先週末,明治大学で開かれた消費経済学会に出席しました。そこでの出来事。
懇親会の席で,手伝いの大学院生数名に,私が手伝いのお礼を言うと,院生たちは「先生のお名前は以前から存じています。先生が書かれた小売マーケティング・ハンドブックを読んでいますよ」と返答しました。私の書いた本の名を知っているだけでも稀有なことなのに,読んでくれているとは驚きました。大学院の授業で使用しているといいます。さらに,「分かりやすい内容で良い本だと思います」と付け加えてくれました。社交辞令でもうれしいものです。
翌日,学会の受付で,院生に呼び止められました。近づくと,前日会話した院生1人と,会話しなかった院生1人が,私の書いた本を差し出し,「サインをください」といいました。
社交辞令かどうかは別にして,とにかく大変うれしいものですが,そんなことをした経験のない私は緊張してしまい,何を書いていいのか困ってしまいました。2人の名前を聞いて,それを書き,自分の名前とメッセージを添えました。サインをした後,私は院生たちに,「明治大学は商業経営研究の中心だった大学です。商業経営研究では大家の先生が昔活躍されました。それを受けて,今も現役の先生が活躍されています。良い大学を選びましたよ」という話をしました。
自分の院生時代,明治大学の先生たちがお書きになった本を,いくつも読みました。その時のことを思いだしています。商業経営研究の中心大学の一つである明治大学で,自分の商業経営に関する著書が読まれているなんて,大変光栄なことです。
学会の手伝いをしていた明治大学商学研究科院生の皆さん。ありがとうございました。上手に私を喜ばせてくれましたね(笑)。ただ,下手な字で,名前を書き,意味のないメッセージを添えたことを後悔しています。その点は許してください。このブログを読むことはないでしょうが,陰ながら皆さんの勉学を応援しています。
帰宅時,新幹線のなかでしみじみつぎのように思いました。残念なことに,所属大学では,学生たちは,授業のためにしかたなく私の本を買い,試験のためにしかたなく読み,試験が終われば,さっさと本のことは忘れてしまうという現状があります。しかし,一人でもいいから,卒業時に,学生がその本を私のところに持ってきて,記念にサインとメッセージをくださいとお願いされるような教育を展開しようと。
懇親会の席で,手伝いの大学院生数名に,私が手伝いのお礼を言うと,院生たちは「先生のお名前は以前から存じています。先生が書かれた小売マーケティング・ハンドブックを読んでいますよ」と返答しました。私の書いた本の名を知っているだけでも稀有なことなのに,読んでくれているとは驚きました。大学院の授業で使用しているといいます。さらに,「分かりやすい内容で良い本だと思います」と付け加えてくれました。社交辞令でもうれしいものです。
翌日,学会の受付で,院生に呼び止められました。近づくと,前日会話した院生1人と,会話しなかった院生1人が,私の書いた本を差し出し,「サインをください」といいました。
社交辞令かどうかは別にして,とにかく大変うれしいものですが,そんなことをした経験のない私は緊張してしまい,何を書いていいのか困ってしまいました。2人の名前を聞いて,それを書き,自分の名前とメッセージを添えました。サインをした後,私は院生たちに,「明治大学は商業経営研究の中心だった大学です。商業経営研究では大家の先生が昔活躍されました。それを受けて,今も現役の先生が活躍されています。良い大学を選びましたよ」という話をしました。
自分の院生時代,明治大学の先生たちがお書きになった本を,いくつも読みました。その時のことを思いだしています。商業経営研究の中心大学の一つである明治大学で,自分の商業経営に関する著書が読まれているなんて,大変光栄なことです。
学会の手伝いをしていた明治大学商学研究科院生の皆さん。ありがとうございました。上手に私を喜ばせてくれましたね(笑)。ただ,下手な字で,名前を書き,意味のないメッセージを添えたことを後悔しています。その点は許してください。このブログを読むことはないでしょうが,陰ながら皆さんの勉学を応援しています。
帰宅時,新幹線のなかでしみじみつぎのように思いました。残念なことに,所属大学では,学生たちは,授業のためにしかたなく私の本を買い,試験のためにしかたなく読み,試験が終われば,さっさと本のことは忘れてしまうという現状があります。しかし,一人でもいいから,卒業時に,学生がその本を私のところに持ってきて,記念にサインとメッセージをくださいとお願いされるような教育を展開しようと。