里葉の散歩

ときめきの瞬間をカメラにおさめて、楽しんでいます。

アサギマダラ

2024-10-25 22:45:52 | 昆虫

友人の情報で「アサギマダラ」を見に行った。

アサギマダラも沢山いたが、他の蝶もいて、楽しかった。

飛んでいるアサギマダラを狙うのだが

ピントが合わない。

アサギマダラを夢中で撮っていたのだが、

カメラのシャッターが、突然、押せなくなってしまった。

何が起こったか、どこをいじっても反応がない。

故障・・・こんな時に・・・

今日はカメラ屋さんに直行しました。

修理が可能か不可か、判断は2週間後・・・

この歳で、新しいカメラは買えないし、すべてスマホにしようかな?

(10月25日 記)

 

 

 

 

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ダイモンジソウ

2024-10-25 22:21:38 | 山野草

昨年と同じ場所、咲いているかな・・・と、車を止めた。

上から川の方をみると、それらしいものが見えた。

滑りやすい・・・道なき道を一歩一歩、足を進める。。。

 

咲いていました。

「ダイモンジソウ」です。

 

 

 

(10月24日)

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三陸の旅(4)

2024-10-21 13:27:50 | 国内旅行

ホテル6階の窓から見る朝焼け

 

 

東日本大震災で大きな被害を受けた陸前高田地域は

震災の遺構をのこしながら、津波復興祈念公園として蘇っている。

堤防の上に行かないと海は見えない。

堤防から見る東日本大震災津波伝承館・道の駅高田松原

堤防の上は「海の見える場」となっており、

献花台が設置されている。

震災の遺構 「奇跡の一本松」と「陸前高田ユースホステル」

 

道の駅と隣りあわせに「東日本大震災津波伝承館」があり、

当時の痛ましい風景が映し出されている。

二度と東日本大震災の悲しみを繰り返さない為に、私たちに学びの場を与えてくれる。

そして、口を揃えて、皆様のおかげで・・・と、支援への感謝を述べている。

 

気仙沼市岩井崎公園

松の根元は浜菊

津波により幹や枝に被害をうけ、枯死状態で残った姿が龍に似ていたことから、

「龍の松」と名付け復興のシンボルとなっている。

潮吹き岩

東日本大震災が起こった二年後、津波跡地を巡った事がある。

痛ましい姿だった。

あれから、どのように変わったか、今回の私の旅の目的の一つは

復興の様子を見ることにあった。

あの時は、フェリーに乗り、自分で運転して回ったのだが、

建物が全くなく、道をさまようばかりだった。

同じ所を、同じルートで回りたかったが、

年齢を重ねてしまった、今、同じように行動するには無理がある。

仕方なく旅行社のツアーにのった。

それでも、素晴らしい復興の姿を見ることが出来感動した。

能登は今、大変な状況になっている。

でも、きっと、何年か後には、いい町に蘇るだろう、と思えるのである。

今は、とにかく早く、能登にも普通の生活に戻れることを祈っている。

ご覧頂き有り難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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三陸の旅(3)

2024-10-19 00:18:58 | 国内旅行

陸中黒埼灯台(岩手県普代村)

北緯40度シンボル塔

地球儀が太陽光発電のセンサーで回ります。

浄土ヶ浜、観光船に乗る。

(悪天候で残念)

かもめが寄付く

 

 

三陸リアス海岸各地で伝承されている郷土芸能

「虎舞」

ご覧頂き有り難うございました。

 

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三陸の旅(2)

2024-10-18 15:27:09 | 国内旅行

三陸鉄道普代駅~久慈駅へ

数々のトンネル、復興したリアス海岸を眺めながら、

あの東日本大震災(2011年3月11日)を重ね見る。

どんよりと小雨降る浜の景色は

静かで、津波の恐ろしさを忘れさせる。

開業40周年限定デザイン列車

いくつものトンネルを潜る。

 

普代村田老地区

新しい堤防と住むことができなくなった仕事場

この辺りに住んでいた人たちは、高台に移転している。

震災の遺構

かつてホテルでした。

下の階は壁が抜け落ち、階段も移動してます。

上の階は、補修し、防災の学習の場になっている。

このホテルの社長さんが当日この場で撮ったという映像が、

学習の資料となっている。

語部の話と共に、津波の恐ろしさを、改めて思い知った。

防災ガイドとして、今私たちに恐ろしさを伝えているこの女性も、

家族が行方不明だという。

家族を助けることが出来ず、悔やんだけれど、

今は、これで良かったんだと思っていると・・・。

津波がきたら、「高台に逃げよう」

海の近くではない私には、関係が無いなんて、思ってはいけない。

いつ、どこで、誰が、どんな災害にあうか、全くわからない。

今の幸せに感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

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三陸の旅(1)

2024-10-15 15:27:49 | 国内旅行

日本三大鍾乳洞の一つ岩手県岩泉の龍泉洞です。

コウモリも住んでいて、コウモリと共に天然記念物に指定されている。

入り口

整備されている通路を順次追っていく。

奥深い。(4000m以上あるようで、その内700m公開中)

透き通る水、青の洞窟と言っても過言ではない。

深さ35m?もあるという地底湖、神秘的である。

地底湖は8つあるという。まだ調査が続けられている。

急な階段

面白い鍾乳石が数々あるが、写真に収めるのが難しい。

(写真10月8日)

 

 

 

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秋の草花

2024-10-06 09:20:24 | 

白玉ホシクサも終りを迎えていた

昭和の森の湿原です。

「ホタルガ」と「ヒヨドリバナ」

可愛い花がちらほらとさいている。

花の名前を

グーグルレンズで調べてみるが、確信がもてない。

 

能登半島に記録的な豪雨が襲ってから二週間が過ぎた。

まだ安否がわからない人がいる。

今年1月1日に大地震に遇い、又々の災害に、言葉も出ない。

泥まみれになっている家の泥をかき出す写真を見ながら、

私だったらどうするだろうかと・・・怒濤に迷う。

総理に就任した石破氏は「国として最大限の財政支援をする」といっている。

どのように活かされていくのか、無駄に使われないように・・・。

ボランティアとして頑張っている方々に頭が下がる。

私も若かったら、何かの手助けが出来たかもしれない。

体力は衰え、もの忘れは激し、となっている今、

気持ちはあるが、迷惑になること間違いなし。

能登の皆さんに安らかな日々が戻って来ることを祈っている。

 

 

 

 

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ヒガンバナ

2024-10-05 20:37:55 | 

ヒガンバナといえば、赤、をイメージしてしまう。

最近は白、ピンクも見かけます。

雨が上がった今朝のヒガンバナです。

赤はもうピークを過ぎていましたが、

白がきれいでした。

「ヒガンバナ逆さにすればクラゲかな」・・・とクラゲに例えた友人がいて、

ちょっと無理かな・・・と大笑いしたことを思い出しました。

 

まだ雨粒が残っている今朝の散歩の一齣です。

草の上に、直径25cmぐらいの

白い円盤が置いてあるようでした。

大きな茸でした。

こちらはシメジのようなキノコ

秋が旬のキノコですが・・・とるのは写真だけ。。。

毒キノコには注意ですね。

(10月5日撮影)

 

 

 

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ヒガンバナ

2024-09-29 15:58:18 | 

やっと咲き始めました。

川端公園付近のヒガンバナです。

 

一週間前は、蕾が出たばかりでした。

 

「水澄みて映りにとけ込む二羽の鷺」

 

「飛蝗」

「草を発ち草に落ち着く飛蝗かな」

今日は大変涼しい朝でした。

クーラーの要らない一日を過ごせしたのは、

久しぶりでした。

ご覧頂き有り難うございました。

 

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露草

2024-09-27 11:55:06 | 日記

朝の散歩が涼しくて、気持ちが良い。

ぼうぼうと茂る草の間から、小さな花たちが

アピールしている。

 

今朝の新聞の一面に「袴田さん無罪」

大きく書かれている。

証拠は捏造と認定され、無罪となった。

彼は、当時30歳、今、88歳になってしまっている。

捜査機関が証拠を捏造、捏造で死刑求刑とは・・・。

あまりにも長い歳月、彼の今までの人生を思うと、

やりきれない虚しさを感じる。

この先、彼の人生が豊かでありますようにと祈るばかり。

 

 

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