ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「何かお考えがおありでしょうか」

2012-06-22 19:18:33 | 本を読んで
養老先生と福岡先生の対談はホントにそそられる。

「せいめいのはなし」の140ページに、

「・・・中略・・はっと気づいたことがあるんです。ひょっとすると、

そんなことじゃなくて、秩序を見てしまうということは、

もっとなにか生命の成り立ちとしての制限から来るものかもしれないなと。

何かお考えはおありでしょうか?」という福岡先生の発言。

それに対し、養老先生は、

「それが『お考え』がないんですよ(笑い)

どうして脳が秩序を持ちたがるのかは前から不思議に思っていました。

・・・後略」

養老先生は本当に面白い。軽い。

幾つか前に書いたけど、なんで、セーターが虫にやられたんだろ?とか、

なんで頭痛になんかなったんだろ、とか

なんであの時あんなことしちゃったんだろ、とか

・・・こういう意識になることがよくあると思うんだけど、

こう思いましょうとして思うわけじゃないのは無論。

自然と(そうなったわけを探したくなる)という癖が私たちにはある。

「なんでこうなるの!?」前に欽ちゃんの番組でこういうのあったね、確か。

こういう思考って、秩序を求めてしまうということと思う。

秩序を求めたく“なる” 求めたいと意識的に思ってないのに、

求めたく“なってしまう”というのは、

福岡先生の言うように、生命の成り立ちとしての制限から来るもの、

それなんじゃないか・・・

「成り立ちとしての制限」、うまい表現だね~


「なんで頭痛になんかなったんだろ?」

なんでこう“なった”のかと思うのは、

そう“なった”プロセスを知って、次はそう“ならない”ようにしたい、

という無意識のうちの意志があるからだ。

経験したくない経験をもうしないで済むように、

そのプロセスを知りたいと無意識のうちに私たちは願ってしまう。

願いたくて願うわけじゃない。

生命の成り立ちとしての制限だ。

「幸福でいたい、快適でいたい」となってしまう生命の成り立ちとしての制限。

・・・こういうことなんじゃないだろうか・・・と、

私は考えたのでありました。





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雨のち晴れ ③(「一瞬の平衡状態」)

2012-06-22 16:39:11 | 本を読んで
「せいめいのはなし」の中の福岡先生の言葉。

「あるとき一瞬に平衡状態をとる。

それがその時々の意識や注意といったものなのかもしれないです。

・・中略・・秩序だっていないのが通常の脳の状態ということにもなります。

・・中略・・脳の状態の大半は、動的な非平衡状態で、ある一瞬だけ平衡状態が起こる。

しかもそれは時間の流れの中のほんの一瞬であって、

『あ、いま渦がきれいに見えましたね』『そうだね』

『あ、もう消えてる』というほどに瞬間的なものなんですよね」


この文章に続くのが、

「そのイメージが、ダ・ビンチのデッサンになったり、

ピカソの絵画になったり、ある種の文字になったりするのかもしれない。

それは個人的な平衡状態のはずなのに、万人に通じていく」

「おそらく誰もがある瞬間に、その平衡状態を作り出せるものだと思う。

でもなかなか自覚できずに気付かないままやりすごしてしまうことがほとんど。

だから特殊な記憶力を持つようなひとが

その状態をバシッと捉えて見せてくれると、なるほどと思える」

ひとの文章を読んでうんうん、そうそう、そうだよね~と、

なるのもそういうことかと思う。

自覚のない人もそれを読んで自覚が生まれる。


・・脳の一瞬の平衡状態ということで、いろいろと福岡先生は考えているようだ。

脳という物質の動きの前に意識という物質ではない動きがあると、

私は考えているんだけど、

そして、誰もがある瞬間に、その平衡状態を作り出せると、

福岡先生は書いていて、その通りだろうし、

私たちはだいたいが朝から晩まで生きて動いているものなので、

行為の前には必ず意志が働いているし、

しょっちゅう、そういうことは当たり前に起こっているのだと思う。

細胞が一瞬も止まることなく、

動的平衡と動的非平衡を繰り返しているように、

生命である意識も同じような状態かと思う。


ベンジャミン・リベットさんの実験・・

(被験者の脳の活動が、意識的に動作を決定するおおよそ1/3秒前に開始したことを発見した。

これは、実際の決定がまず潜在意識でなされており、

それから意識的決定へと翻訳されていることを暗示している。)

これは何かをしようとする前に、

その意志が本当に、明日に繋がる今に調和という状態を作り出せるかどうかという、

意志の検閲時間が意識には存在するということだと思うんだけど、

そういう意識の平衡状態が、現象界にも平衡、調和を齎すのかと思う。

真に自由な意志が調和ある世界を齎すのかと思う。

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雨のち晴れ ②

2012-06-22 15:20:05 | ひとの幸福
さっき表現したのは自分の意識観察。

畑に行って帰って来たという出来事での意識の流れを、

その時を思い出して書いてみた。


(~しよう)というのが動的ではあるけど、平衡状態。

(~しよう)と(~しよう)の間の意識は非平衡状態。

・・こうなのではないか。


意識は、動的平衡状態→動的非平衡状態→動的平衡状態→ というサイクルにある。

意識が(~しよう)となるのは、

細胞が「あなたが心臓になるのなら、私は肺になりましょう」

・・というような、「それならそれで」と他との調和を図って、

自らも進んで行きたいという意志なのではないだろうか。

晴れてきた空を見て、(そうだ、洗濯物外へ出そう)となったのは、

洗濯物をさっぱりと乾かしたい、という意志と、

その時の青空とが調和した状態。

それならそれで・・・青空なら、外へ・・という意志。

それでも、私はそれを他のことに気をとられ、忘れた。

動的平衡というだけのことはある・・んじゃなくて、

意識は動的なものなのである。


トンネル往復付き畑行きコースを歩こう、トンネルは歩かず行こう、

黄ばんだ葉は取ろう、シソの葉を採ろう、

カメムシをやっつけよう、

芽かきしよう、観よう、帰ろう、洗濯物を外へ出そう、

こういう意志はその時の周りの状況や、起こりうる可能性を考え、

それに関係するいろいろをそれならそれでと受け入れて、

考えられる範囲だけれど、それらと調和してやって行こう、

そういう平衡状態を意識は見出した、

そういうことなんじゃないだろうか・・・

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雨のち晴れ

2012-06-22 14:45:53 | 日々の暮らし・思い出
今朝起きたときは雨が降っていた。

その後の天気予報も雨模様みたいだった。

歩きには行かないか、なんて思って、連続ドラマ見たりしていた。

終わった頃、雨が止んでいたので、歩きに行こうと思って、

日焼け止めクリーム塗っていたら、

夫が「キュウリを採りに行って来る」と声かけてきた。

それを聞いて、(そうだ、歩きコースを変えて、

畑に向かうバイパスを歩こう、私も畑に行こう)が浮かんだ。

歩き出して、T字路に来た。右へ行けば畑、左がトンネル。

(畑まで行くのに、トンネルの往復を入れた方が歩く距離としてはいつもの道と同じくらいになる)

が浮かんだ。(左に行ってトンネルを往復して、それから畑に向かおう)

と思って、左へ歩き出した。

・・歩いていたら、(早く畑に着いて、私がキュウリを採れば、

夫はもっと他のことが出来るな)が浮かんだ。

畑に行くとやりたいことが次々出てくるのは私も知ってるし・・・

次に(トンネルの往復はやめよう)が浮かんだ。

トンネルの手前でくるっと方向転換した。

バイパスを歩いていると、昨日のブログの続きやら、なにやら、

いろいろなことが頭に浮かぶ。

畑に着くとキュウリを採ったり、シソの葉を摘んだり、

キュウリの黄ばんだ葉を取ったり、黒カメムシをやっつけたり、

トマトの芽かきをしたり、他の野菜を鑑賞したりした。

こういう行為の前にはそれぞれ全部、(この位の大きさで採るか)

(黄ばんだのは取る方がいいと隣のYさんが言ってたな、取ろう)

(やっつけよう)(芽かきしよう)(観よう)

というのがある。

そのうちに凄くいい天気になって来た。

青い空が広がって来た。

暑くなったし、用も済んだので帰ろうとなった。

帰りの軽トラの中で、「そうだ!洗濯物外へ干そう!」と私は言った。

家に着くと庭が目に入る・・・バラの枝の先っぽが虫にやられてる!

(どうなっているか、よく見よう)・・で、それなりの行為をすることになり、

やって、一応済むと、今度は昨日植え替えた多肉植物を観てみたり、

(この位の大きさになったら、摘むか・・)となって、

シソの葉っぱを摘んだり、

(汚いな、取ろうか)で、君子蘭の茶色になった葉を取ったり、

なんだりかんだりして・・・(もう、部屋に入ろう)で、部屋に入った。

夫から「洗濯物はもう外に出したから」との声。

「あ、そうか、忘れてた」。

全部の(~しよう)の前には必ず、(~したく“なる”)がある。

昨日のブログで書いたみたいに。


・・・ながなが面白くもないのを書き連ねてきたけど

昨日のブログに書いた、「意識の平衡状態とはどんなことを云うのか・・?」

これはパソコンを閉じてからも頭の中で続いていて・・・

「生命の動的平衡」とは、

自とも、他とも、調和しているその瞬間の状態を云うのではないか。

細胞のように、あなたがそうなら、私はこれで、と、

それと積極的に調和して行きながら、よりよきに進んでいく。

動的平衡→動的非平衡→動的平衡というサイクルは、

調和、混沌、調和、混沌、調和、混沌の循環かもしれない。

そんなふうに生命は流れ、進んでいく。

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ひとまとめ

2012-06-21 20:04:23 | ひとの幸福
意識の成り立ちについていろいろ探って来た。

ひとまとめにしたものが今朝、意識に現われた・・感じなので、

ちょっと書いてみようと思う。


目に見える現象が在る→それをどう捉えているか(解釈・観測・見る)→

→何かを言いたくなるor何かをしたくなる→

→それをするか、しないかを選択(自由意志の存在がここにある)→

→するorしないという行為行動に移る。


・・・こういう図式。


例えばこんな例(作り話)・・で、書いてみるね。


子供が離婚問題で暗い顔をしている現象が在る→それを問題事だと捉える→

→するとそれを解決してやりたくなり、

こうすればいいという考えを話したくなる→

→それを話そうとする(こうすればいい、という考えは正しいと無意識のうちにしてるので、

その話をしないという選択肢の存在には気付かない)→

→話すという行動をする→

→子供は・・・・・?どういうふうになるか?親の言うとおりになるか??

・・・わからない。


その現象をどう見るかは人や場合でいろいろ。

困った事と捉える場合もあれば、

よくある事と捉える場合や、あんな人と別れた方がいいと思っていれば、

やっとその事を考えるようになったか、と捉える場合もあるかもしれない。

(その現象の何に関心が向くか、関心を持つことが現象化するという量子力学の観測者効果かと思う)

そういった捉えの次に、

それを受けて(その思いに繋がる・・)、

人や場合によって又、いろいろな思いが浮かぶ。

(何か言いたくなったり、したくなったりする)

その次に行為や行動が起こる。

可能性としては、それをすることもしないこともどちらも出来るのだけど、

言いたくなった思いが「正しい」になっていると、

(これは仏教で云うキメツケという状態かと思う)

それを言わずには居れない状態になる。

それをしないでは居られない状態になる。

(これは仏教で云うトラワレの状態だろう。)

そのような意識の状態に在ることに自覚が無い状態。

これからの解放は意識観察と真理探究かなと今のところ思ってる。


ところが、何かを言いたくなったな、と自覚すると、

それを言うか、言わないかの選択肢を選べる状態になる。

これを言ったら、(こうしたら)その後どういう展開になるのか、

それまでの経験によって、ある程度推測することができる。

言うことで、自分も相手も経験したいと思わないような展開になりそうだと推測したら、

その経験をしないようにとの意志が働き、

したくなったけれども、それを自分の意志で止めるという選択肢を選べる。

ベンジャミン・リベットさんが伝えたかった、

“自由意志”の問題がここにある、と思う。

どういう展開になったら、互いによりよい状態になるかを、

推測し、よりよい状態を実現できることが多くなる。


これを段々無意識のうちに出来るようになるのかと思う。

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玉つづり・・・・・脱線 ②

2012-06-21 17:49:02 | 本を読んで
福岡先生・・・脳の状態の大半は、動的な非平衡状態で、

ある一瞬だけ平衡状態が起こる。

しかもそれは時間の流れのほんの一瞬であって、

「あ、渦が今きれいに見えましたね」「そうだね」「あ、もう消えてる」

というほどに瞬間的なものですよね」

養老先生・・・「そうなんです。平衡状態がポンとそこに成立している。

瞬間的に成立してるだけだから、証明ができない」・・・養老先生。

「きれいな渦だ」という認識が平衡状態で、

まだ渦になってない水の流れの時はなんとも思ってないわけで、

非平衡状態というわけか。

きれいな渦を見て、(あ、渦だ)という意識に“なった”ことが、

意識の平衡状態・・なのか。

意識の平衡状態ってどういう瞬間のことを云うのかなぁ?という疑問は、

ここのところずっとあって・・・

顕在意識に浮上する意識が平衡状態ということだろうか・・・

・・・・こんなの読んでひとはどう思うんだろう?

何をめんどくさいこと云ってるんだろ もあるかもしれないなぁ。

自分でもめんどくさいとも思うけど、

面白いことはだいたい面倒くさい。

簡単に出来たら面白くない。んでついしてしまう。
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玉つづりの移植・・・でも・・・脱線

2012-06-21 17:13:05 | 日々の暮らし・思い出
多肉植物の玉つづりというのを植え替えた時に、

葉っぱがポロポロ落ちて、それを捨てるのも忍びなく、箱にそのまま入れていた。

それから、もうふた月は経っている。

葉っぱから芽や根が出ることは知っていて、それで鉢を幾つも作ってきたけど、

これ以上鉢が増えてもなぁ・・とその時は思って、放って置いた。

義父がそれをゴミと思って捨てたかも、と今朝、夫から聞いた時には、

それでも構わないと思っていた。

さっき庭に出たついでに見たら、箱の中身はそのままあった。

既に枯れているのもたくさんあったので、

ゴミと間違えてもおかしくない。

芽や根が出て生きているのも勿論たくさんある。

この時(鉢に植えようかな)こういう思いが浮かんだ。

なんでこの思いがこの時浮かんだのか、振り返って観てみると・・・


パソコンに向かって、今朝方浮かんだ考えを書こうというのはあったんだけど、

書きたいことの全体はだいたい整理出来ていて、

あとはそれを表現するだけ・・みたいな意識状況だったのも、

玉つづりに関心が行った一つだったよう。

浮かんだ考えがどう展開するかわからない時は、

早くパソコンに向かって、書きたい、書くことで、展開を見たい・・

というような誘惑にかられて、どうしてもそれを優先してしまう。

けど、いろいろな都合でそれ以外の事をやることを優先することもあるので、

そういう時は浮かんだ考えをすぐにメモって置いたりしてる。

ひとは一日に6万個の思考が頭に浮かぶという事を読んだことがあるけど、

どうやってその6万個という数字が出てきたのかはわからないにしても、

16時間起きていたとして、意識不明という状態は一瞬もないのだから、

6万個というのもそうかなぁと思う。

計算すると1秒に6個思考が浮かぶということ。

座禅とかすると、次々に浮かぶからそれを数えたのか・・

脳を調べて、発生した電気信号の数なんだろうか・・?

自分の意識観察でも、その位の数はあるのかなぁ位の思いはあるので、

すぐにメモっておかないと、

次から次へと思いは流れているから、見失ってしまう。

川に浮かべた笹舟があっという間に去っていくのと同じだ。


こうして、頭に浮かぶ事を次々書いてしまっているけど、

これもそうだ。でも、1秒に6個は観察できないね。

こうして脱線している。意識が流れて行くのがよくわかる。

こういうのを書きたかったんじゃなかった。最初にタイトルを書いた時は。

そう、どうして(鉢に植えようかな)という展開になったか・・

・・それを書いていたんだった。

続く・・・

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季節外れのセーター

2012-06-21 16:55:28 | 日々の暮らし・思い出
とうとう娘のセーターを編み終えた!

きちんとアイロンをかけ、丁寧に畳み、それを今日送ると、

娘にメールしたら、秋冬までこちらに置いて、

プレゼントとしてその時に送ってという返事が来た。

えーっ!?となったよ。

早く見てもらいたい があったからね~。

でも娘の住むアパートはこれからいろんな工事があるらしく、

部屋が落ち着かないというのも聞いてるし、

ここよりずっと狭いので、ここに秋まで置いておくのが、

ベストな選択なのだと納得。

ウールだから、虫に喰われないようにしまわないといけない。

この家は古いせいか、気にいってたセーターが虫に食われて散々な事になったことがある。

いや、家が古いせいじゃなくて、

洗わないでしまったのでそうなったのかもしれない。

でも東京でセーターが虫にやられたことなんかなかったなぁ・・

やっぱり古い家だからか・・・

つい、一つの原因を探してしまう・・・
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言葉 で人が死ぬ?

2012-06-20 19:06:16 | 本を読んで
養老孟司先生は「意識」のことをよく云っている。

顕在意識、言葉のことだと思う。

「言葉に現実を合わせようとすると厄介なことが起こる。

現在しょっちゅう人間がやっていることですよ・・・

何をお喋りしようが実質がないんだから実は関係ないという考え方がない」

・・こういうのがある。


震災後の福島に行った政治家が「死の街だ」と言っただけでやめさせられた。

私もアレには驚いた。

「活き活きした街」じゃないことは確かなのにね~。

何を言ったかじゃなくて何をしたか。

政治家なんてこれでなくちゃいけないんじゃないのかな。

小説家や論文書いてる学者じゃないんだから。

「せいめいのはなし」では言葉についてのいろいろな話がある。

言葉で人が死ぬ、傷つくというけれど、

その言葉をどう捉えているかで、死なない人と死ぬ人に分かれる。

養老先生はネットでいろいろ言われているらしいけど、

全然気にしてないよう。そんなものプラグ抜けばいいんで・・

って云ってる。

文字は空間を占める線で、その線をひとはさまざまに解釈してるわけだ。

どう解釈しようと基本的に自由。

その点、日本の役所は凄い。

出生届に「太郎」と出して、ハナコと読んでもいいそう。

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ビール、レストラン ②

2012-06-20 17:30:06 | 本を読んで
結局、意識は何故止まったものしか扱えないのか?のアンサーは・・・

養老先生はこう言っている。

「・・・意識は起こっている現象自体を扱えない。

世界があって、意識はそれをとらえる。その捉え方として、

止まっているものしか扱えないから、

動的平衡の平衡状態を拾うようになっている。

平衡状態になったらすぐに意識が拾う。

でも平衡にしてしまうと時間の問題が消えちゃうんですよね」

・・・以上。

この発言から考える。

「世界があって意識はそれを捉える」この(捉える)のは“言葉”によってだ。

人間にはビールやレストランの建物が、

その物として止まっているように見えるので、

それをビールだとかレストランだとかと、言葉で言うし、ビールだと思う。

「世界(ビール)があって意識はそれを(ビール)と捉える」だ。


「止まっているものしか扱えないから、

動的平衡の平衡状態を拾うようになっている」・・

これは麦芽やホップがビールに変化したという平衡状態の時の姿を

「ビール」と認識していると思う。


「平衡にしてしまうと時間の問題が消えちゃうんですよね」

・・の云っていることは、

麦芽やホップという別の物が変化してビールになったわけだけど、

「ビール」と捉えることで、それまでのプロセスが見えなくなる、

ということなのか・・と思った。

言葉で平衡を捉えることが、それまでのプロセスを見えなくさせる。


レストランと捉えれば、それが木材やガラスや鉄筋やコンクリートや

塗料や建築士や大工さんや鳶さんや電気屋さんのことは見えなくなる。

一つの「言葉」で捉えることで、プロセスが見えなくなる。

言葉で捉える=止めること=動いてそうなったプロセスが見えなくなる。

それが「時間の問題が消える」と云っている内容なんだろうか・・・

そう考えた。


古事記や日本書紀に一番たくさん出てくるのが「なる」という言葉だと、

養老先生の「無思想の発見」にあったけど、

ビールに「なる」レストランに「なる」・・・

・・「なる」という言葉は、

動いているプロセスが在る、という、

生命現象を表わす実に素晴らしい言葉だと思ったよ。



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ビール、レストラン

2012-06-20 16:16:09 | 本を読んで
「せいめいのはなし」はどこも面白かったけど、

その中で福岡先生と養老先生の対談は又格別に面白い。

「動的な状況を忘れてしまう原因に、意識があると思うんです」

人間の意識というのは「止まっているもの」しか扱えないのは何故か・・

言葉は止まっているから、それ中心で動くからおかしなことになる、とか

そういったことを養老先生はよく云っている・・

と、私は読んでる。真意を読めてないのかもしれないけど。


何故止まったものしか意識できないのか・・・

量子的世界、ミクロの世界ではどんな物も分子のよどみで、

一瞬も止まっていないんだろうけど、

人間の見える世界では、

人間も物も一つ一つ離れて存在しているようにしか見えないし、

レストランでビールとランチを注文しても、

ビールやランチが運ばれて来る途中で違う物に変わったりしない。

ビールはビールのまんまだ。そうとしか見えない。

止まっているといえば言える。

レストランも昨日と同じように見える。

人間の目や脳の能力からして、止まっているとしか意識できない。

「止まったもの」と言うより、実際は「止まっているように見えるもの」だろう。

そういう物に囲まれているから、

止まったものしか意識できないのか・・・なぁ。


昨日の日記に「今日は晴れている」と書いたとする。

その翌日の今日は雨が降っている。「今日は晴れている」は間違い、ということになる。

この日記を間違えてると言う人がいないのは、

時点が違うということをわかっているからだろう。

「今日は晴れている」と書いた後、人は寝たり起きたりご飯を食べたり、

仕事をしたりして動いているけど、その文字は動かない。

(“時間”が動くんじゃなくて、“人”や“宇宙”が動いている。

その動きを計る尺度に人間は“時間”という観念を考え出したんだから)


「昨日あー言ったじゃないかっ!それがなんだ!コロコロ変わってっ!!」

と怒るのは、

昨日の日記に「今日は晴れだった」と書いたことを今日怒られているようなもんだ。

言葉は止まっているけど、人は動いている。

「今日」という文字・言葉は止まって変わらないけれど、

人の数だけ違う「今日」があるし、

それぞれの今日を生きる人は動いている。

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向上心なんか要らない

2012-06-20 13:47:37 | ひとの幸福
この前、娘の友だちと長電話していた時に、

「向上心なんか要らないよ~」なんて自分が吐いてた。

その言葉を吐いてから、そうだよな~、向上心なんか要らないなぁと、

その言葉が自分に入って来た。

向上したい向上したいって念仏みたいに思ってたら、

向上しない。

向上したいって言葉が頭に張り付いていたら、

うまいこと行かなかった時に、「あぁ、ダメだった」に成りやすい。


(向上したい)って、今ここで思っているということは、

(意識の状態)が(今、私は向上していません)になってるって、ことだしね~。

私はダメだダメだって思い込んでいるのと同じだから。

そういう出発からじゃ、うまいこと行かない。

量子ゼノン効果だね~。

まだか、まだか、って思うのは「湯は沸いてません」になってること。

それが続くこと。観測しないよりその状態が抑えられる現象。

「向上したい」なんてその都度、いちいち思わなくても、

悪くなろうなんてしてる人はいない。
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コラーゲン・ヒアルロンサン・グルコサミン・コエンザイムQ10

2012-06-20 07:55:36 | 日々の暮らし・思い出
福岡先生の本を読むと、軟骨成分であるグルコサミンになるようにと、

グルコサミンを固めた錠剤を摂るというようなのはあまりにも短絡思考で、

その行為は意味がない・・というようなことが書かれてある。

私も健康食品というのにはどうも気が行かなくて使ってない。

値段が高いというのもあるしね~。

娘もその本を読んですごく面白がって、

ツイッターに出したらしい。そうしたら面白い発想があって、

笑い転げたという。

「そうだよね~。軟骨の為にグルコサミン飲むなら、

髪の毛が少ないなら、髪の毛を食べたらいい、ということになるよね~」

・・だって!ホント、頭いい!って思っちゃう。この発想!

そういうのもあれば、

「やっぱりコラーゲンやヒアルロンサン入りの化粧品は凄い効果があって、

朝の肌が全然違って、綺麗になるのよ♪」というのもあったそう。

これもそうだろうなぁとも思うな。

プラシーボ効果も十分あると思うし。

私もヒアルロンサン入りのアスカの安いタイプのクリーム使ってる♪

化粧品会社の陰謀に乗せられている?まっ、いいか。
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「頭いいでしょ」

2012-06-19 16:53:41 | 日々の暮らし・思い出
さっき、台所に夫が来て、「あれっ?!・・なんだ・?・・わざとこうしてるのか」

と、声を上げた。何を言ってるのかと振り返ったら、

(ほの甘い梅漬け)の瓶が斜めになっているのを見ていたのだった。

梅酒を漬けるような広口瓶に漬けているんだけど、

焼酎の量が梅酒よりずっと少ないので梅全部がまだ浸かってなく、

瓶の中に青いまんまの梅がまだ幾つもあるので、

瓶を斜めにして食器棚に寄りかからせていた。

すると青い梅がその液に浸かるのでそうしていたのだった。

夫は何らかの理由でわざとではなく事故的に斜めになっているのじゃないか・・

と思ったよう。

「そう。頭いいでしょ♪」と私。

それに対して夫は、頭がいいかどうかそれはわからないけど、いいアイディアだ・・

というような事を言っていた。

「頭いいでしょ」なんて言葉は自慢のように聞こえがち。けど、

その時の自分を観ても、優越感に浸っているという感じはない。

ひとに対しても「あったまいいね~」なんて言葉を私はよく吐く。

私じゃ考え付かないような発想してることを見ると、

そんなふうによく言う。

ひとに言うのも、自分に言うのも同じ感じ。

夫に考え付かないことを私が考え付いた。

私が考え付かないことを夫が考え付く事もよくある。

いいアイディアを生み出す頭は悪くない、誰の頭のことでも一緒だ。

そんな感じなんだけど。


「頭いいでしょ♪」 という言葉を聞いて、

なんじゃ!というような反発反応とか、

えーっ?そんな自慢しちゃって・・という反応とか、

その成り立ちは???

その(考えついた考え)をその人個人のものと捉えているからなんじゃないかな・・

誰でも人間なら考える、というのをするけど、

浮かんだ考えも考え付いた考えも、

それが生まれた成り立ちを観ると、無数の情報やら、たくさんの人の考えやら、

学校での教育やら、そういうのと自分の受け取りとの共鳴現象なんじゃないか。

事実は合作なんじゃないか。


なんじゃ!と反発するのは、自分の頭がよくないと言われているように

解釈するからなんじゃないかな。

自分の頭の方がいいんだぞ・・・っていう内心が見える。

えーっ!?そんな自慢しちゃって・・というのは

自分のことをいいように言ってはいけない、というシツケを受けてるから、

そのルールに反することしちゃっていいの・・みたいな感じかな。

そんなふうに見えるけどどうかな・・・


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ガラス瓶の紫陽花 

2012-06-19 13:18:27 | ひとの幸福
テーブルに飾ってあったアジサイがしぼんで来たので、

さっき庭から違うのを切って来て、それを又ガラス瓶に挿した。

しぼんで来たアジサイが在る。

それを、あぁ、しぼんで来たなぁと受容する。

「なんでしぼんだんだよー」と文句つける人はあまり居ないだろう。

花は時間が経つとしぼむというプロセスが在ることを知っているからだろう。

それを知らない小さな子供は「なんでしぼんじゃったの?」と思うこともあるかもしれない。


「在るがままでいい」の「在るがまま」という言葉は、

存在がプロセスを経て今そうなっている状態 のことを言うのかと思う。

そのしぼんだアジサイは在るがまま。

しぼんでないアジサイも在るがまま。

庭に咲いてるアジサイも在るがまま。


「在るがままでいい」という言葉は、

その事実、存在の状態についての認識を表わしている言葉と思う。

境地。認識の状態を表わしているのかと思う。

この、「いい」とは善悪の「良い」という判断ではなく、

事実=認識・・みたいなニュアンスなんだろうか。

うん、そうなんだね・・みたいな・・

受け入れる、受容する、そんな感じか・・

対象を「在るがままでいいよ」と捉える境地は、

対象がどのような状態だろうと変わらない。

対象である存在、アジサイは開いたり、しぼんだり、汚く色あせたり、そういう状態になるもの。

止まっていないもの。動き続けているもの。

どの瞬間も在るがままでいいよ。

言葉として「そのままでいいよ」という似たようなものがあるけど、

「そのまま」というと止まっているもののようなニュアンスも感じるので、やはり

境地を表現するには「在るがままでいいよ」という言葉の方が相応しいのかと思う。

在る とは 存在のことで、

どんな存在も止まっているということはないからね~

目には止まっているように見えるこのテーブルも動き続けている。

母に買ってもらってからもう10年以上経つけど、

ずいぶん傷も付いたし、いつかは朽ちてしまうだろうし。


動き続けるものである意識も在るがまま。

そうなるプロセスが在るのでそうなるのはアジサイと一緒だ。

在るがままのものを在るがままと見るのは当たり前・・

嘘をつきたくなる、誤魔化したくなる、のも在るがまま。

否定しても始まらない。

在るものを否定するのは無理がある。



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