厳しい冷え込みと春らしい日差しが繰り返す3月
今年も東大寺・二月堂のお松明へ
お水取り(修二会)は今年で途切れることなく続き1263回目
私たちは今年で16回目だ
あの震災から3年いろいろな思いが交錯する
石畳の参道を上っていくと梅のいい香りがした
あちらこちらに白・赤・ピンクの梅の花が今は盛りと咲いている
お松明は12日と14日を除き午後7時に始まる
近年はすごい人出でその日によって違うようだが、だいたいは平日でも
5時半前には着いてないと舞台下の芝生に入れない
2年ほど舞台の上で真近で見せてもらったので今年は練行衆が
お松明のもと上って行かれる
階段のすぐそばの芝生の下辺りで待つことにした
ここなら練行衆の方々の姿も見えるしさして火の粉もかからない
今年は練行衆のトップ「和上勤められているS師のお姿も拝見できるだろう
着いたときにはまだ薄日が柔らかく辺りを照らしていたが
太陽が沈むと、とたんに冷え込んでくる
「お松明」は参籠宿所から二月堂に夜の行に入られる練行衆(籠もりの僧)
の足元を照らすかがり火で、先に堂入りされている一人を除く練行衆
十人分10本のお松明で進められる
6時になると童子が一人階段を駆け上がりまた駆け下りてくる
この頃になると舞台下の芝生には入場できず
境内一面は びっくりするほどの人の海だ
空には上弦の月から少し膨らんだ月が美しく輝いている
立って待つこと1時間40分
7時、童子が今度は2回階段を駆け上り駆け下りて
大鐘がなりいよいよお松明が始まる
堂内には差しかけ(高下駄)の音が響いている
お松明が夜を照らして燃える中籠りの僧が一人ひとり役職を呼ばれ
上っていかれる
舞台の両端でお松明が振り上げられ回され火の粉とともに
炎が赤々と夜空高く舞い上がる
舞台を松明が駆け抜ける・・・
清められ、はりつめた冷たい夜の「気」の中で火の行が続く
辺りに杉やヒノキの燃え上がる「香り」が立ち込める
辺りを埋める人々から歓声があがる
火の粉が降り注ぐあたりは悲鳴に近い声も・・・
私には燃え上がるお松明が吼えるお獅子の顔(獅子舞の)に見えた
久しぶりに舞台下から見上げるお松明の動きはすごく臨場感があった
炎の中にほのかに映し出される階段を上り行く
練行衆のお姿も見ることができた
若い僧も結構含まれているように思ったがどうだろう
お松明が終わると人の波は一斉に引いて
辺りには張り詰めた空気と静けさが戻ってくる
舞台見学の団体が引くのを待つために休憩所に行くと
箱の中に、お松明の燃え残りがたくさん入れてあり
持ち帰りようの新聞紙まで切って用意されていた
まだ燃えた杉の香りがしている
お松明の火の粉を浴びれば1年の無病息災につながり
その燃え残りも無病息災のご利益があるとされる
拾い集める人もたくさんいるが毎年はほんの少しは見つかるので
拾って半紙で包み壁にとめている
せっかくだから今日来れなかった友人のお土産に少し多めに戴いた
いつものように内陣に入る家人と別れて待ち合わせ時間を決めて局に入る
向こうの局の前では童子の方が
「10分もしないで出てくるなら入らないでください!
ここは修行の場ですから・・・!」と言っていた
その通りだ!
外では人払いをして舞台一面に水を撒いているらしく騒がしい声が聞こえる
中での「行」が高まっていくにつれてそれらの声も気にならなくなり
内に静けさが広がっていく
「南無観世音菩薩・・・」
声明は歌で言えば斉唱から輪唱、独唱・・・と様々に
響きあい重なり合って高く低く次第に高まっていく・・・
独唱担当の声明のお声、バリトンの響きがすばらしい
差しかけで走り回る音も高らかに座ったり立ったり・・・
鐘やほら貝が響きわたる
激しい五体投地の音も聞こえる・・・
声明の内なる宇宙(そら)に響きおり暗き局に星降るごとく
瞬く間に時が過ぎていくこれもいつものごとく・・・
視覚と嗅覚と聴覚が研ぎ澄まされ
局を出ると夜の大気の清らかな冷気が沁みる
舞台を一回りして礼堂からの階段を下りると鹿が近づいてきた
鹿と向き合い大きな目で見つめられるといつも話しかけられそうな気がする
これからねぐらへ帰るのだろうか
何とも言えない清々しさの中、石畳を降りていく
「このとき毎年感じるこの高揚感・満足感・充実感
そして清涼感は何なのだろう・・・」
と話しながら・・・
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」
われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを二月堂の本尊である
十一面観世音菩薩の宝前で懺悔(さんげ)することを意味する
1263年間毎年まいとしここ東大寺・二月堂から「浄化」の波が
世界へ送られている・・・
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