金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【経営の神様 故稲盛和夫氏を悼む】 全人格をかけて贅沢を嫌い、権力の腐敗を恥じた偉人!

2022-09-06 05:36:58 | 金融マーケット

 先週、京セラおよびAUの創業者にして、破綻したJALを立て直した稲盛和夫氏が亡くなりました。故松下幸之助氏同様に、この方にも『経営の神様』という称号が使われておりました。それだけ、稲盛氏を経営の師と仰ぐ経済人が多かったということなのでしょう。

 

 

 これだけ多方面から信奉者を集めていたのは、もちろん卓越した経営手腕が最大の理由でしょうが、その他にも、人を引き付けて止まない理由があったのだと思います。

 

 第1に、全人格をかけて「贅沢」を嫌ったこと。これは、かつて「プレジデント」誌に紹介されていたエピソードですが、大事な接待の場になればなるほど、その場所に何と「吉野家」を選んでいたそうです。

 京セラがスポンサーを務めていたサッカーチーム「京都サンガ」を梃入れするため、当時のスター選手であるラモス瑠偉選手を招聘する際も、選んだ場所が「吉野家 有楽町店」。数ある吉野家のお店の中でも、有楽町店はお客の回転が良いため、常に「牛丼」をベストの状態で供することが出来る数少ないお店であることを知っていて、敢えて有楽町店を選んだそうです。まずは、「牛丼のツユダク」をそれぞれ注文したあと、それを食べ終わると、今度は「牛皿」を注文して、1つの皿を二人でつつく。最後の一片を「どうぞ」と譲られて、ラモス選手が恐縮しながら食べると宴席は終了。

 経営の神様と二人で、吉野家のカウンターで牛皿をつつく。こんな経験が出来たら、誰でも、いっぺんに稲盛さんの大ファンになってしまいますよね。こんな接待が出来るのは、稲盛さんしか存在しないと思います。なお、京都府知事との宴席でも、京都市内の「吉野家」を使ったそうです。

 

 第2に、権力を長く持ち過ぎると、その人や組織自体が腐敗することをよく知っていて、これを自ら恥じた人であったこと。自ら創業した京セラについても、2004年の72歳で経営の第一線から退きます。また政治についても、自由民主党だけが政権を執り続けることに警報を鳴らして、政権交代可能な保守政党として民主党を支援しました。そのハートの根底には、長く続く「権力」「権威」に対する猛烈な反発心があったのだと思います。

 

 戦後の日本経済を立て直した偉人が、また一人、逝ってしまいました。

 お疲れさまでした。ゆっくりお休み下さい。 合掌

 

 

【補足】吉野家の牛丼について

 ところで、このワタクシも40代の後半になるまで「自分の身体の95%は吉野家の牛丼で出来ている」と豪語するほど、吉野家で毎日、晩ご飯を食べ続けていた「吉野家フリーク」でありました。上記で「吉野家 有楽町店」のパフォーマンスが良いということに気づいておられた稲盛氏もまた、相当な「吉野家フリーク」だったのだと思います。

 ちなみに、吉野家の牛丼のパフォーマンスが落ちたのは、松屋に押され始めて、いつの間にか、メニューを増やした頃から。原因は、原材料が悪くなった訳ではないし、店員さんの手際が悪くなった訳ではありません。一番の原因は、牛丼の回転率が悪くなったから

 吉野家の牛丼は、お店の中で、独特の大きな鍋で作り、中身が無くなりそうになると、もう一つの鍋で作り、絶妙なタイミングでローテーションを図りながら、配膳をしています。かつては、牛丼単品メニューでしたから、この回転率が非常に高く、大鍋で作ってから、相応のタイミングですべての牛丼が供されていました。したがって、毎回ほぼ同じ味、同じ食感でありました。しかし、現在のメインメニューは各種定食ですので、牛丼は one of them メニューに格下げ状態。上記の絶妙なローテーションが実現できなくなっているのです。結果、まだ味が滲み渡っていなかったり、逆に煮過ぎて肉がパサパサになっていたり‥という残念なケースが散見されます。

 なお、上記の「吉野家 有楽町店」は、JR有楽町駅出口の真横にあって、抜群の回転率を誇っており、また古くからの吉野家ファンが繰り返し通う知る人ぞ知る特別なお店。ここに、稲盛さんが足繫く通っていたとは、まずますファンになってしまいました。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【重賞回顧】 新潟記念・札幌... | トップ | 【円ドル相場の行方②】 24年... »
最新の画像もっと見る

金融マーケット」カテゴリの最新記事