったような下手な麻雀を,君たち学生がこの場でやってしまっているのではないか。名古屋マーケティング・インカレでは,学生の相互評価で,研究発表の優劣がつく決まりになっているが,能力の低い学生が集まって評価をしたならば,大したことのない研究発表が高く評価されてしまうだろう。それは,この場を離れれば通用しない。インカレのそういう状況を打破するために,理論的考察を含めた,専門的な文献をきちんと読んで欲しい。」

以上を私なりに補足します。なぜ文献を読む必要があるかといえば,理論的考察を中心とした専門的な文献(専門書,学術論文)の多くは,学部学生よりも能力の高い専門家が書いているからです。多くの文献では,学術上の意義,調査の工夫,専門家の思考の跡をたどることができるようになっています。それらを読んで,自分たちの研究発表との差を感じてくれれば,自分たちの能力の限界を知ることができます。そして,専門家をまねれば,学生はその思考の跡に導かれて,能力向上の糸口を得ることができます。

今まで,私も,ゼミでは,しょっちゅう先行研究を調べろ,教科書の内容を確認せよとゼミ生に指示してきたのですが,実はほとんどの場合,受け流されてきました。なぜ,学生たちは本気で文献を読むことをしないかといえば,あのような難しい論文や専門書は自分たちが読むものではないと考え,その情報を遮断してしまうからです。自分たちには縁のない,自分たちの土俵とは違う,あちらの世界のものと信じてしまっているのです。

大学の講義では,学生は専門書や論文で展開されている理論的考察をさんざん学んでいるはずなのに,それは自分たちの研究発表には関係のないものとしているのです。

もちろん,学生は,難解な専門用語がちりばめられている文献を簡単には読むことができないかもしれません。もし,分からなければ,教員に質問して教えを請えばいいだけの話です。高い学費を支払い,安くない税金を負担して,大学に通う学生には,教員を利用する権利があります。本大会まで,あと1か月半。インカレ参加の学生には,自分の所属大学の教員,そしてインカレ関わっている教員等を大いに利用しながら,文献を読みこなし,思考を深めて欲しいと思います。
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泊まり込み

2013年10月10日 | 運営
うちの大学の日進キャンパスには、学生の宿泊施設として研修会館があります。先日、ゼミの3年生2人が、研究発表準備のため、大学研修会館に2泊しました。

うちのゼミでは、研修会館への泊まり込みは恒例行事化しつつあります。準備に充てる時間を1時間でも伸ばすために泊まり込むのだろうと想像できます。しかしながら、実は夜8時になると、教室や図書館から学生が締め出されてしまうことが、ゼミ生たちにとって泊まり込む理由になっています。つまり、夜8時以降にも大学で作業を続けるために、研修会館を利用するのです。もし、夜10時ぐらいまで連日教室や図書館等に残ることができるのならば、泊まり込みはしないといいます。

「大学側は、私たち学生が勉強のために遅くまで施設を利用することを想定していない。まるで、馬鹿なうちの学生は勉強なんかしないと、大学が決めてかかっているように受け取れる」とゼミ生の一人は辛らつに批判していました。

毎年、ゼミ生から、「夜、守衛に教室から追い出されて、研究発表の準備が滞るので、先生から苦情を申し立てて欲しい」と要請されるに及んでは、私もそう思わざるをえません。

来年度、名城公園キャンパスに商学部は移ります。そこでは、今までより夜遅くまでキャンパスに学生たちが残って勉学に励むことができるようになるでしょう。来年度以降、ゼミ生から苦情の要請はなくなるかもしれません。

その一方、研修会館泊まり込みもなくなるでしょう。夜遅くまで大学に残ることができれば、その必要性はなくなりますし、そもそも研修会館は日進キャンパスにしかありません。そうなると、少し寂しいと思っています。泊まり込みは、実際のところ、無駄な時間を過ごして、研究発表の準備を促進させないケースが多いのですが、ゼミ生たちの結束やモチベーションのアップには貢献するのです。泊まり込みは辛いといいながら、なんだか愉快そうにしているゼミ生がいるのです。

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