男は泣かないのだろうか。少なくとも私の周りいる男が、女のようにメソメソと泣くのは見たことがない。あるのかもしれないが、そういう男を認めたくない思いで、記憶の中から削除しているのかもしれない。
「70秒だけでいいの。」
そうあなたに言ってみる。
「何?」
振り返りながら、あなたは私に聞く。
「70秒だけかして。」
もう一度言ってみる。
「70秒?何を貸すの?」
要領を得ない顔をしたあなた。そんなあ . . . 本文を読む
「怖い」
短いメールを、またあの人に送信する。痛みに耐えながら、夜を迎え夜をやり過ごそうとする。この痛みがいつまで続くのか、薬が切れたとき再び戻ってくる痛みの度合いを想像する。
真っ暗にしないと眠れなかった。小さなときから、寝るときはどんな小さな灯りも消して、部屋は闇の中へと沈んでいなければ寝付くことができなかった。
それが習慣になり、ずっとずっと続いていた。テレビの電源の小さな赤い明かりさえも許 . . . 本文を読む
「あなたが先にのぞいたのよ。」
私は、そうあなたに呟いた。
あなたは、私であって私ではない、私ではなく私の顔を見ている。
私が、あなたのあなたでない、あなたでないあなたの顔を覗いてしまったように。
お互いが覗いてしまった顔を、気づかないふりをしながらやりすごす。
そう、どこか似た匂いを感じ、
あなたにどんどん惹かれていく。
それがどんな感情なのかはわからないけれど。
ただ匂いを感じ、あなたの顔を . . . 本文を読む
「少し楽になったかな・・・」
お連れの人が先に帰られ、カウンターにその女性が一人になったその時、その女性はふと誰に言うでもなくはずした視線のままつぶやいた。
「えっ?」
耳に入ったその言葉が気になって聞き返した。
「少しだけ楽に生きられるようになったのよ。もう、わがままをほんの少し言ってもいいかな?と思えたら、少しだけ楽に生きられるようになったの。」
何か言葉を探したが、見つかる言葉はなかった。楽 . . . 本文を読む
「じゃぁ、お嬢さん、娘たちと同じ学校を受けるのね。」
「小さい頃からバレーをしているから、勉強より踊りのほうばかりなんだ。」
「いいかもしれないわ。一貫校だから。」
「そういうもんなんだ。」
「良い学校よ。安心して子供を預けられるわ。先生方の目も充分に行き届いている。」
「先日、学祭のときに学校を見に行って、綺麗な学校だと驚いていたよ。」
「そうね。」
「・・・・」
「ごめんなさい、お仕事の . . . 本文を読む
『私を一人にしてください。』
『何を言っているんだ。』
『離婚してください。』
『何をバカな。』
『バカなことは言っていません。』
『そんな体で、一人でどうするというんだ。』
『だからこそ、今のあなたとは一緒にはいられないんです。』
『言っていることがわからない。』
『私がこうなっても、あなたは私と向き合おうとはしない。あなたは私を支えてくれようとはしない。』
『くだらない。』
『くだらない? あ . . . 本文を読む
「もう、やめておいたほうがいいですよ。」
いつもは、タイミングよくグラスを満たしてくれるその男性も、さすがにもうそれ以上グラスに酒を注いでくれそうにもなかった。
「初めてですね。そんな酔い方をするのは。何かあったのですか?」
たぶんカウンターの中に立つものが、お決まりのように口にする言葉を、同じようにその男性は言った。
まだこの店に客が集まるには少し早い時間。カウンターにもう一人だけの客がいる店内 . . . 本文を読む
『あの時と同じね。』
『うぅん』
『4年前のあの時と。』
『そうかぁ。』
『ん、本当は何もかも違うのよ。でもあの時と同じ。』
『俺達は、あの時より確実に4つは歳を取っている。』
『そうね。』
『何より、こうして生きている。』
『…。』
『同じ、違う、海を同じ場所から同じ様に眺めている。』
『だから、あの時と同じ。』
『だから、あの時と違う。』
『こうして、今だけでも一緒にいられる。…から。』
『4 . . . 本文を読む
『どう?少しは落ち着いた。』
『一段落付いたものの、なかなか。』
『そうよね。』
『自分の中で、納得できないと言うのか。消化しきれないと言うのか。』
『わかるような気がするわ。』
『心配かけ通しでしたから。』
『…』
『ずっと、離れたままでしたから。』
『そうね。』
『ぽっかり穴が空いてしまったみたいで。どうしたら、その穴を埋めることができるのか…。』
『…』
『わからないんです。』
『そう。』
. . . 本文を読む
「思い出さなければよかった?」
確かにその男性(ひと)は、そう私に問い掛けた。何もかも記憶を封印したままだったとしたら、今こうしてこの男性と逢っていることはない。思い出したくないことも、思い出してしまったことも、思い出したかったことも、一揆にすべての封印が解かれた。
展覧会のチケットを、一方的に郵送した。私が出かけていけるであろう日時だけをメモして。
ゆっくりと一枚一枚時間をかけて、平日の凛とし . . . 本文を読む
『よっ。』
『よっ、久しぶり。』
『ほんとね。』
『どう?』
『どうって。』
『旦那。』
『まいっちゃうわよ。』
『まあなぁ。』
『まあねぇ。』
『しかたないか。』
『それでも、こうして逢ってる。』
『うん。』
『別に、何がどうとか、どうかなるとか言うんじゃないんだし。』
『まあな。』
『でも、こうして隠れるようにして逢っている。』
『そうだな。』
『めんどくさいことになるから。』
『でもさ、言い . . . 本文を読む
『判をついて下さい。』
『…。』
『家の名義も、私に変えました。』
『…』
『昨日、貴方のご両親にも話をしてきました。』
『一人でか。』
『ええ。』
『入院している間に、何もかもか。』
『結果的には。』
『後は、俺が判を押すだけと言うことなのか。』
『…』
『確かに、離婚の約束はしていた。だが、子供達が二人とも成人するまではこのままと言うことじゃなかったのか。』
『…』
『何もかも自分だけでケリを . . . 本文を読む
『助けて。』
『どうした?』
『どうかなってしまいそうなの。』
『…。』
『逢いたい、逢いたい、ただ逢いたいの。』
『大丈夫か。』
『大丈夫じゃないから、こうして電話してるの。』
『何があった。』
『何があったと言うわけじゃないけど。ばらばらになってしまいそうなの。気持ちが。』
『逃げているだけだろ。』
『そうかもしれない。逃げているだけでもいいの。本当に逃げだしてしまい。』
『俺にどうしろってい . . . 本文を読む
『もしかして…。』
『…。』
『やっぱり。』
『失礼ですが…。』
『オレ、忘れられてしまったかな。』
『…、あっ。』
『似ているなぁって思って。』
『…。』
『毎週、あそこで車の中から見てたでしょ。』
『えぇ、娘の練習を。』
『なかなかセンスがいい。のびるよ、まだまだ。』
『ん?』
『あっちのグラウンドで、少年野球の監督をしているんだ。毎週、ほとんど同じ時間。毎週、同じ場所に車を止めて、熱心に練習 . . . 本文を読む
『私です。』
『あぁ、』
『たまにメールがはいったかと思えば、業務連絡なのかしら?』
『悪い。で、本題なんだけど、メールにも少し書いたが・・。そう言う話があって…。』
『今朝ネットで調べてみたの。』
『うん。』
『とても私がお手伝いできる金額じゃないわ。』
『色々な状況を考えたとき、君のことが浮かんだんだ。一緒にやれたらいい、そう思ったんだ。』
『有難う、それは素直にとても嬉しいわ。でも本当にごめ . . . 本文を読む