駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

短絡斉唱は危うい

2011年09月13日 | 町医者診言

 

 死の町という発言は、政治家として適切では無いが鉢呂氏の率直素朴な感想だったのだと思う。二流の文学者の発言であれば許容され、殆ど問題にならなかっただろう。大臣として発言の受け取られ方を考慮しなかったことは軽率のそしりを逃れられないが、今までの経歴(詳しくは知らない)を水の泡にするほどの失策とは思えない。放射能を移す?という言葉や仕草が具体的にどのようなものであったかもはっきりしない。マスコミに煽られた悪者愚か者のレッテル張りによって引きずりおろされた感じがする。

 勿論、私は鉢呂氏は思慮分別が足りないと思っているが、駄目だ悪い奴だという一方的で異常な盛り上がりに、こんなことでまともな判断ができるだろうかと危惧する。

 少し前にも自助努力のない奴は助けないとか、大臣を待たせるなとか怒ったことをけしからんと叩かれて辞任した新任大臣が居た。これもまともな弁明をすれば説明可能のところもあったと思うが、驚くことに「私はB型だから」。と不可解な弁明をして、世界を驚かせた。

 脱線して悪ふざけを書けば、Aは阿呆Bは馬鹿Oは愚かが当てはまる。血液型と性格の関係には何の科学的根拠もない。しかし、そう指摘しても楽しいから面白いからいいじゃないと、恐らくそれを飯の種にしている人達からざわざわと反論がある。じゃあ、軽い冗談で済んでいるかというと、困ったことに実害弊害のある使われ方が横行している。指導的立場にある?政治家がまでが根拠のない意味不明の言い訳をしては困る。

 物事の是非は一言では言い難い。死の町の表現はそこに住んでいた方々には辛く響き、その気持ちを推し量らずに用いることに問題はあろう。しかし、死の町という表現は客観的に見れば厳しい現実を直裁に伝えている。その厳しい事実を虚心坦懐に受け止めなければ、原子力行政と東電の責任追及はできないし、被害に遭われた方の本当の次の一歩は踏み出せないと思う。

 人間は低俗で愚かな一面を持ち合わせているが、それに迎合して明日が切り開けるとマスコミ人は思っているのだろうか。若い記者は先輩を疑え、原語で世界のニュースを読み歴史を学べ、現場を歩き回れと言いたい。


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