アートインプレッション

株式会社アートインプレッションは、美術展の企画を主な業務としている会社です。

伊丹市立美術館にて、陶酔のパリ・モンマルトル展オープン!

2011-04-19 20:05:31 | 陶酔のパリ・モンマルトル
伊丹市立美術館にて、「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展オープン 


伊丹市立美術館、オープン当日の様子。写真提供、弊社代表市川飛砂


4/16(土)より、伊丹市立美術館で、「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910 」展がオープンしました。

展覧会では、キャバレー「シャ・ノワール」を中心に、娯楽とキャバレー文化という視点から当時の前衛芸術、大衆芸術を横断的にご紹介しています。当時のカフェ・コンセールやキャバレーでは、ロートレックやスタンラン、エリック・サティなど、後の世代を代表する芸術家たちが毎晩集っては「フュミスト的(ばかばかしい)」な喧噪を繰り広げていました。こうした喧噪はやがて大衆芸術として新しい時代の芸術を生み出し、後のダダやシュルレアリスム、コンセプチュアルアートへと繋がっていくのです。
伊丹市立美術館では、このような世紀末キャバレーの様子を影絵芝居、展覧会のポスター、絵画、公演プログラム、雑誌、上映資料等パリのモンマルトル美術館をはじめ国内外の所蔵家176点を公開すると共に、当時の「シャ・ノワール」で大変な人気を博していた影絵芝居劇場の再現オブジェを制作するなど、意欲的な展示となっています。
是非足をお運び下さいませ。




伊丹市立美術館
■ 阪急伊丹駅より徒歩約9分
■JR伊丹駅より徒歩約6分
■阪急バス伊丹中央停留所より徒歩約3分
■伊丹空港より伊丹市バス25番系統で宮ノ前停留所下車(所要時間約25分)

詳しくは伊丹市立美術館ホームページをご覧下さい。

影絵芝居再現映像制作『聖アントワーヌの誘惑』

2011-04-16 18:57:46 | 陶酔のパリ・モンマルトル
影絵芝居再現映像制作のご紹介!!

今回は影絵芝居『聖アントワーヌ』の誘惑の録音現場をご紹介いたします!


収録中のスタジオの様子
左;画面左より、ヴァイオリンの齋藤真知亜さん、クラリネットの恩智聡子さん、チェロの富永佐恵子さん
右;画面左より、富永さん、弊社スタッフ木村はるか、音楽環境創造科西岡龍彦先生、恩智さん、齋藤さん


演奏して頂いたのは、クラリネットの恩智聡子さん、ヴァイオリンの齋藤真知亜さん、チェロの富永佐恵子さん。
皆さま第一線でご活躍中の演奏家で、録音当日もスタジオいっぱいに華やかな音色を響かせて下さいました。
もともと『聖アントワーヌの誘惑』のアルバムに記載されているのはピアノ曲のみ。それを本展のために西岡龍彦先生が特別にアレンジして下さり、このような3重奏曲が加わったのです!
影絵芝居の場面に合わせて、録音中も随時修正をしつつ音楽の雰囲気を作り上げていきました。



左:齋藤真知亜さん
右:富永佐恵子さん


左の写真でヴァイオリンの齋藤真知亜さんがイヤホンを装着しているの、分かりますか??
このイヤホンからはメトロノームのように正確なテンポで合図音が流れています。曲によってはこうした正確なテンポで録音し、その音楽を後で別の楽器(例えばドラムなど)の演奏者が聴きながら録音して音楽を重ね合わせるのです。
今回はこのような重ね録りは少なく、多くの場合右の富永佐恵子さんのように、オンタイムで演奏していただきました。

そして忘れてならないのが「スタジオ調整室」での録音作業


スタジオ調整室の様子
左:スタジオの様子を確認しつつ録音作業をする亀川徹先生
右:画面左より亀川徹先生、西岡龍彦先生


録音が一回では終わらず、何テイクか録って聴き比べてから決めることもあります。また、演奏の前のマイク・セッティングも録音では欠かせない作業です。
こうした土台作りを一手に引き受けるのが録音技術の亀川徹先生。まさに縁の下の力持ちのような存在なのです。

完成した再現映像は、現在伊丹市立美術館lで当時実際に使用されていた影絵芝居用の亜鉛板などと一緒に展示されています。
皆さまお誘い合わせの上、是非ご来場下さいませ。

また、この場を借りて絵芝居再現映像制作にご尽力頂いた全ての方に、改めてお礼を申し上げます。
企画協力という立場ではありましたが、とても勉強になり、貴重な経験をさせて頂きましたことを感謝しています。本当にありがとうございました!


『星への歩み』 録音現場のご紹介

2011-04-07 10:36:53 | 陶酔のパリ・モンマルトル
影絵芝居再現映像制作、録音現場のご紹介!!
『星への歩み』編


前回に引き続き、今日はいよいよ影絵芝居再現映像制作のための録音現場をご紹介いたします!
録音当日は、東京芸術大学音楽学部音楽環境創造科の西岡龍彦教授による采配のもと、たくさんのプロの演奏家と録音技術の方にご協力いただき、にぎやかな現場となりました。
まずは『星への歩み』の録音の様子です。



録音調整室の様子。
画面奥が音楽環境創造科の亀川徹先生。画面手前は音楽環境創造科修士課程の田野倉宏向さん。


演奏が行われるスタジオの裏には「録音調整室」という部屋があり、複雑な機材が置かれています。スタジオで収録された音楽は、マイク・ケーブルを通してこの「録音調整室」に送られ、パソコン上で調整できるようになるのです。
上の写真に映っているパソコン画面には、こうして読み取られた音源が波の形で表され、音量などが細かく調節出来るようになっています。


 
収録中の録音調整室。
左:画面左より、田野倉宏向さん、亀川徹先生、西岡龍彦先生、弊社スタッフ木村はるか、弊社代表市川飛砂
右:画面手前より、亀川徹先生、西岡龍彦先生、永井和子先生、木村はるか


録音作業中は調整室に取り付けられたマイクを通してスタジオの演奏者と会話をすることが出来ます。先生方も時折身を乗り出しては指示にあたられていました。
一曲一曲丁寧に録音しつつ、全曲収録されているか確認をするのも大切な作業の一つです。


そしてスタジオはどのようになっていたかというと・・・

スタジオ内の様子
左:画面左より、声楽科博士課程の勝見巴さん、同科修士課程のキム・ヒョンイさん、同科博士課程の谷地畝晶子さん。
右:画面左より、声楽科の永井和子先生、西岡龍彦先生、勝見巴さん


今回の録音のために、3名の声楽科の学生さんが本領を発揮して下さっていました!
録音の合間には声楽科教授の永井和子先生みずからのご指導が入り、影絵芝居のシーンに合わせて微妙に表現方法を変えたり、ピアノとの調整を行ったりと、念入りな修正が行われます。
皆さんほがらかな人柄なのですが、一度歌い始めるとその迫力はさすが。
指導が一回入っただけで素人目にも進化してしまう様子に驚かされてしまいました。

こうして録音した音楽は、録音技術の亀川先生の手によってさらに細かく整えられていきます。
ストーリーに合わせて音の響き方を変えたり、音量を微妙に調整したりと、緻密な作業を繰り返して下さいました。

音源はというと・・・


実は展覧会より一足早く弊社ホームページに一部アップしてしまいました!!
沢山のプロの方々にご協力頂いたおかげで、大変素晴しい仕上がりになっています。
先生方、並びに関係者の方々、本当にどうもありがとうございました!
皆さんも是非楽しんで下さいませ.

リンク・アドレスは下記の通りです↓↓
影絵芝居『星への歩み』より「漁師たち」詳細ページ http://www.artimpression.co.jp/phot-up/phot-22-07.html


次回は影絵芝居『聖アントワーヌの誘惑』の録音現場をご紹介いたします!


*写真提供:富田了平(東京芸術大学大学院芸術環境創造領域)


影絵芝居再現映像制作過程のご紹介

2011-04-07 10:32:47 | 陶酔のパリ・モンマルトル
影絵芝居再現映像制作過程のご紹介!!

今日からは、いよいよ「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展の大きな見所である、影絵芝居『聖アントワーヌの誘惑』『星への歩み』の再現映像の制作過程をご紹介します!


画面左: 影絵芝居アルバム『聖アントワーヌの誘惑』より「光の都」、楽譜ページ
     影絵芝居アルバム『聖アントワーヌの誘惑』より「光の都」、イラストページ
デザイン: アンリ・リヴィエール
(c)ADAGP, Paris&SPDA, Tokyo, 2011


上の画像、「シャ・ノワール」の常連客だったアンリ・リヴィエールが影絵芝居のために制作した楽譜本です。
表紙をめくると、ご覧のように影絵芝居のシーンを描いたイラストがあり、その左隣にイラストのための楽譜が掲載されています。
再現映像制作にあたり、まずはこのイラストと楽譜を1枚1枚、パソコンに取り込んでいくところから始まりました。

また、楽譜本を見ただけでは絵と音楽がどのように合わさっていたのか、すぐにイメージすることが出来ません。
イラスト画像をパソコンに取り込んだあと、今度は楽譜に記載されている音符を取り込んで、映像をより具体的にイメージするためのサンプル音源を作る作業が待っていました。
ご参考までに実際にシンセサイザーに読み込んだ音源をアップしたサイトのリンク先を記載しますね。
↓↓
[VOON] page10

こうして少しずつ準備を重ねた後、いよいよプロの演奏者による録音作業に入るのです。
その映像は次回、ご紹介いたします!

影絵芝居『星への歩み』

2011-04-04 20:59:56 | 陶酔のパリ・モンマルトル
前回に引き続き、影絵芝居 『星への歩み』 をご紹介します。


星への歩み

1899年
アンリ・リヴィエール 《影絵芝居『星への歩み』》
(c)ADAGP, Paris&SPDA, Tokyo, 2011



影絵芝居『星への歩み』は、1890年1月6日に「シャ・ノワール」で初演されました。
「シャ・ノワール」の人気シャンソン作曲家、モーリス・マク=ナブが亡くなったことを受け、彼への追悼の意も込めて「シャ・ノワール」の常連客であった作曲家、ジョルジュ・フラジュロールと画家アンリ・リヴィエールが共同で制作したのです。
「シャ・ノワール」のアヴァンギャルドな雰囲気とは裏腹に、キリストの誕生と死、そして昇天を扱ったストレートな宗教劇であることから、完成当初は成功が危ぶまれていました。
しかしフタを開けてみれば大変な人気ぶりで、何度も繰り返し上演されたことが記録に残っています。

音楽面で『聖アントワーヌ』と大きく異なっているのは、声楽曲であること。
歌詞とあいまってストーリーがぐっと消化しやすくなり、どんどん映像に惹き付けられてしまいます。

当時は弱冠21歳のエリック・サティが『星への歩み』第2ピアニストを勤め、シャンソン作曲家のシャルル・ド・シヴリーが音楽監督を任されていました。このシャルル・ド・シヴリーこそ、音楽家ドビュッシーの誕生に一役かっているのです!
シヴリーはパリ・コミューンの際に投獄されてしまうのですが、そこでドビュッシーの父親と知り合ったことがきっかけで、ドビュッシーは彼の母親にピアノを習い、パリ音楽院へ入学することが出来たのです。キャバレーを巡る音楽家たちの数奇な交流が垣間見えるようなエピソードですね。

そして『聖アントワーヌの誘惑』同様、『星への歩み』についても、東京芸術大学音楽学部のご協力のもと、当時使用された音楽を演奏、録音し、影絵芝居用のイラストと一体化した再現映像の制作を試みました!!
沢山の方にご協力して頂きつつ過去の作品を復元していく過程は、企画協力という立場ながらとても勉強になり、楽しい作業でした。
会場にお越しいただく皆さまにも満喫していただければ幸いです。

次回からはいよいよ、再現映像の制作過程をご紹介いたします!


影絵芝居『聖アントワーヌの誘惑』

2011-03-31 11:40:33 | 陶酔のパリ・モンマルトル
今回は、「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展の舞台であるキャバレー「シャ・ノワール」で上演されていた、影絵芝居 聖アントワーヌの誘惑 をご紹介します。
当時、影絵芝居は映画に先駆ける総合芸術として、特設ステージに投影される影絵の色彩効果やキャバレー店主の軽妙な口上、さらに音楽が一体となって観客を魅了しました。その中でも特に大きな人気を誇っていたのが、『聖アントワーヌの誘惑』です!


聖アントワーヌの誘惑

1887年
アンリ・リヴィエール 《影絵芝居『聖アントワーヌの誘惑』》
(c)ADAGP, Paris&SPDA, Tokyo, 2011



何だか構図が日本的じゃありませんか?
当時はパリ万博の全盛期。大衆に混じって沢山の芸術家がパリ万博に押し寄せ、東洋の芸術に心を踊らせていました。
この影絵芝居のデザインをしたアンリ・リヴィエール(1864-1951)もその中の一人です。ジャワの影絵芝居に影響を受けつつも、日本的な構図や微妙な色彩を表現しようと試行錯誤を繰り返しました。日本美術に魅了されるあまり、後年は富嶽三十六景ならぬエッフェル塔三十六景を制作したのですよ。

影絵芝居のあらすじは・・

紀元4世紀、テーベの砂漠で隠遁生活を送りながら祈りを捧げる聖アントワーヌの元に、ある晩悪魔が忍び寄る。
艶かしいシバの女王や金銀財宝の山、さらには異教の神々が現れて真理や知識の幻影を見せつけ、ありとあらゆる方法で聖アントワーヌを誘惑するというものです。
原作は『ボヴァリー夫人』で知られる小説家、ギュスターヴ・フローベール。何と約30年もの歳月をかけて執筆しました。

上演する際にはピアノの生演奏が入り、「シャ・ノワール」店主のロドルフ・サリスが即興で口上をしていました。
影絵芝居アルバムを見ても、次々と移り変わるシーンに合わせて音楽も表情をガラリと変え、宗教劇ではありますが世紀末的な香りが濃厚に漂う作品に仕上っています。

さらに!

本展覧会では東京芸術大学音楽学部のご協力のもと、当時使用された音楽を演奏、録音し、影絵芝居用のイラストと一体化した再現映像の制作を試みました!!
制作の様子も後日ご紹介いたしますね。

次回は、もう一つの影絵芝居『星への歩み』をご紹介いたします。



「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展、開催のお知らせ

2011-03-30 12:45:22 | 陶酔のパリ・モンマルトル
この度は、東北関東大震災で被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

4月16日から伊丹市立美術館にて開催予定の「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展につきましては、震災の影響が大変心配されましたが、予定通り開催される運びとなりました。

困難な状況が続いておりますが、少しでも良い展覧会となりますよう邁進する所存でございます。
一日も早い復興と皆さまのご健康を、スタッフ一同お祈り申し上げます。




モンマルトルのシンボル、サクレクール寺院

2011-02-23 18:50:41 | 陶酔のパリ・モンマルトル
サクレ・クール寺院



弊社代表市川飛砂 写真提供

今日は「陶酔のパリ・モンマルトル1880-1910」展の舞台、モンマルトルの丘のシンボルでもあるサクレ・クール寺院のご紹介をいたします。
日々大勢の観光客で賑わうサクレ・クール寺院ですが、完成したのは1914年、一般公開されたのが1919年と比較的新しく、普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンで犠牲となったパリ市民を弔うために約40年かけて建てられました。
着工当時はエッフェル塔も完成したばかり。どちらも来たるべき20世紀への期待感と先の戦争で受けた傷の両方を包み込むような存在だったのではないでしょうか。

一方、サクレ・クール寺院の建設が進む中、モンマルトルではキャバレーやカフェ・コンセールといった娯楽施設が次々とオープンし、イヴェット・ギルヴェールやアリスティド・ブリュアンなど、当時の一流スターが活動の場を求める歓楽街として世紀末パリを彩りました。下の3つのポスターからも、当時の様子が偲ばれます。

  
左 :カフェ・コンセール「ジャルダン・ド・パリ」のポスター  
   ジュール・シェレ 北海道立帯広美術館所蔵
中央:モンマルトルの劇場初演  
   アンドレ・ドゥヴァンベ 個人蔵
右 :「ディヴァン・ジャポネのポスター」  
   アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック 北海道立帯広美術館所蔵


今回展覧会でご紹介する芸術家たちが活躍したのもまさにこの時期。サクレ・クール寺院が出来上がっていく様子を眺めつつ、毎晩こうしたカフェ・コンセールで「はちゃめちゃな」催し物を企画して、当時の前衛芸術を形作っていったのでした。
上記以外にもまだまだ沢山のエピソード、作品がありますので、展覧会のオープンまで楽しみにお待ち下さい!

ジョルジュ・メリエスとは?

2011-02-21 19:38:29 | 陶酔のパリ・モンマルトル
映画「月世界旅行」1902年を作ったジョルジュ・メリエスって?


今日は先日ご紹介した映画「月世界旅行」を作った、ジョルジュ・メリエスについてご紹介します。



マリー=ジョルジュ=ジャン・メリエス
Maries-Georges-Jean Méliès

1861年11月8日~フランス・パリにて製靴業を営む父母の元に3男として生まれる。
1882-1883年 ~画家になろうとして美術学校に入るが、靴屋を継がせようとする父の
         反対にあう。
1884年    ~ロンドンで英語を学びながらいくつかの店で販売員として修行する。
         この頃、当初英語が分からなかったメリエスは言葉がわからなくても楽しめる
         エジプシャン・ホール(手品や幻想的な舞台作品を上演)に頻繁に通う。
         これがメリエスが奇術・魔術に関心を頂くきっかけになったともいえる。
1888年    ~父親が引退し、兄二人は靴屋を継ぐが、ジョルジュはその相続分を現金でもらい、
         ロベール=ウーダン劇場を買う。
         劇場で1896年まで数々の奇術や幻灯を見せる。
1895年    ~パリのグラン・カフェの地下でシネマトグラフの一般公開に参加。
1896年    ~ロンドンから入手した撮影機を改良して、80本の短編作品を制作。
         このときの最初のトリック映画に出演したジュアンヌ・ダルシーは世界最初の女優
18970年   ~54本制作。自分の敷地内に世界最初のスタジオを作る。
        
         その後も意欲的に製作を続け、「シンデレラ」「ジャンヌダルク」といった作品を撮影。

1902年   ~22本制作。その内の1本が「月世界旅行」。その後、文学作品に題をとった作品を発表。
        ニューヨーク支社も作る。

         奇術師組合を作って会長となったり、アメリカの映画会社へ作品提供。
         国際映画製作社連盟の議長を務めてもいたが、全く映画が売れなくなってしまう。

1923年   ~スタジオを劇場に改築し、家族で公演を行うもうまく行かず破産。
        その後モンパルナス駅の売店でお菓子やおもちゃを売る。
1931年    ~ルイ・リュミエールの推薦でレジオン・ドヌール勲章を受ける。
1938年    ~癌のため76歳で死去

ご覧頂くと分かるように、本当に「映画」というものに没頭してその魅力に取り付かれたまま亡くなってしまったという感じですよね。
「映画の発明者」と言われているエジソンや、リュミエール兄弟のように華々しい名声を得た訳ではなかったけれども、
夢を追いかけ続けた姿には、何とも引きつけられるものがあります。

それに、なんといってもSF映画や舞台芸術、ファンタジー、ドキュメンタリーといった映画の様々な面で先駆者とも言えます。
影絵芝居を始めたリヴィエール、幻想的な舞台を作り上げたロイ・フラー。
今回展覧会でも取り上げている芸術家達とも交流があったのでしょうね。
そんな時代の活気はどんなものだったのでしょうか?

是非、展覧会で作品をご覧頂いて味わって頂ければと思います。
「月世界旅行」も会場内で上映されますので、是非ご覧になってくださいね。

*写真はWikipediaより


ジョルジュ・メリエス「月世界旅行」

2011-02-08 17:36:27 | 陶酔のパリ・モンマルトル
ジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」を会場にて上映!


今回は、「陶酔のパリ・モンマルトル 1880-1910」展の会場内で資料映像として上映される、ジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」
(1902年)をご紹介します。



これ と~ってもインパクトのある画像ですよね?
「月世界旅行」に出てくるワンシーンなんです。
地球を飛び立った宇宙船が月に突き刺さった・・、いや到着したシーンです。

映画のあらすじは・・・
「海底二万マイル」でも有名なフランスの作家ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」を元に作られた作品。
天文学会の会長が月世界への探検計画を発表。
巨大な砲弾型ロケットを建造し、大砲で打ち出されるロケット。
無事に月へ到着し喜んだのもつかの間、そこには原住民がいてあっけなく捕らえられてしまう。
彼らの隙をついて脱出するも、地球の海に落下。
なんとか無事に帰還し、群衆の大歓迎を受ける。

1902年というと、まだ写真や印刷物ばかりの時代で、ようやくリュミエール兄弟によって「映像」というものが出てきた頃。
そんな頃に既にこんな宇宙旅行を映像にするなんて、メリエスはどれだけ進んだ人だったのか驚きです
もちろん映画史的側面から見ても、「史上初めて劇的構成を持った映画」として高く評価されています。

私も観たのですが、CGもなにもない時代なので、ちょっとした手作り感はあるものの、
100年以上昔に、どうやって撮ったのだろう?という驚きと、ストーリーのおもしろさは現代の作品にも負けてない気がします。
そして、個人的には10分程度の作品ではありますが、そこにはメリエス達作り手の、
宇宙というまだ未知の世界と、新しい「映像」という技術を手にした彼らのロマンがぎっしり詰まっているような気がして、
感動しました。

是非、会場にいらして頂いてご覧になってください。
(会場ではこちらのDVDも販売予定です。)

次回は、この作品を作った ジョルジュ・メリエス を少しご紹介しますね。

ジョルジュ・メリエス「月世界旅行」1902年
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制作ーWHDジャパンサイト:http://whd.dip.jp