明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

まにあうかもしれない 吉田拓郎

2022-04-25 07:41:00 | 僕の音楽日記
父親が亡くなり
急なカタチでの通夜 葬式
家族葬での葬儀
喪主は同居の弟
カタチと流れが決まり
あっという間に
送り出した。

父親を見送るまでの時間
通夜、葬式の間
色んな感情や親族の思惑
感じ取るものが多くて
心が押しつぶされそうになり、
自己問答も含めて
自分という位置を確かめることと
父親との関わり、思い出を辿る
そんな時間がながれた

他人に迷惑をかけない
人の手をわずらわせない

それが生き方にいつも出ていた
厳格で寡黙な父親だった
僕は同居から外れて
晩年は父親、母親をみてくれてたのは同居してくれたのは
弟夫婦だった。
弟夫婦たちは
生活を共にした時間の深さから
それは涙に繋がる
悲しみをもてる要因にもなったのだろう

喪主を務めた弟が
挨拶の時
嗚咽して言葉が出なかった
そのくらい深い悲しみがカタチになって現れたことに
僕は泣けない自分に愕然としながらもまた、そのあとからも
自己問答を続けながら
悲しみの感情のくることを訪れることを
待ちながら
父親を見送る時間を過ごしていた。


結局のところ
肉親でありながら
近くで遠い自分を知り
何か自分を見失い

長男として期待されてながらも
それに応える事をしてこなかった
自分の自信のなさから
父親と対峙してこなかったことなど
自業自得としながらも
都合のいいように
生きてきた自分のことも含めて
親子の絆とか
綺麗事に物事をまとめようと
していた。

生きるということ
死ぬということ
死を受け入れるということ
生きた証を
記憶を思い出し
刻むということ
亡き父親の言葉や
振る舞いや
思い出を紐解く作業の中で

僕は自分の位置を見失って
しまった。


ただ
ただ
期待に応えられなかった
無力な自分に
悔しさと
情けなさを感じ
父親に対して
申し訳ない自分が

いつまでも
こうべを垂れて
立ち尽くしていた


いまなら
今の自分を捨てるのは

まにあうかもしれない


人は変わろうとした時が
変われる時なのだから…