演劇鑑賞会の4月例会があり、素劇「楢山節考」を観てきました。
素劇とは、観る者の想像力で色や形を補うという 舞台設営や服装等を簡略化し、観客の思いやイメージで視覚的世界を
形作ってもらう手法 とのことです。
従って、登場人物は、全員黒い衣装で使う道具も、黒い箱・白いロープ・小枝・雪の紙吹雪・白い布といったモノでした。
そういった表現手法に違和感は感じなかったのですが、なにか物足りなさも感じました。
主人公:おりん の暮らす 山また山の向こうにある村では、70歳になると「楢山まいり」という さらに山また山を越える
死出の旅に 出かけなければなりません。
限られた食料しか手に入らない貧しい村にとって、食い扶持を減らすためにつくられ守られてきた掟でもあったのです。
家族思いで 懸命に働いてきた「おりん」は、お山に行く日を心静かに待ちます。
一方 「生きたい」「食べたい」と切望する 隣に住む「又やん」は、お山に行く日が来るのを怖れ 引き伸ばしを図ります。
「死」の覚悟ができた「おりん」と 「生」にとらわれる「又やん」。
対照的な二人の態度は、生きるということにおいて 人間誰もが持つ 揺れ動く 両極端の思いなのかもしれません。
年老いた自分が 潔く身を引き 生まれてくる若い命に 生きる席を譲るべきなのか、それとも 生きたいという本能に従って生き
続けるべきなのか。
「おりん」は、自らの死が 食い扶持を減らし子や孫を生かすことにつながるという大義の下に 死を受け入れます。
しかし、その息子の辰平には、そういった母の 自分たち家族によせる思いを痛いほどわかっているからこそ、母を背負って「楢山まいり」
に行くことは胸が張り裂けるほど辛く悲しい道行きだったのだと思います。
飢えた子供に食べさせるために村の食料を盗んだ男とその家族が、罰せられて埋められてしまうという出来事がありました。
村人たちの生死を左右する食料を盗むという行為は、決して許されない行為でもあったのです。
そこで生きるために、そこで生きている人の「死」が正当化されてしまう理不尽さ。
「楢山まいり」は、それを象徴する儀式でもあったのでしょう。
「楢山まいり」に行った「おりん」と「又やん」は 最期の時を迎えます。
降り始めた雪が その命を慈しむように「おりん」を優しく包み込みます。
対照的に 生きたいと最後まで願った「又やん」は、息子の手によって打ち殺されてしまいます。
死に至るプロセスが対照的であっても、二つの尊い命が失われてしまったのです。
もしも、二人の暮らす村が、食料に不自由しない豊かな村であったなら、「楢山まいり」のような掟は、なかったことでしょう。
死は、生きていてたどり着く自然な最終地点としてとらえられ、「おりん」はもちろん、「又やん」も穏やかに最期の時を迎えることができた
のではないでしょうか。
人生の最期に迎える死は、決して 人の手や 罰則や掟のような約束事で 決められるものであってはならないのだと思います。
同時に、この物語のように 理不尽な形で死を迎える状況をつくる社会であってはならないのだと考えます。
今の時代にあっても 餓死や孤独死といった 悲惨なニュースを耳にします。
死に至る前に そういった窮地にある人に対して 手を差し伸べることのできる 一人の隣人であり、死の淵から救うことのできる社会であり
たいものだと 心から感じます。
老いることは、必然的に死を身近に感じることでもあります。
そして、死は誰にでもやがて訪れるゴールでもあります。
「おりん」は、その摂理を理解し死を受け容れながら 他を生かすための「死」に殉じました。
「又やん」は、「生」にとらわれ その先にある「死」を受け容れることができないまま 逝ってしまいました。
二人から学ぶのは、「生」を肯定しながら「死」を受け容れるという構えの大切さです。
それは、与えられた命を全うすることで、「死」というゴールにたどりつくができる という死生観でもあるのだと思います。
どんな人生の締めくくりができるかわかりませんが、死を恐れて後ろ向きにならず、今という生きている時間を慈しみながら歩んでいくという
前向きで能動的な人生の軌跡を描いていきたいものだと思いました。
素劇とは、観る者の想像力で色や形を補うという 舞台設営や服装等を簡略化し、観客の思いやイメージで視覚的世界を
形作ってもらう手法 とのことです。
従って、登場人物は、全員黒い衣装で使う道具も、黒い箱・白いロープ・小枝・雪の紙吹雪・白い布といったモノでした。
そういった表現手法に違和感は感じなかったのですが、なにか物足りなさも感じました。
主人公:おりん の暮らす 山また山の向こうにある村では、70歳になると「楢山まいり」という さらに山また山を越える
死出の旅に 出かけなければなりません。
限られた食料しか手に入らない貧しい村にとって、食い扶持を減らすためにつくられ守られてきた掟でもあったのです。
家族思いで 懸命に働いてきた「おりん」は、お山に行く日を心静かに待ちます。
一方 「生きたい」「食べたい」と切望する 隣に住む「又やん」は、お山に行く日が来るのを怖れ 引き伸ばしを図ります。
「死」の覚悟ができた「おりん」と 「生」にとらわれる「又やん」。
対照的な二人の態度は、生きるということにおいて 人間誰もが持つ 揺れ動く 両極端の思いなのかもしれません。
年老いた自分が 潔く身を引き 生まれてくる若い命に 生きる席を譲るべきなのか、それとも 生きたいという本能に従って生き
続けるべきなのか。
「おりん」は、自らの死が 食い扶持を減らし子や孫を生かすことにつながるという大義の下に 死を受け入れます。
しかし、その息子の辰平には、そういった母の 自分たち家族によせる思いを痛いほどわかっているからこそ、母を背負って「楢山まいり」
に行くことは胸が張り裂けるほど辛く悲しい道行きだったのだと思います。
飢えた子供に食べさせるために村の食料を盗んだ男とその家族が、罰せられて埋められてしまうという出来事がありました。
村人たちの生死を左右する食料を盗むという行為は、決して許されない行為でもあったのです。
そこで生きるために、そこで生きている人の「死」が正当化されてしまう理不尽さ。
「楢山まいり」は、それを象徴する儀式でもあったのでしょう。
「楢山まいり」に行った「おりん」と「又やん」は 最期の時を迎えます。
降り始めた雪が その命を慈しむように「おりん」を優しく包み込みます。
対照的に 生きたいと最後まで願った「又やん」は、息子の手によって打ち殺されてしまいます。
死に至るプロセスが対照的であっても、二つの尊い命が失われてしまったのです。
もしも、二人の暮らす村が、食料に不自由しない豊かな村であったなら、「楢山まいり」のような掟は、なかったことでしょう。
死は、生きていてたどり着く自然な最終地点としてとらえられ、「おりん」はもちろん、「又やん」も穏やかに最期の時を迎えることができた
のではないでしょうか。
人生の最期に迎える死は、決して 人の手や 罰則や掟のような約束事で 決められるものであってはならないのだと思います。
同時に、この物語のように 理不尽な形で死を迎える状況をつくる社会であってはならないのだと考えます。
今の時代にあっても 餓死や孤独死といった 悲惨なニュースを耳にします。
死に至る前に そういった窮地にある人に対して 手を差し伸べることのできる 一人の隣人であり、死の淵から救うことのできる社会であり
たいものだと 心から感じます。
老いることは、必然的に死を身近に感じることでもあります。
そして、死は誰にでもやがて訪れるゴールでもあります。
「おりん」は、その摂理を理解し死を受け容れながら 他を生かすための「死」に殉じました。
「又やん」は、「生」にとらわれ その先にある「死」を受け容れることができないまま 逝ってしまいました。
二人から学ぶのは、「生」を肯定しながら「死」を受け容れるという構えの大切さです。
それは、与えられた命を全うすることで、「死」というゴールにたどりつくができる という死生観でもあるのだと思います。
どんな人生の締めくくりができるかわかりませんが、死を恐れて後ろ向きにならず、今という生きている時間を慈しみながら歩んでいくという
前向きで能動的な人生の軌跡を描いていきたいものだと思いました。