今年も八月十五日が来た。どこか微かに秋風を感じながら何故か夏空を見上げてしまう。
新聞が売れなくなっており、もうすぐ潰れて無くなってしまうという報道を見た。私の年代では考えられないことだが、瞬時にネットで情報が伝わり溢れる時代、スマホ代の他に新聞代までは払えない、何時間もスマホを見ていると新聞を見る時間が無くなるというのが理由だろうか?
確かに新聞社側にも、変わるべき変えるべきところはあると思うが、報道されるほどの劣化はなく、消えてはならない情報源と認識している。もう一つ活字を読む情報というのは見聞きする情報と脳に沁みこみ方が違うと思う。新聞の健闘を祈り、これからも読み取り続けたい。
客観的なデータ、科学的思考、オープンな討論が大きな間違いを防ぐには必要と考えています。開かれた情報様々な意見を提供するジャーナリズムは欠かせません。新聞に代わるものがなければ、新聞を変えてゆく必要があるのではないでしょうか。