ゴールデンウィーク、やっとやっとの上天気が続く。
緑が萌え始めた蹴上あたりを歩く。
国際交流会館に用事できたのだが時間が少しあったので
インクラインを上ってみることにした。
インクラインを上ってみることにした。
インクラインとは傾斜鉄道のことで
明治の初め琵琶湖から京都に水を引くという
壮大な計画のもと琵琶湖疏水が完成し
疎水を水上交通の手段としても使っていた。
蹴上あたりで水路から水路へ「船」を移動させる手段として
「インクライン」が敷かれ船ごと鉄道で水路まで運んだ。
壮大な計画のもと琵琶湖疏水が完成し
疎水を水上交通の手段としても使っていた。
蹴上あたりで水路から水路へ「船」を移動させる手段として
「インクライン」が敷かれ船ごと鉄道で水路まで運んだ。
その鉄道の名残が今も残る。
船の見本もおかれその辺りは公園になっている。
幼いころ明治の最後あたりに生まれた祖母が
「インクライン」という言葉を口にしていたが
意味は分からなかった。
祖母にしては随分「ハイカラな言葉」を使っているな
と幼心に感じたのを覚えている。
船の見本もおかれその辺りは公園になっている。
幼いころ明治の最後あたりに生まれた祖母が
「インクライン」という言葉を口にしていたが
意味は分からなかった。
祖母にしては随分「ハイカラな言葉」を使っているな
と幼心に感じたのを覚えている。
明治になり都が変わり天皇をはじめ多くのものが
東京に移され火の消えたようになった京都の街を何とかしようと
東京に移され火の消えたようになった京都の街を何とかしようと
当時の北垣知事が「琵琶湖疏水を造ろう!」と思い立った。
やっとやっと髷を切り落としたばかりの
まだまだ科学的には未発達な時代。
人々の理解をはじめ随分の困難と時間がかかったが
「琵琶湖疏水」はみごと完成。第2疎水もできた。
まだまだ科学的には未発達な時代。
人々の理解をはじめ随分の困難と時間がかかったが
「琵琶湖疏水」はみごと完成。第2疎水もできた。
インクラインの上り口近くには疎水記念館があり
公園には工事の中心となって活躍したまだ
20代半ばの田辺朔朗技師の銅像が建っている。
20代半ばの田辺朔朗技師の銅像が建っている。
琵琶湖疏水ができたおかげで水力発電所もでき
京都の町には日本で始めて電灯がともり電車も走った。
長い時間を経た今も京都市民の大切な水資源を担っている。
京都の町には日本で始めて電灯がともり電車も走った。
長い時間を経た今も京都市民の大切な水資源を担っている。
発電所の脇から水路沿いを歩いて南禅寺へ出る。
下から見上げるとレンガ造りの水路閣が美しい。
よくテレビドラマや絵画の題材にされるところだ。
下から見上げるとレンガ造りの水路閣が美しい。
よくテレビドラマや絵画の題材にされるところだ。
この辺りは浄水場を初め赤レンガ造りが残っていて
古き良き「明治の香り」が漂う。
「インクライン」という言葉も何故か郷愁を誘う。
古き良き「明治の香り」が漂う。
「インクライン」という言葉も何故か郷愁を誘う。
気の流れが心地よい南禅寺も哲学の道も本当に素敵なところ。
大好きな場所だ。
木々の緑が光に照らされ美しい。
歴史と自然が融合した京都情緒漂うところ
いつの季節もお勧めの場所である。
大好きな場所だ。
木々の緑が光に照らされ美しい。
歴史と自然が融合した京都情緒漂うところ
いつの季節もお勧めの場所である。