日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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秣場に 住んで馬齢を 重ねけり

2013年08月26日 12時48分43秒 | 日記
 筆者青柳新太郎がこの静岡市葵区桜町へ定住した平成元年、この界隈は伝馬町新田川原添治郎兵衛開という小字(こあざ)の土地であった。勿論、当時から『桜町』と称していたのだが、これはあくまでも通称であって公(おおやけ)に認められたものではなかった。

 この界隈がいつの頃から桜町と呼ばれるようになったのか詳しいことは判らない。しかし、さほど古いことではないようだ。戦後、安倍川に新しい堤防が築かれた直後から堤内(ていない)の官有無番地へ人が住み始め、やがて、市営住宅や県営住宅が建てられて、瞬(またた)く間に人口密集地になった。その頃、殺風景な堤防に桜の苗木が植えられて、年毎に綺麗な花を咲かせた。これが桜町という町名の由来だというのが通説であるが果たして真実であろうか。

 明暦年間のことというから徳川四代将軍家綱の治世である。駿府伝馬町に飼育する駅馬の飼料に供するため、安倍川の河原の一部を『馬草場』として賜った。伝馬町新田は、後年その場所を開墾してできた土地であり、安永年間(1772~78年)に一つの村としたもので、その村高は二百六十五石二斗八合であったと記録にある。

 驛傳馬の制度は律令国家の成立とともに整備されたが、当時から安倍郡横田郷は駿河国の五駅六伝馬の一つとして主要な宿駅であったようで、平安期に書かれた『延喜式』などにも見える。以来、横田町近辺は東海道府中宿の中核として江戸期の上伝馬町、下伝馬町に至るまで宿駅としての役割を連綿と続けた。

 くどくどと歴史の講釈をしようというのではない。伝馬町新田は伝馬町に飼われていた駅馬や伝馬のための『秣場』であったという事実がご理解戴ければよいのである。

 猪(いのしし)の肉をボタンというのは唐獅子牡丹の獅子とイノシシのシシをかけた洒落らしいが、馬肉のことをサクラというのは桜色をした肉という意味らしい。「咲いた桜になぜ駒つなぐ駒が勇めば花が散る」という歌もある。桜と馬は元々関係が深い。

 桜町の町名が堤防の桜に因むものか、はたまた伝馬町新田から伝馬町へ、伝馬町の馬から馬肉、馬肉からサクラへと連想ゲームさながらに想像力を働かせた所産なのかは賢明なる読者諸兄のご判断に委ねたい。

コメント (2)
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