空から北方領土を見ることが視察だろうか?それは望見とか瞥見というもので、パーフォーマンスだと与党を非難していた言葉が今度は自分に跳ね返ってくる。枝野氏が有能に見えたのは反発抵抗する時だけだったのが分かると再度野党に戻った時には与党の冷笑が待ちかまえているだろう。
サッカー、野球、碁や将棋否全ての試合試練に於いて、相手の立場になって考える力、自分を客観視する力がない者は敗れてゆく、政治外交も然りなどと申し上げるまでもなかろう。
外国人看護師試験に言葉の配慮をするらしい。合格率1.2%と極端に低い合格率は言葉の壁があるからと英語を併記し漢字に振り仮名をするらしい。それは導入前から予想されたことで、付け焼き刃の誤魔化しで凌げる問題ではない。コミュニケーションの問題で事故が起きた時の逃げ口上も用意しているのだろうか。アインシュタインの臨終の言葉は看護師がドイツ語を解しなかったために永遠に失われた。これは患者と看護師が逆の例であるが、似たようなことが起きるのは避けなければ。
十代の有能な東南アジア青年少女を日本の看護学校に受けいれるのが筋で、そうすれば柔らかく若い心身と脳には日本語と日本文化が吸収され、少なくも50%の合格率が望めるだろう。
メディカル・ツーリズムの分野では、英語圏インド辺りにも随分遅れをとっているようです。
それにしても、外国人看護師試験に言葉の壁があるのは、最も初期段階のミスですね。日本の行政は自己中の事が多いですから、今更と思ってしまいます。
政府は結果として看護学校を減らしてしまいました。看護学校の学校の基準を上げたので、満たすことの出来ない看護学校は閉鎖に追い込まれたのです。看護師が減って困るとの現場の声に対して、東南アジアから連れてくればよいとの鶴の一声。その結果が僅か1.5%の合格率です。夢を抱いて来日した看護師の夢を潰し、現場の看護師不足は解決されません。鶴の一声氏はどこでどうしているんでしょうか。探し出せば、百万言の言い訳を用意されているでしょう。