金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【養老先生の死生観】 自らの死は意味を持たない。死は周囲の人に対してのみ意味を持つ。

2023-11-16 01:03:57 | 終活

 さすが、養老先生「解剖学の権威」にして「知の巨人」であります。

 その死生観を聞いていると、胸の痞えがスッキリ取れてしまいます。

 

「自らの死体を見ることができないように、自らの死を認識することはできない。当たり前だが、自分の死は自分の生き方に何の影響も与えない。個々人にとって『自らの死』は意味を持たず、まぁどうにでもなってくれといった事象。それを考えても仕方がない。いつか必ず人間は死ぬが、その時まで今を大切に生きていけば良い」

 

「あなたの死はあなたにとって意味を持たないが、家族や友人など周囲の人々にとって意味を持つ。悲しい、寂しい、あるいは死後に隠し子が出てきて大騒ぎが起きて、その迷惑に怒りがこみ上げたりと、周囲の人々にとって、その死は影響を与えるもの」

 

「一方、赤の他人にとっては、その死はまた何の意味も持たない。あ、そう・・という感じで、すぐに忘れ去られる。したがって、人の死は、「一人称」でも「三人称」でもなく「二人称」なのである」

 

 この考えを聞いて、自分も『終活』の意味を考え直しました。最初は、自分がやり残したことをやり尽くすことばかり考えていましたが、もちろん、それも重要ですが、それ以上に重要なことは、家族や友人に迷惑をかけないように、できることは事前にすべて「整えておく」こと。これをしておかないと、自分が死んだときに、大事な家族や親せき、親しかった友人たちから「ろくでなし!」と罵られることになります。

 死んだあとなのだから、それはそれで良いのかもしれませんが、少なくとも、死ぬ直前まで、そのことが気になって安らかに死に切れません

 という訳で、ワタクシの場合、まずは、「お墓」であります。

 自分は次男なので「お墓」がまだありません(続く)

 

 


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