雨上がりの道を 今朝も歩いてきました。半そででも暑く感じるほどでしたので、今日は蒸し暑い一日になりそうです。
近くの山々から うっすらと もやのように水蒸気が立ちあがっていました。それが上に行くにつれ横に広がり、その上に山頂が見えるという景色でした。遠くの栗駒山を見ると、山の中腹に帯のように白い雲が延びて広がり、さらに山頂付近を雲が覆いかくしていました。
降った雨の一部は、こうして水蒸気となり 雲となって 旅をし、やがては また どこかで 雨となって 地上や海に 舞い降りていくのでしょうか。尽きることのない 繰り返しが、古来から何度となく続いてきたのだろうなあ と思いました。
今朝の新聞を見ると、第一面の『原発事故は人災』という見出しに目が留まりました。国会事故調査委員会の報告書を取り上げた記事でした。地震や津波対策を先送りしてきたことが、今回の事故を大きくした要因とし、人災と断定したようです。想定外の事故と語り続けてきた 東電の言い訳は、通らなくなりました。
天声人語でもこのことを取り上げ、次のように述ベています。
……略……片や株主総会を見る限り、電力会社の意識は「(原発は)動かすほどもうかる電源」のままらしい。地元経済の原発依存も変わらない。何ごともなかったように再稼働が続いては、福島の教訓が泣く。……あすは二十四節気の小暑、節電の正念場が近い。……せめて、原発を動かす必要はなかったと、数字で示したい。誰も顔をしかめない『安らぐ電気』だけで賄える国を目指して。
自然のサイクル<繰り返し>の中に、原発は必要なのでしょうか。つくられた放射性物質は、人間をはじめとする命あるものの遺伝子を破壊する怖い存在です。今の科学では、それを無害なものに変えることはできませんし、その影響を阻止するためには地中深くに埋めたり、覆うだけしかできません。
<誰も顔をしかめない『安らぐ電気』だけで賄える国>になることが、古来から続いたきた 自然の営みの中で 人間らしく 生きていく道にも つながっていくように思うのですが……。