このブログを続けることに すごく悩んだ
廃棄するべきブログかも知れない と思うこともあったブログである
私自身には 非は無いと 今でも思っているけれど
ある時 私に誹謗中傷されたという人が現れた
その人と どんなに話し合っても 「麦に誹謗中傷された」 と言う その人の思い込みを払拭して頂けることは 出来なかった
そんなブログだから コメント欄には その人との醜いヤリトリが交わされていて 健全なブログとは言えない
そんなブログだから 週に 1~2回 急増する閲覧数も気になっている
どこか パスワードでガードされた掲示板か何かで 過去の出来事が話題に出たか あるいは どなたかが発信したワードが 私の過去記事に引っかかるのか
読まれているのは ほとんどが 私に中傷されたという その人のコメントが書き込まれた記事である
それを目にされた閲覧者さんが 私に非があるのか 誹謗中傷されたという相手か どちらが正しいかを判断するのは自由
でも 今の私には自由がない
読ませていただく花好きさんのブログで 「名前が分からない」 という花の画像を目にし 私が名前を知っている花だったなら 「それは🌻という名前の花ですよ」 とコメントしたいと思っても 過去に あってはならない「ネット上の誹謗中傷」 と言う疑惑がある私だから
私は敬遠されているのではないか という意識があって躊躇してしまうのだ
そんなことから
少し前の事 隠れるつもりも隠すつもりもなく 単純に 過去と切り離した新しいブログを立ち上げた
HNは 「麦」 を別の読み方で アルファベットにした
隠れるつもりも隠すつもりもないけれど 過去を切り離して 「麦」 を敬遠されることなく自由なブログライフを楽しみたいからだった
そして 1年間くらい アルファベット名のブログライフを楽しんでいたけれど 私の気持ちの奥にある 「誹謗中傷の濡れ衣」 は消えなかった
常に そのことを意識しながら 花の画像を公開したブログに その花にまつわる私の思いなどを書き込んだりした
しかし
気持ちは切り替えたつもりだったけれど やはり 痴呆症にでもならない限り 「誹謗中傷」の4文字から逃れることは不可能であることを知った
その不可能を 私は他人のせいにした様な気がする
「誹謗中傷の汚名」 で悩まされているとき その人は いつも そばにいて私を信じてくれている人だった
その優しさに甘えて 「私が誹謗中傷の汚名から脱皮できないのは貴女のせい」 と
その人と しばらく離れる出来事があって
このところ 寂しかった
セイロンライティア
いつも 楽しく読ませていただいているブログに書き込まれた 反論を目にした
私には その反論に対する反論があった
しかし 私のコメントは 大好きな そのブログ主さんのご迷惑になるのではないかと言う思いがあって 書き込むことができなかった
信じて下さる人がいるから
逃げも隠れもしない
私の思いを叫ぶ自由が訪れるまで 過去の事実がありのままに残されている このブログを続けようと あらためて肝に銘じた