天気予報で朝から雨が降ることがわかっていましたので、今朝は起きないつもりで昨夜は寝ました。
夜中からそれとも明け方
かわかりませんが雨音で目が覚めましたがすぐに寝てしまっていました。
完全に目が覚めたのは6時。
本降りでしたの、7時まで瞑想をして階下に降りました。
母は寝ていましたが、7時がお薬の時間です。
起こしてもちょっと目を離して用事をしていると又寝ています。
なかなか意識がはっきりせず起きません。
しかも起こしたせいかしんどそうです。
お薬を飲ませてしばらく様子をみていましたが、やはり何かおかしい。
私はもう最期ではないかとドキドキしていました。
「先生に来てもらう」と言うと頷きましたので、訪看さんに電話をして様子を説明しました。
次の往診は5日(木)でしたが、休日があるので「2日は如何ですか」と先週お電話を頂いていました。
訪看さんは「私達が行くか、往診かお電話します」と言われましたが、血圧を測っていませんでしたので測って再び電話をしたところ、別の看護師さんが電話に出られました。
話は通じているものと思って話していたところ、通じないのでさっきお電話したことを言いました。
血圧は173-93
酸素は95
昨日もしんどくなった時血圧が170~180ありました。
ひどい時には200を超えます。
看護師さんは「私達が行っても血圧を測って見守るしかないと思いますので、それでいいと思います」と言われましたが、「相談して電話をします」と言われました。
しばらくして再び今度は診療所の方から電話があり、「10時半~11時頃往診に行きます」
その頃には母の意識は段々と戻ってきました。
本当にもう心臓に悪い。。。
その後、母は「寒天の羊羹、まだある それが食べたい」と言いました。
そして、続けてベッドで大きな口を開けて何事もなかったかのように果物を食べる母を見て思わずふっと笑ってしまいましたが、疲れ切りました
今朝の果物
その後、目玉焼きとサラダも食べました。
9時半にいつものようにヘルパーさんが来られました。
今日はデイに行く日でしたが、「往診の後で先生からOKが出たら又迎えに来ます」と言われ帰られました。
それから11時。
ドクターが来て下さいました。
この時の血圧は上が80でした。
この血圧の乱高下はパーキンソン病の特徴のようで、これによってしんどくなるようです。
もう今日こそは最期なのではないかと本当に内心非常に狼狽えていた朝でした。
私がしっかりしないといけないので安定剤の頓服を飲んでいたせいもあって、虚脱感としんどさが続きました。
母は「デイに行っても家に居ても寝るだけ」だとドクターに言いました。
「じゃあ、行ける元気があるなら刺激があった方がいいから行ったらいいよ」と先生。
私は「もう死ぬんじゃないかと思いました」と話したところ、先生が笑いつつ「もちろん、意識障害は心配だし、高齢だからいつ何が起こるかわからないけれど、まだその時期ではない。血圧が高い時は頭を高くし、低い時には足を高くして安静にして波を乗り越えるしかない」と言われました。
はぁ~、もうやれやれでした。。。
疲れ切りました。
その後、デイからお電話があり、お迎えに来て下さったのは11時45分でした。
ヘルパーさんがお迎えに来て下さってもお茶を飲み続ける母。
食事もしたことを話すと、そのマイペース振りに「いい性格されてるわ~。私なら気に病んで食事なんて出来ない」
母が行った後、私はゆっくりリラックスすることにしました。
そして、ゆっくりとお一人様のお昼ご飯を作り食べました。
お味噌と大葉で味の付いたお揚げを焼きながら心が徐々に落ち着いてきました。
これ、味が濃かったですが美味しかったです。
甘いものが欲しくなって、食後のお菓子も食べました。
このカップはスペインのサグラダファミリアで買ったお気に入りのひとつです。
お薬と緊張がほぐれたせいとおなかも満たされたせいで眠くなってきましたが、そのままバラ十字会のお勉強をしました。
(でも、途中30分位眠ってしまいました)
3時のおやつに冷凍のマンゴーを解凍していましたので半分食べました。
4時からはいつものように英語のレッスンも受けました。
そして、4時半過ぎ、母が元気に帰ってきました。
遅く行ったにも関わらずお風呂にも入れて下さり、今日は寝ないで過ごしたようです。
「今日のお昼ご飯、美味しかった」と尋ねると「美味しくない」と答えたものですから、ヘルパーさんが吹き出されました。
今日は中華丼だったようで、母の口には合わなかったようでした。
そして、夕食を食べ、「ちょっとしんどくなりかけたから早目に寝る」と言って8時過ぎに吸入をした後、寝ました。
こうして、今日も一日終わりました。
はらはらドキドキの朝でしたが、今日も何とか終わりそうです。