今週末には、夏のドリームレースである「第65回 宝塚記念」が行われますが、ワタクシにとって、真のドリームレースとして記憶に残っているのは「1977年の第18回 宝塚記念」。
この頃は、まだGⅠという格付がない時代であり、3歳馬にとってはクラシックレースと呼ばれた5つのレース(皐月賞・ダービー・菊花賞・桜花賞・オークス)と、4歳以上の古馬にとっては春秋の天皇賞と有馬記念の3レース、合わせて8つのレースが八大競走として別格に位置付けられていました。夏に行われていた宝塚記念と高松宮杯(=現在の高松宮記念)の2レースは、その次位に位置付けられていたレースでありました。
それでも、この年の宝塚記念は、とんでもなく豪華な顔ぶれによるドリームレースでした。出走頭数はわずか6頭と少なかったのですが、あのトウショウボーイとテンポイントのJRA顕彰馬2頭に、菊花賞・天皇賞春・有馬記念を制したグリーングラス、ダービー馬クライムカイザー、1年前の天皇賞秋を勝ったアイフル、この年の天皇賞秋を勝つホクトボーイという、6頭の名馬によるドリームレース。アイフル以外は、トウショウボーイとテンポイントと同期の黄金世代の馬たちでありました。
レースはスタートから激しい展開になりました。逃げるトウショウボーイに、併せ馬のように並びかけるテンポイント。この2頭の激しい競り合いが最後まで続くマッチレースとなりました。
阪神芝2200mですから、そんなレースを続けていたら、この2頭が消耗しきってそのまま潰れてしまうのが普通ですが、このスーパーホース2頭は違いました。結局、スタートからゴールまで、ずっと激しく競り合ったままレースを終えたのです。まさに死闘のマッチレースでありました。結果は、逃げたトウショウボーイがテンポイントの追い上げを許さず、3/4馬身差をつけて完勝。
この2頭のマッチレースは、1976年と1977年の有馬記念が有名ですが、実は最も見応えがあったマッチレースは、この第18回の宝塚記念でありました。
令和の時代の近代競馬では、もうあんな凄いマッチレースは見ることはできないと思います。
さて、今年の宝塚記念は記憶に残るような素晴らしいレースになるのか?
しっかり見届けたいと思います。