神里達博『リスクの正体-研究不正—事実と虚構の壁が溶けたか』岩波新書1836 2020
このエッセーはユニークな研究不正考である。一章をとって問題にしたのは、東洋英和女学院の元院長F氏の不正論文事件であった。
F氏の著作に重大な疑義があるとされ、同女学院が調査委員会をつくった。その結果、著書と論考に、他人の論文の盗用と内容の捏造があることが明らかになった。具体的には著書は『ヴァイマールの聖なる政治的精神-ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』(岩波書店、2012 年 196-199 頁)で、論考は「エルンスト・トレルチの家計簿」(『図書』岩波書店、2015 年 8 月号 20-25 頁)であった。研究と発表は、同学院でのものではなく別の大学に在職中に行われたものであった。
盗用はよくある話しだが、引用文献や資料の捏造はめったにない。科学論文でいうと、データーの捏造に該当する行為である(ただ、調べればすぐウソが判明するのだが)。学長は 2019 年 3 月 で、本件にかかわる著書及び論考の出版社に対し、書籍の回収、論考についての訂正・お詫びの掲載の措置を求める勧告を行なった。そして、2019 年 5 月 の臨時理事会でF教授の懲戒解雇処分を決定した。
盗用は10ヶ所もあるので、ウッカリではすまされない話しだが、ボケてましたとかいえる。しかし、捏造はまったく言い逃れができない。F氏は多数の著書、翻訳書を刊行し、学術受賞も多い実力者である。どうして、こんな馬鹿げた事をしたのであろうか?
掲書の著者は谷崎潤一郎の小説『春琴抄』を援用して、F氏が「実はあの本はある種の小説だったのです。新しい文学表現の実験でした」と弁明していたのではないかと述べている。無論、一種の諧謔であるが、これによって、このエッセイが単なる不正事件の報告に終わらず、気の利いた文化悪口になっている。
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