日々是好舌

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カナサシ重工がんばれっ!!

2011年06月22日 14時00分19秒 | 日記
 カナサシ重工はもともと金指造船所として1903年(明治36年)7月に大阪府で初代社長金指丈吉により設立された。1923年(大正12年)から日本で初めての鋼製漁船の建造を開始し、1928年(昭和3年)10月からは清水市(後の静岡市清水区)に移転し、1936年(昭和11年)9月に法人化して以後も漁船の建造を行ってきた。1963年(昭和38年)には鋼製漁船の建造量がシェア42 パーセントで日本一となっている。

 しかし1988年(昭和63年)に造船不況の影響を受けて会社更生法の適用を申請した。1991年(平成3年)4月1日に商号を変更して株式会社カナサシとなり、さらに1999年(平成11年)3月に清水工場を分社化して株式会社カナサシ重工となった。存続した株式会社カナサシは株式会社豊橋造船(現・新来島豊橋造船)となっている。2004年(平成16年)には旧カナサシから完全独立を果たした。

 その後は貨物船の建造などにも進出して売り上げを拡大したが、資材と燃料費高騰の影響により2007年(平成19年)から赤字に転落した。これに加えて、カナサシからの独立に伴う設備や不動産の買い取り費用も重荷となっていた。
2009年(平成21年)3月31日には銀行からの融資が得られなかったとして新卒入社予定の19人の内定を取り消し、翌4月1日から工場の操業を停止した。その後、静岡市などからの支援要請も行われていたが、自力での再建は困難と判断して4月10日に会社更生法の適用を申請した。負債総額は約201億2000万円であった。

 カナサシ重工は会社更生法申請後、スポンサー企業の支援による再建プランを描き、これまでに10社以上の企業と交渉してきたが、いずれも条件面で折り合いがつかず不調に終わっていた。

 今回は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた東北屈指の造船会社、㈱ヤマニシ(宮城県石巻市西浜町1−2)と業務提携し、同社が受注した船を建造して受託手数料を得ながら会社の自主再建を目指そうという計画である。㈱ヤマニシは大地震とその後の大津波で船台やドッグなどに壊滅的なダメージを受けたが、一方で既に受注している船の納期をまもるために早急な対応に迫られていた。カナサシ重工では、当面、㈱ヤマニシが受注している2万5000トン級のバラ積み船2隻の建造に当る予定である。

 さて、一介の民間人たる私に何の所以があってカナサシ重工の自主再建を応援・・・・勿論、掛け声だけであるが・・・するのか不思議に思われるだろう。私は長く土木技術者として働いてきた者である。今から20数年前、まだ金指造船所のころからであるが、同社の陸上特機部門の耐震性鋼製防火貯水槽の施工を5~6基手がけているのである。だから、陸上特機部門の古い連中とは面識もあったし、工場検査などで清水の工場へ出向いたこともある。

 同社の耐震性防火水槽・貯水槽のすべてが鋼製の2次製品で、40t級、60t級、80t級、100t級について、財団法人日本消防設備安全センターより認定を受けている。
40t・60t・100t  円型  (潜函工法)
40t・60t       小判型 (潜函工法)
40t・60t・80t・100t横置角型(オープン掘削工法)2タイプ
40t横置き円筒型(オープン掘削工法)2タイプ等々多種多様な品揃えで、場所に応じて形状や工法を選択、設置することが可能である。

 と、まあ最後は防火貯水槽の宣伝をしておしまいにする。



コメント
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