あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

国民投票制度の必要性を感じながら

2015-07-09 21:12:15 | 日記
昨日付けの朝日新聞によると、安保法制や集団的自衛権の行使容認をめぐり、全国で少なくとも331の地方議会が
国会や政府に対して意見書を可決しているとのこと。
内訳は、「反対」が144議会、「賛成」が6議会、「慎重」が181議会だったそうです。

この動向を、自民党政権はどうとらえているのでしょうか。

先の選挙で 圧倒的勝利を収めたことで、民意は自民党への白紙委任ととらえることで、地方議会の意向にも耳を傾け
ないという姿勢を貫いていくのでしょうか。

安保法案を巡っては、衆議院の解散総選挙を実施することで国民の信任を得る考えは一切持たないとの方針のようですから、
国会での審議経過を経てここぞという時に、数の力で衆議院での強行採決という手段を取るような予感があります。

先の沖縄のマスコミに対する 自民党議員の言論封殺の考えに見られるように、数の力を頼りにしたおごりが強引な主張を
生み出す背景にあるような印象があります。
報道機関に対する自民党のさまざまな要望や圧力も、顕著にみられるようになってきました。

昨日の報道によると、選挙権年齢の18歳以上への引き下げに関して、自民党から「政治的中立」を逸脱した教員への罰則
強化の提言がなされたとのこと。
選挙権を行使する上での主権者意識をどう育てていくか、そういった視野に立っての提言ではなく、罰則を強化することで
教員への圧力をかけるという 姑息な考え方に、あきれてしまいます。

対立する日教組を意識しての提言なのではないかということですが、政権を批判する勢力をいかに封じ込めるかという論理
でしか思考しないところに、民主国家としての危機感を覚えます。そもそも「政治的中立」とは、どの立場を指し、いったい
誰が判断するものなのでしょうか。一つの政党や権力側の論理だけで、客観的にとらえることができるものなのでしょうか。

憲法解釈を都合のいいように方向づける考え方と 根は同一なのではないかと思います。

憲法に沿った考えを大切にする立場であるならば、言論の自由を否定するような考え方さえ生まれてこないはずです。

新国立競技場の建設に、2,500億円を超える予算を投入するという考え方も理解できないところです。
安保法案と同様に、国民の理解を得るまで結論を先延ばししたり、内容そのものを見直すという方向はとらずに、ひたすら
前へ前へと進もうとする頑なな姿勢を貫こうとするところに、大きな疑問を感じてしまいます。

ギリシャと同じように、安保法案についても、原発再稼働や新国立競技場の建設問題についても、国民投票にかけて民意を
問うという 対応はできないのでしょうか。

国の方向性を決める重要案件については、国民投票を通して 民意を確認する手立てが必要なのではないかと考えます。
先の選挙結果で得た議員の数だけで、民意は推し量れるものなのかどうか。

政治家としての真摯な立場を貫くならば、堂々と解散総選挙に臨むか、国民投票によって民意を確認するか といった方策は
選択できないのでしょうか。

今の政治の動きを見ていると、立ち止まって考えることを放棄し、ひたすら前へ前へと 日本の進むべき方向を 間違った
方向に進めているような印象があってしかたがありません。

それはまた、政治家に任せるような政治は、あてにできないという考えにもつながっていくように思います。





コメント
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