愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

キャンペーン

2011年10月25日 | Weblog
今月25日から1週間,本学では受動喫煙防止キャンペーン(啓蒙活動)をやります。実際何をやるかというと,昼休みに,ボランティアの教職員と学生が,キャンパスを巡回して,喫煙マナーの悪い学生を注意し,その学生たちがまき散らした吸殻を拾い集めるのです。気分転換と意識向上のためゼミで参加しようかと思いましたが,ゼミ生たちは研究発表の準備がうまくいかず,心理的時間的に余裕がない状態なので止めておきました。

うちの一部学生の喫煙マナーの悪さは特筆すべきレベルです。建物入口,教室扉,階段,いたるところに,喫煙マナーに関する張り紙があります。多数の喫煙所が建物の入り口の傍に設置されています。それでも,喫煙学生たちはそれを無視して,喫煙してはいけない通路にへたり込んでたばこを吸い,煙をまき散らし,吸殻をポイ捨てします。ゴミ収集担当者の目の前で平気でポイ捨てして,ニタニタ笑っている学生もしょちゅう目撃します。

5,6年前までは最悪で,屋内の廊下に火のついたままの吸殻をポイ捨てする学生が後を絶たず,今でもリノリウムの床に無数の焦げ跡がついています。火事になったらどうするつもりなのかと思いますが,その程度の想像すらできないレベルの学生が少なくない数で存在していました(人間性を疑うというといい過ぎか?)。

喫煙マナーは清潔さの問題にとどまりません。周囲に配慮しない喫煙はたばこの煙をまき散らし,そこを通りかかった非喫煙者に健康被害をもたらします。受動喫煙の問題です。医療系学部を複数持つうちの大学が看過していい問題ではありません。

印象論ですが,大学の入試難易度と喫煙マナーは相関しているように思えます。難易度の高い,いわゆる一流大学のキャンパスを訪ねてみると,たばこのポイ捨てや歩きたばこを目撃することはあまりありません。うちのように目立つ場所そこかしこに喫煙所が設置されていないにもかかわらずです。喫煙所は目立たない場所にひっそりと存在していることが通常です。また,うちのようにあちらこちらに喫煙マナー向上を呼び掛ける張り紙も貼られていません。そもそも,喫煙者自体が少ないような印象を持ちます。しかし,難易度の低い大学に行くと,たばこのポイ捨てや歩きたばこを目撃する機会が増加します。独断と偏見ですが,外出着としてのジャージー・スエット着用率とたばこのポイ捨て数で大学のレベルが判定できるのではないかと感じることがあります。

ただ,難易度の高くない大学でも,学生のマナーが良く,キャンパスが清潔に保たれている例を見ることがあります。大学の入試難易度と喫煙マナーは相関しているとしても,強い相関ではないのかもしれません。やはり,校風というものが関係しているのでしょうか。個人的には,うちの大学には(少なくともうちの学部),教育上,規律のない,ぬるい雰囲気が漂っていることをいつも感じますが,これがマナーの悪い学生の出現につながっているのでしょうか。

逆から考えると,たばこのポイ捨てを放っておくからぬるい雰囲気を払しょくできないのかもしれません。軽微な犯罪を徹底的に取り締まることで凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるという割れ窓理論の応用です。些細な緩みを正すことで,本質的な重大な事柄を改善することができるという考えです。たばこのポイ捨てや歩きたばこを許さないことで,教室に規律をもたらし,学生の学習上の集中力を向上させることができるのかもしれません。

何にせよ,キャンペーンに関わっている教職員・学生の方々に感謝いたします。そして,評論家のように批判ばかりしていてはだめなので,私もいつも以上に,喫煙マナーの悪い学生を注意します。
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学生相互評価によるゼミナール活性化

2011年10月12日 | 名古屋マーケティング・インカレ
10月8日に愛知学院大学において日本商業学会中部部会が開催されました。そこで,名古屋マーケティング・インカレの運営に関わっている教員(青木,秋本,大崎,太田,大塚,為広,濱)が共同で,「学生相互評価によるゼミナール活性化」というテーマで,名古屋マーケティング・インカレを取り上げて,学生相互評価に焦点を当てたマーケティング教育の事例研究を発表しました。

名古屋マーケティング・インカレの特色はいくつもありますが,その代表的なものに学生相互評価があげられます。通常,学生研究発表会における評価は教員やビジネスマンからなる審査員が行います。しかし,名古屋マーケティング・インカレでは,参加している学生チーム間で互いに評価して,優劣を決める方法を採っています。本大会では,ブロック予選において,相互評価得点に基づいてブロック代表の優秀チームを決定し,決勝において,参加全チームが得点をして最優秀賞を決定します。そして,コメントも同時につけます。今年度からは,中間発表会で相互に評価してコメントを送り合うことにしました。ただし,得点を与えるのは本大会のみです。

専門を同じくする研究者が相互に評価する方法はピアレビューといって,研究の世界では基本的な評価方法です。研究の世界では,専門化が進んでいて,専門家コミュニティーの外部にいる人が専門的研究を理解して評価することが難しくなっています。また,研究の世界では通説が破棄されて権威がひっくり返ることがままあります。専門家コミュニティーの内部において,権威者が判定者になって研究の良し悪しを判定することは,通説とは違った研究を評価する際に困難さをもたらしがちです。そこで,専門を同じくする研究者が相互に評価する方法を用いるのです。学会などで日常的に行われています。

未熟な学生に研究者(それも上級者)と同じ流儀で相互評価をさせることにいろいろ問題が生じるのは承知しています。しかし,名古屋マーケティング・インカレでは,学生のモチベーション向上と評価眼の養成を目的として,あえて採用しています。モチベーションは評価されるとともに評価する立場に立つことで一層高まります。また,評価眼を持つことは,他人を評価するだけでなく,自分を評価することにも役立ちます。

今回,われわれは,学会発表のために,名古屋マーケティング・インカレを昨年度経験した学生と,今年度参加している学生全員を対象にヒヤリング調査を行いました。インカレに対する学生の本音を引き出して,大会運営・教育の改善につなげようと考えたのです。その結果を見て,われわれは相互評価の公正さに対する学生の認識に着目しました。

昨年度経験者と今年度参加者に間に大きな認識の違いがありました。昨年度経験者のほとんどが相互評価に不公正さが存在していると考えているのですが,今年度参加者においては公正だという意見と不公正だという意見が拮抗しています。昨年度経験者は点数評価をし,優劣のつく競争を経験したので,不公正に過敏になっているのかもしれません。今年度参加者はチーム間でコメントを交換し合うことはしていますが,点数による評価を行っていないので,そのような「マイルド」な態度に落ち着いているのかもしれません。

昨年度経験者の公正さの認識に関する回答を検討してみると,興味深いことが分かりました。「自分たちが勝ちたいため,有望な他のチームの評価をわざと低くする」「同じ大学のチームには甘い評価をしてしまう」「中間発表会で仲が良くなったチームには厳しい評価ができない」というような評価の状況を不公正ととらえ,それが昨年度起きたのではないかという指摘が多くありました。これはわれわれも常に想定している不公正さです。一種の機会主義的行動といってもいいでしょう。しかし,つぎのような主旨の意見にわれわれは驚きました。

「ゼミによって研究のアプローチや視点が違っている。自分と違うアプローチのチームに評価されると,きちんとした評価がなされないので(逆の場合も同様),低い評価をされて損をする可能性があるので不公正だ」「評価基準があったとしても人によってその捉え方や評価の重視点が違うので,それを統一化しなくては公正さが保てない」

われわれにとって,研究のアプローチや視点が指導教員やチームによって違っているのは当然のことです。アプローチや視点が違った研究や思考があるからこそ,社会を多面的に捉えることができるのです。アプローチや視点が一元化されていれば社会の発展はないとさえ思います。相手の研究発表が自分とはアプローチや視点が違っていても,着眼点や論理性などの点で優れている部分を見出すことは可能です。仮に,アプローチや視点の違うチーム同士の評価では,低い評価が生まれてしまう例があったとしても,それは数ある評価の一つとして捉えればよいわけです。また,同じ評価基準を用いても評価者によって捉え方や重視点が違うので,評価にぶれが出ることは当然です。人の評価というのはそういうものなのです。このような現象は社会のあらゆるところで散見されます。したがって,それらを不公正と考えることには戸惑いを覚えます。

われわれは,学問には様々なアプローチや視点が存在すること,そしてそういう多面性がある中で評価をし合う意義があることをきちんと教育する必要があるという認識で一致しました。12月の本大会までに各ゼミで,この問題について教員から説明があるでしょう。うちのゼミでも近いうちに説明する予定です。

なお,昨年度の経験者が不公正だと指摘した相互評価の結果ですが,これまでの大会の最優秀賞や優秀賞を振り返ってみると,われわれは妥当な評価だったと感じています。過去の大会の決勝を思い起こしてみると,私の印象では,論理に大きな破たんがなく,各評価基準において減点の少ない,バランスの良い発表をしたチームが最優秀賞を獲得しています。
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中間発表会2回目

2011年10月02日 | 名古屋マーケティング・インカレ
昨日,名古屋マーケティング・インカレ第2回中間発表会が名古屋学院大学で開催されました。今回は開催校の事情で,午前11時から午後3時まで研究発表会,午後4時半から午後7時まで懇親会という変則的なスケジュールになりました。

例年2回目の中間発表会は,混乱した内容の研究発表が続出します。なぜかというと,夏休み中,あれこれ書物を読み,調査を重ねた結果,獲得した知識,集めたデータを取捨選択できずに盛り込んでしまうからです。今回はどうだったかというと,私が接した限りでは,混乱している発表は少数でした。意外にも,頭を整理して発表に望んでいたチームが多かったと思います。

今回感じたのは,チームにより進度に差があり,そのばらつきが大きいということです。すでに具体的な仮説を提示するに至り,あとはその検証までという段階にこぎつけているチーム,第1回の中間発表から大きな進歩はなく,いまだ決意表明段階にとどまっているチーム,ヒヤリング等の調査はすでに行ったもののそのデータをどのように分析するのか不明なチームなど,研究の進度(深度か?)はまちまちでした。

第2回中間発表の時点で決意表明にとどまるレベルのチームが,過去,本大会で「やはり駄目だったか」という結果に終わる例を見てきています。今回そのようなチームは,本大会で聴衆を納得させる発表を展開するために,この先他チームの数倍の努力が要求されるのは当然です。それに加え,「見切り」をつけて前に踏み出す勇気を持って欲しいと思います。遅れているチームに努力が足りないとは思いません。おそらく,どの方向に進んでいいのか明確化できず,堂々巡りの議論をチーム内で繰り返してきてしまったのでしょう。「見切り」をつけないと,その状態は本大会まで続くでしょう。

研究発表は問題集で問題を選択して,正解を出す作業とは違います。自分たちなりに,問題を探して,それに対する答えを見つけ出す作業です。正解はないといってもいいのです。研究を進めるためには,間違っても,失敗してもいいので,ある方向に走り出すしかないのです。「見切り」をつけたら,大胆に仮説を作り出してください。研究は勉強とは違います。自分たちなりの主張を展開しなければなりません。そしてその仮説を根拠づけることに集中してください。こうすると何をすべきかが明確になります。仮説が間違っていてうまく根拠づけることができなければ,別の仮説を見つけ出すのです。そしてまたそれを根拠づける作業を繰り返します。

うちのゼミにも,堂々巡りの議論の結果,いまだ決意表明にとどまっているチームが存在しています。「見切り」をつけるしかありません。

発表会後は懇親会になりました。いつもより2時間ほど早いスタートになりました。しかし,雰囲気はいつもの通りでした。バカ騒ぎして,酔いつぶれる学生がいる一方,教員に改善のアドバイスを求めるチームの姿もあちこちで見られました。

今回,時間が足りなかったり,気恥ずかしさで躊躇してしまったりで,他大学の教員に相談することができなかったチームがあったと思います。この先本大会までの期間,迷うことがあったら,メールによるやり取りでも構わないので,是非他大学の教員に相談してみてください。インカレに関わっている全教員は相談を歓迎します。学生はいつも接しているゼミの担当教員からはすでにいろいろアドバイスをもらってきているはずです。しかし,他大学の教員に相談すると,迷いがはれ,理解が高まるケースが多いようです。ゼミ担当教員と同じアドバイスをもらっても,そうなるようです。積極的に聞く姿勢があるからでしょう。

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