養老先生と福岡先生の対談はホントにそそられる。
「せいめいのはなし」の140ページに、
「・・・中略・・はっと気づいたことがあるんです。ひょっとすると、
そんなことじゃなくて、秩序を見てしまうということは、
もっとなにか生命の成り立ちとしての制限から来るものかもしれないなと。
何かお考えはおありでしょうか?」という福岡先生の発言。
それに対し、養老先生は、
「それが『お考え』がないんですよ(笑い)
どうして脳が秩序を持ちたがるのかは前から不思議に思っていました。
・・・後略」
養老先生は本当に面白い。軽い。
幾つか前に書いたけど、なんで、セーターが虫にやられたんだろ?とか、
なんで頭痛になんかなったんだろ、とか
なんであの時あんなことしちゃったんだろ、とか
・・・こういう意識になることがよくあると思うんだけど、
こう思いましょうとして思うわけじゃないのは無論。
自然と(そうなったわけを探したくなる)という癖が私たちにはある。
「なんでこうなるの!?」前に欽ちゃんの番組でこういうのあったね、確か。
こういう思考って、秩序を求めてしまうということと思う。
秩序を求めたく“なる” 求めたいと意識的に思ってないのに、
求めたく“なってしまう”というのは、
福岡先生の言うように、生命の成り立ちとしての制限から来るもの、
それなんじゃないか・・・
「成り立ちとしての制限」、うまい表現だね~
「なんで頭痛になんかなったんだろ?」
なんでこう“なった”のかと思うのは、
そう“なった”プロセスを知って、次はそう“ならない”ようにしたい、
という無意識のうちの意志があるからだ。
経験したくない経験をもうしないで済むように、
そのプロセスを知りたいと無意識のうちに私たちは願ってしまう。
願いたくて願うわけじゃない。
生命の成り立ちとしての制限だ。
「幸福でいたい、快適でいたい」となってしまう生命の成り立ちとしての制限。
・・・こういうことなんじゃないだろうか・・・と、
私は考えたのでありました。
「せいめいのはなし」の140ページに、
「・・・中略・・はっと気づいたことがあるんです。ひょっとすると、
そんなことじゃなくて、秩序を見てしまうということは、
もっとなにか生命の成り立ちとしての制限から来るものかもしれないなと。
何かお考えはおありでしょうか?」という福岡先生の発言。
それに対し、養老先生は、
「それが『お考え』がないんですよ(笑い)
どうして脳が秩序を持ちたがるのかは前から不思議に思っていました。
・・・後略」
養老先生は本当に面白い。軽い。
幾つか前に書いたけど、なんで、セーターが虫にやられたんだろ?とか、
なんで頭痛になんかなったんだろ、とか
なんであの時あんなことしちゃったんだろ、とか
・・・こういう意識になることがよくあると思うんだけど、
こう思いましょうとして思うわけじゃないのは無論。
自然と(そうなったわけを探したくなる)という癖が私たちにはある。
「なんでこうなるの!?」前に欽ちゃんの番組でこういうのあったね、確か。
こういう思考って、秩序を求めてしまうということと思う。
秩序を求めたく“なる” 求めたいと意識的に思ってないのに、
求めたく“なってしまう”というのは、
福岡先生の言うように、生命の成り立ちとしての制限から来るもの、
それなんじゃないか・・・
「成り立ちとしての制限」、うまい表現だね~
「なんで頭痛になんかなったんだろ?」
なんでこう“なった”のかと思うのは、
そう“なった”プロセスを知って、次はそう“ならない”ようにしたい、
という無意識のうちの意志があるからだ。
経験したくない経験をもうしないで済むように、
そのプロセスを知りたいと無意識のうちに私たちは願ってしまう。
願いたくて願うわけじゃない。
生命の成り立ちとしての制限だ。
「幸福でいたい、快適でいたい」となってしまう生命の成り立ちとしての制限。
・・・こういうことなんじゃないだろうか・・・と、
私は考えたのでありました。