最近あちこちで咲いている彼岸花
きれいですね。
散歩の途中で映した彼岸花です。
ちょっと涼しくなりましたので、散歩も楽しくなりました。
写真を見ながら、歩いた道を思い出しています。
そろそろ、ちょっと遠出の旅行に行きたくなりました。
GO TO TRAVEL・・・まだまだ心配だけれど・・・
協力しようかな・・・と考えている。
最近あちこちで咲いている彼岸花
きれいですね。
散歩の途中で映した彼岸花です。
ちょっと涼しくなりましたので、散歩も楽しくなりました。
写真を見ながら、歩いた道を思い出しています。
そろそろ、ちょっと遠出の旅行に行きたくなりました。
GO TO TRAVEL・・・まだまだ心配だけれど・・・
協力しようかな・・・と考えている。
蕎麦畑を後にして、夕森公園の竜神滝へ
展望台まで遊歩道がしっかり整備されていて心地良い。
川の水が透明で、とにかく、きれい!
紅葉の季節に改めて来てみたい!
山の中の茶房ギャラリー「春秋風亭」へ
ランチを楽しみに出かけたのだが、満席。
平日なのに・・・2時間ぐらい待たないと席が空かないという。
仕方がなく、辺りを散策することに・・・。
出会いがありました。
「杜鵑草思わぬところに顔出して」
杜鵑草と蝶
そして、小さな花たちに慰められました。
つゆ草
かわいい小さな花です。フウロ属のようです。
ツリフネソウ
昼食は又の機会に・・・草花に癒されたひと時でした。
運転中、何やらわからない薄紫の花の群生が
左側に見えてきました。
何の花だろう・・・興味津々、
急いで車を止めて(もちろん安全確保の上)
撮った写真です。
休耕田に植えられたホテイアオイのようです。
我が家のメダカの鉢にあるホテイアオイと
ちょっと葉が違うようですが
花の色も花もよく似ています。
フロントガラスに来客です。
助手席で・・・蝶の裏側です。
白鷹城(明知城)跡
(恵那市明智町)
光秀の出身地とも言われている、
明智遠山氏の居城跡
「於牧の方」(光秀の母)の墓へ
於牧の方(光秀の母)の墓
悲運な最期を遂げたと言う於牧の方を偲んで
地元の人たちが建てたという石碑
大きな高野槙に並んで「南無阿弥陀仏」とだけ彫られている。
龍護寺
遠山氏歴代の墓所
龍護寺にある供養塔
供養塔には
光秀の無念の思いが表れているとも言われる
ひび割れた石塔がはいっている。
毎年5月3日の光秀祭りでは一般公開される。
八王子神社
八王子神社境内にある
光秀が建てた人麻呂神社と手植えの楓
かなり朽ち進んでいる。
慰霊の塔と産湯の井戸
中断になった「麒麟がくる」の大河ドラマは、
美濃から京都、福井へと場所をかえて、進んでいる。
次のゆかりの地を訪ね歩くのをドラマと一緒に楽しみにしている。
崇禅寺(そうぜんじ)
妻木城主の墓所であり、
数々の文化財がある。
崇禅寺総門
(茅葺き門は妻木城士屋敷の移築である。)
妻木城山と直線に結ぶ位置にある。
唐門
大きな銀杏があり、紅葉の季節に又訪ねたい。
妻木城城山を散策
妻木城とは土岐明智氏一族である妻木氏の居城で
光秀の正室となった煕子(ひろこ)の実家です。
積み上げたような巨石群
くさび跡の大岩
本丸跡(曲輪1)
鎮座する城山八幡宮
旗立岩
江戸時代の武家屋敷跡「妻木城士(さむらい)屋敷跡」
残っているのは石垣だけ、領主御殿跡、蔵跡などから
当時の生活の様子を想像するしかない。
ハイキングを兼ねて土岐明智城跡へ登る。
光秀が出生してから落城するまで約30年過ごしたと言われています。
登城口には杖が用意されており、桔梗の花が迎えてくれる。
「明智荘を見つめる会」の心使いが伝わってくる。
大手門
城跡まで続く石畳の階段(桔梗坂)
城跡に新しく建てられた光秀像
展望台も新しい
展望台から見る風景
明智一族の供養塔
「麒麟が来る」のドラマ化で、光秀像、展望台、遊歩道も整備されている。
予想外のコロナウイルス感染症で訪れる人はほんの僅か。
蜩と鳥の鳴き声が慰めてくれているようだった。
可児市の花フェスタ記念公園内で開かれている
「麒麟が来る」の大河ドラマ館を出て
明智城跡へ行く途中、光秀の六尺の位牌があるというので寄りました。
文殊菩薩像と普賢菩薩像の間をまっすぐに進むと
正面のお堂に大きな位牌が在りました。
六尺一寸三分の明智光秀の位牌
隣の木像は光秀像
境内には、一族の墓が祀られている。
古い卒塔婆が重ねて置いてある中に、
真新しい卒塔婆が一枚、
最近の供養の後が見える。
(7月30日の記録)