駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

先輩が教えてくれたこと

2016年10月19日 | 医療

     

 暖かで穏やかな朝を出勤してきた。自分の医院だから出勤というのはそぐわないかも知れないが、八人の職員と相俟って医院を成立させているので、違和感はない。

 医学は科学だから日進月歩している。医療は科学ばかりではないが、社会が変わってきているから、病気の説明や患者に対する対応に変化がある。どちらにも、現役で診療しているから、追いついてゆかねばならない。正直に告白すれば、この頃追いつくのに息切れがし始めた。

 人間の能力そのものはこの百年否千年でさほど進化していないだろう。一人の人間が自家薬療中のものに出来る範囲には限界がある。そのために医学の進歩は細分化を伴う。

 細分化すると木を診ても森が診られない医師が出て来る。専門分野では優れているわけだから、高い評価を得て大学の教授や総合病院の部長になってゆく、それで良さそうだけれども、高度専門医療では抜け落ちる部分も出てくるし、費用が嵩む問題もある。どうもこの費用が嵩むというところが政府を刺激したらしく、浅いけれども幅広い知識と経験を持った医師を育てようという目論見が出てきた。出てきたと言っても、そうした考え方は三十年以上前からあり、手を変え品を変え徐々に形をなし始めたということのようだ。この一年病診連携から地域医療へという会合へ何度も出席させられている。これを県市学会医師会、それぞれでやるものだから、出席する方は、何だかこの前の講義や会議と似ているなあ、出席メンバーも重なっているなあと頭がこんぐらかってくる。「なんで、こんな似たような会をやるの」と疑問を呈すると、「これはB元会長の肝煎りですよ」と理事が教えてくれた。辞めたら大人しくしていて欲しい。どうして公職に就くと「私が企画した」などと業績を残そうとするのだろう。そういえばB元会長は外科出身だ。昔先輩が教えてくれた、「色々話を聞いて検査をして、よく考えて結局何もしない、これが内科の極意だよ」。屋上屋を重ねない智慧、手を出して複雑化混乱を招かない智慧を授けられたように思い出す。

 私としては広くて浅い診療も病診連携も地域医療も、二十五年前からやっている、そうした医師を忘れちゃあ困ると森の石松のような心持ちだ。

コメント (2)
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