2009年8月10日(月曜日)
台風9号は西日本各地に大きな被害を
もたらした。
避難勧告に従い、行動したために
濁流に命を奪われてしまう結果となった佐用町。
住宅には各家に防災無線が配備されていたという。
家ごと濁流にのみこまれてしまうかもしれないという
パニック状態の中で、状況を見極め判断を下すのは
本当に難しいと思う。
これまでの災害の教訓が役立たないほど
自然災害の力が強大になっているのだろうか。
台風の規模でいえば、過去最大のものを
はるかに超えているわけでもない。
被害の規模が減少してきているのも事実だ。
テレビや防災無線、防災マップなどの普及によって
いちはやく、気象情報や災害から身を守るすべも
伝えられるようになっている。
すこしでも被害をすくなくするためには
警戒を怠らないことが必要だ。
台風9号は、このあとも、紀伊半島から
伊豆諸島に進んでいくと予報されている。
台風による過去最大の被害は
1959年9月26日に上陸した伊勢湾台風である。
死者 4,697人 負傷者 38,921人
全半壊・流失があわせて 153,890棟
となっている。
気象庁のホームページの台風による災害の例 ↓
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/6-1.html
伊勢湾台風の時、9歳だったわたしは
父・ナオゾウさんからコンコンと
説明を受けていた。
台風がひどくなってきたら、三和銀行に
避難することになる。
家族がバラバラになっても心配しないように、
三和銀行(今の市立博物館)で待っていれば
必ず迎えに行くから・・・と
リュックにおにぎりと懐中電灯を入れ、
水筒をさげて、ワクワク・ドキドキしていた。
はやく三和銀行に避難したかったのである。
心配でドキドキしてたわけではなく
和子ちゃんも来るやろか・・・とか
なにしてあそぼかな・・・なんてことばかり
考えて、ワクワクしてたわたし・・・
寺田寅彦や中谷宇吉郎に心酔していたナオゾウさんは
やたら、気象に詳しくて、
ラジオから流れてくる
「鳥島では南南西の風、風力3・・・」とかを
ききながら、地図に記号を記入していくのである。
たしか授業でもラジオを聞きながら
地図に書き込むのをした覚えがあるなぁ。
台風が近づいてくると、近所の人が
まだ戸板を打ちつけんでもええやろか・・・
と、父に聞きに来るぐらいだった。
台風の中、
空を見上げ雲の流れを観察している父は
うれしそうでさえあった。
今の時代だったら、きっと気象予報士に
なっていたかもしれないね・・・と
タミヨさんは天気予報を見るたびにつぶやく。
さて、まるで遠足気分で避難するのを
今か今かと待ちわびていたけれど、
結局、避難することはなかった。
一夜明けて、リュックのおにぎりは、
朝ごはんとなった。
そんな話をあれこれタミヨさんとしていたら
敦賀はほかのとこに比べて台風やら地震やら
天災が少ないさけ、原発ができたんにゃでと
言い出すタミヨさん。
風光明媚で天災もなく・・・ってのも
良し悪しやでなぁ
ところで訓読み大好きな麻生さん、
台風の爪痕・・・はなんて読むのかな?