雪を題材にした詩を探していて 吉野弘詩集の中に 一つの詩を見つけました。
誠実に生きることの難しさを 降り積もる雪の姿にたとえた詩と言えるのでしょうか。
雪の日に
吉野 弘
---誠実でありたい。
そんなねがいを
どこから 手に入れた。
それは すでに
欺くことでしかないのに。
それが突然わかってしまった雪の
かなしみの上に 新しい雪が ひたひたと
かさなっている。
雪は 一度 世界を包んでしまうと
そのあと 限りなく降りつづけなければならない。
じゅんぱくをあとからあとからかさねてゆかないと
雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。
誠実が 誠実を
どうしたら欺かないでいることが出来るか
それが もはや
誠実の手には負えなくなってしまったかの
ように
雪は今日も降っている。
雪の上に雪が
その上から雪が
たとえようのない重さで
ひたひたと かさねられてゆく。
かさなってゆく。
誠実でありたいと願うのは、誠実ではない自分が見えているから。
誠実ではない自分が誠実であろうとすることは 自分を欺くこと…?
現実の自分と 誠実との距離、
その遠さが 雪のじゅんぱくさを通して 痛切に感じられるのでしょうか。
自分の内にある 消えることのないよごれを 映し出すように。
自分と誠実との間を埋めるように じゅんぱくな雪が積み重ねられても
その遠さは 埋めきれないのでしょう。
その痛みが 雪が降るたび 重く心に響くのでしょう。
誠実でありたいと願うことから 苦難の道は始まるのだと思います。
吉野さんの詩「夕焼け」に登場する 娘の姿を思い出します。
満員電車の中で 娘は 立っているとしよりに 二度席を譲ります。
しかし 三度目に自分の前に押し出されてきたとしよりには席を譲りませんでした。
娘は うつむいたまま 下唇をキュッと噛んで 身体をこわばらせて 座り続けます。
……
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。
やさしい心の持主は、それを行動であらわせない時にも やさしい心に責められる。
誠実な心の持ち主も、同様なのだと思います。
誠実な生き方を求めるが故に 誠実でない自分を責めてしまうのでしょう。
不完全な人間であるからこそ、求めるものとの遠さを感じてしまう。
その遠さを意識しながら生きることが、誠実に生きるという姿勢なのかもしれません。
そこで感じる痛みや辛さが、現実の人間としてのありようを気づかせてくれているように
感じます。
私の好きな雪の詩を もう一つ紹介します。
つもった雪
金子 みすゞ
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面も見えないで。
誠実に生きることの難しさを 降り積もる雪の姿にたとえた詩と言えるのでしょうか。
雪の日に
吉野 弘
---誠実でありたい。
そんなねがいを
どこから 手に入れた。
それは すでに
欺くことでしかないのに。
それが突然わかってしまった雪の
かなしみの上に 新しい雪が ひたひたと
かさなっている。
雪は 一度 世界を包んでしまうと
そのあと 限りなく降りつづけなければならない。
じゅんぱくをあとからあとからかさねてゆかないと
雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。
誠実が 誠実を
どうしたら欺かないでいることが出来るか
それが もはや
誠実の手には負えなくなってしまったかの
ように
雪は今日も降っている。
雪の上に雪が
その上から雪が
たとえようのない重さで
ひたひたと かさねられてゆく。
かさなってゆく。
誠実でありたいと願うのは、誠実ではない自分が見えているから。
誠実ではない自分が誠実であろうとすることは 自分を欺くこと…?
現実の自分と 誠実との距離、
その遠さが 雪のじゅんぱくさを通して 痛切に感じられるのでしょうか。
自分の内にある 消えることのないよごれを 映し出すように。
自分と誠実との間を埋めるように じゅんぱくな雪が積み重ねられても
その遠さは 埋めきれないのでしょう。
その痛みが 雪が降るたび 重く心に響くのでしょう。
誠実でありたいと願うことから 苦難の道は始まるのだと思います。
吉野さんの詩「夕焼け」に登場する 娘の姿を思い出します。
満員電車の中で 娘は 立っているとしよりに 二度席を譲ります。
しかし 三度目に自分の前に押し出されてきたとしよりには席を譲りませんでした。
娘は うつむいたまま 下唇をキュッと噛んで 身体をこわばらせて 座り続けます。
……
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。
やさしい心の持主は、それを行動であらわせない時にも やさしい心に責められる。
誠実な心の持ち主も、同様なのだと思います。
誠実な生き方を求めるが故に 誠実でない自分を責めてしまうのでしょう。
不完全な人間であるからこそ、求めるものとの遠さを感じてしまう。
その遠さを意識しながら生きることが、誠実に生きるという姿勢なのかもしれません。
そこで感じる痛みや辛さが、現実の人間としてのありようを気づかせてくれているように
感じます。
私の好きな雪の詩を もう一つ紹介します。
つもった雪
金子 みすゞ
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面も見えないで。