駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ハムラビ法典の言葉、目には目を

2018年06月14日 | 小考

     

 遺憾ながら法にも法の精神にも疎い。分量が多く細かい法はともかく法の精神に疎いのは、いかにも残念だ。教師の回避や怠慢あるいは文部省の指導や作戦のいづれにあるのか知らないが、そうした授業内容は乏しかったと記憶する。

 ハムラビ法典の名前は知っているがその中身は断片的な「目には目を」しか知らない。現在の法の精神や法ができてきた経緯をきちんと理解していない身には「目には目を」はいかにも妥当当然の決まりに思える。ISによって誤解されている部分も大きいと思われるイスラムの精神、実は穏当で平和なもので「目には目を」も過激で暴力的なものではなく、過剰な復讐を諫めたものと聞く。そうであればなおのこと、幼児虐待、誰でもいい殺人には目には目の刑罰をという憤りが湧いてくる。医者がなんてことをと言われても「ゆるして」と書いた幼い子や傷ついて転んでもなお立ち向かった青年のことを思えば犯人に「目には目を」と思ってしまう。一体今の法律とその手続きは、本当に真実に迫って社会の安寧に貢献しているのだろうかと思うことも多い。怒りにかられた衝動は行き過ぎることもあるだろう、だから「目には目まで」という教えが生まれたと推測する。単純な凡人の感覚かもしれないが、現行極悪犯には今も適用できる気がする。大嘘つきの知能犯には倍返しでもよいかもしれない。

 もとより法や歴史には詳しくないので、間違った解釈をしているかもしれないが、人並みの運不運の七十年を生きて、あまりの非道には「目には目を」を天の断罪と感じる。

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