明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

君にクラクラ SKY

2021-09-04 19:31:00 | 僕の音楽日記
作詞 山川啓介
作曲 堀内孝雄

1981年
カネボウ化粧品夏のキャンペーンソング

城戸真亜子さんが出演していた
テレビCM

80年代入ってすぐ
化粧品各社は
アーティストの歌とタイアップした
CMソングを流し
商品、歌ともに
セールスを伸ばすそんな
戦略で各社しのぎをけずっていた。

(この歌 聴いたことある!)
(へぇ堀内孝雄さん作曲なんだ)

オールナイトニッポンのCMが流れる時間にも
よく、かかってたのを聴いたことある。
よくよく聞けば
堀内孝雄さん節なる感じを
思わせる特徴のある楽曲。


さてこのSKY
森本隆さんと
北沢英三さん
のデュオだった


北沢英三 改め
【八田雅弘】でソロデビューという
流れだった。

一足先に
デュオでは
チャゲ&飛鳥が頭ひとつ抜きにでて
特徴的な味を持つまでの
グループには到達しなかった
SKY

爽やかな歌声と曲調は
需要こそあれど
息の長い活動ができるほど
音楽シーンは優しくない。

あえて
ソロデビューの道を進めていく
八田雅弘さんも

佐野元春
浜田省吾
に近い路線でデビュー

前年デビューの尾崎豊、小山卓治などがいて、ストリートロックの色合いと
どちらかといえば
SKYの時のような
シティポップス
AOR色の強い
曲調のアーティストとして
デビューしていくのだった。
その後
おニャン子クラブの
高井麻巳子の曲とか
手掛けてライターとしての活動へと移っていった。





10カウントゴングは鳴らすな 八田雅弘

2021-09-04 05:36:00 | 僕の音楽日記
さてさて
80年代には
雨後の筍のように
堰を切ったように
多くのアーティストが誕生し
ミュージックシーンに
なだれ込んできた


「そろそろ違うアーティストを聴いてみようかな」
なんて
よりどりみどり状態の需要と供給の
バランスが
逆転してしまった
ミュージックシーンだ


60年代〜70年代中盤は民衆から
求められて
その
オピニオンリーダー的
アーティストを探されてた
まだ若者の歌が確立されてない
自由と若者のための歌が…

歌の送り手側
いわゆる
歌を供給する側は
圧倒的に少なかった

需要はたくさんあったのだろうと思う
その時代
だから
素人上がりの
フォークアーティストなるものが
あの頃も
雨後の筍のように
出てきて
たくさんのスポットライトを浴びてきた。

若者が歌に渇望していた時代

そして
80年代は
出揃った環境の中で
選択、選別の時代へと
入っていった。

自分好みのアーティストを
探す楽しみと
歌を見つける楽しみ


数あるアーティストが
誕生した中

最近ふと
思い出した。


八田雅弘さん
1985年
尾崎豊さんが大きなうねりをつくっていて
脚光を浴びていた時期でもある


尾崎スタイル
が定着し始めていた時期。

1984年6月21日シングル
ミスター・ナーヴァス でデビュー
2枚目のアルバム
1985年
7月5日 
「俺は人の海を櫂も持たずに船をこぐ」
というタイトルのアルバムをリリース
そのキャッチコピーが
また
キザでカッコいい
いかにも
80年代らしい!


打ちのめされるのは
怖いけど
身構えながら
生きては行けない
ここでひとつのけりつけるまで
この街の心臓めがけて
燃やし続ける



なかなか
骨のあるアーティスト?
そんな雰囲気をまとわせて

尾崎っぽい
作風が
受ける最短ではあるものの
その辺の色分けが
ないけれど
歌の溢れていた時代

聞き漏らしていた歌でもあった。

改めて
聴いてみて
なるほど

好みではあった。

八田雅弘さんに関して
また、続きを…


なかなか骨太の一曲。