2011年6月18日(土曜日)
今日の読売新聞(大阪発)より
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1308157048996_02/news/20110618-OYT8T00083.htm
自治のカタチ 第2部 地方議会
〈5〉原発安易に切り離せない
大震災、新たな課題
東日本大震災や福島原子力発電所の事故は、各地の議員にも衝撃を与えた。
「皆さんが『安全』と言えば言うほど不安になる」
福井県敦賀市。
日本で初めて40年運転に入った敦賀原発1号機を含め3基が立地する。
7日の市議会で原子炉の安全性を強調する国の担当者に、
今大地(こんだいじ)晴美(60)がかみついた。
4月の市議選で、4期目を目指した今大地は
福島原発事故を受けて「脱原発」を訴えた。
これまで「市民派」として原発には慎重だったが、
公約に掲げたのは初めてだった。
交付金など原発関連収入が歳入の2割を占め、
市民の3割が原発関連の仕事に就くとされる同市で、
脱原発を唱えたのは共産市議2人と今大地だけ。
街頭では「原発を止めたら生活はどうなるんだ」と詰め寄られた。
前回選で握手を求めてきた人も「ごめんなさい」と目を合わさなくなった。
1334票集めて当選したが、前回より151票減らした。
原発を受け入れてきた市の歴史を実感した。
今すぐ原発を止めるのが難しいのも分かっている。
ただ、
「いったん立ち止まり、これからの街について市民と考えたい」と話す。
原発を積極的に推進してきた市議らも揺れ動く。
「安全神話は崩れた」
7日の市議会では、推進派市議からもこれまでにない厳しい言葉が飛んだ。
しかし、ほかに大きな産業はない。
将来を考えれば原発は簡単に切り離せない。
ある市議は言う。
「代替エネルギーが見つからない中で、安易に脱原発とは言えない。
ただ、市民に不安が広がっているのは事実。
安全対策をいっそう強く求めるしかない」
◎
津波対策も突きつけられる。
東南海・南海地震による津波被害が懸念される和歌山県田辺市で5月中旬、
市と住民の緊急の意見交換会が開かれた。
町内会長らが「逃げたくても高台がない」「避難ビルを造って」と
口々に対策強化を訴えた。
被災地の惨状を知り、切実さを増していた。
1946年の昭和南海地震で多数の死者が出た同市だが、
今回の震災では避難指示が出たのに避難率は4%に満たなかった。
市議の小川浩樹(44)は6月初め、
同市と地形が似た岩手県陸前高田市に入った。
壊滅した街に絶句した。
傍聴した意見交換会を思い出し、
「避難ルートや場所の整備など取り組むべき課題は多い。
私たち議員もこれまで甘かった。
住民の危機感の高まりを市に伝え、実現するのが議員の使命だ」と誓った。
被災地でも議員が奔走する。
津波で市街地の65%が浸水した宮城県東松島市。
市議の菅原節郎(60)は自宅を流され、妻子を失った。
それでも、「つらいのは私だけじゃない」と避難所を巡る。
被災者の要望に耳を傾けるのが日課だ。
「集落単位の高台移転でコミュニティーを守ってほしいと望む声が多い。
そんな声を伝え、津波に強い街づくりにどう生かすか。
議員の力が問われている」
震災100日の18日から市が着手する復興計画づくりで、
市民の思いをぶつけるつもりだ。
「3・11」で浮かんだ地域の課題。
克服に向け、議員は住民と向き合う。(敬称略、おわり)
(この連載は十郎浩史、祝迫博、南省至、山本慶史、沢野未来が担当しました)