時間は宇宙的、物理的、生物的、心理的あるいは経済的時間などいくらでも分類できる。ここでは生物的時間について考えてみる。
『生物学者の思索と遍歴 / 八杉龍一著』より転載
進化は逆戻りしないといわれているので、一応ここでは時間は直線的に一方向に流れる(時間の矢)。そして個体(ヒト)レベルでは発生のプログラムに従って生まれ育ち、最後は老化して死ぬ(時間の矢)。これも後戻りはない。しかし、途中で生殖し子供を生むので、種としてのサイクル(環)がみられる。すなわち、誕生→死によって個体は死ぬが、子孫が残り、これが繰り返される。これを進化軸を上向きにとって図式化すると、螺旋が描ける。さらに細かくみると、地球上では、生物は周期的な変化(日周性、年周期、月周期、ほぼ半月の潮汐周期など)にさらされており、体内にはこれに適応的に働く生物時計の仕組みを備えている。図の螺旋の線自体が、螺旋のバネのような構造になっている。生物の時間とはこのように、直線と環が組み合わさってできたものと考えればよい。
追記 (2019/08/02)
スティーヴン・グールド『時間の矢・時間の環』(渡辺政隆訳、工作舎 1990)は、チャールズ・ライエルの地球の歴史にかかわる「斉一説」について論じたものであるが、時間の矢と環についても詳細な議論を展開している。「矢か環か?」の二分法は、そもそもどちらが正しいかの選択を前提にしたものではなく、弁証法的な方法であると述べている。 時間の矢は聖書の思想であり、ユダヤの教えであるとする。それ以外の世界では時間の循環という考え方であった。
「矢の時間」では歴史は反復しない事象の一方向の連続で、各一瞬は時間の流れのなかで、独特の位置を占め、関連した出来事が流れ物語が作られる。一方、「環の時間」では根本的な状態は時間に内在し、見かけの運動は反復する環の一部であり、様々な過去が、未来で再び現実のものとして繰り返される。そこでは時間は方向性はない。因果律は短い時間ではあるが長い時間ではなくなるという不思議がある。
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