節分&にわかおひとりさま&母との話し合い

2021年02月02日 20時01分01秒 | 介護

 今日は節分。

1897(明治30)年以来124年ぶりの2月2日の節分だとか。

毎年、巻き寿司を巻いてきましたが、今年は1本巻いても多い(食べ切れない)ので作らないことにしました。

そこで、昨日、母の所に行く前にお買い物に行きましたので、巻き寿司の下見をしました。

でも、当然のことながらどれも1本。

1本丸ごとがぶって食べるのですものね。

手巻き寿司を1本から売っていればいいのですが、昨日は4本入りからしかなかったです。

ということで、ひとりで食べるのは無理なので今年は恵方巻きを食べるのを諦めました。

 

 

 ところで、昨年、母は3回入院し、3回目は暮れの12月27日からで、転院を経て今に至っています。

6人家族でしたが、今は母と2人暮らしですので、母が入院した現在は「おひとりさま」です。

ひとりで暮らしていらっしゃる方は多いと思いますし、今後もっと増えていくと思うのですが、皆さん、毎日どのように過ごしていらっしゃるのでしょうか。

お掃除やお食事を作るのが面倒だったりしないでしょうか。

(当然長い間にはしますよね)

なるべく「日常生活に愛を込めて丁寧に生きる」をモットーにしていますので、そのようにしたいとは思っていますが、手の込んだお料理はしなくなりましたし、シチューやカレーなども作らなくなりました。

小鍋で作っても量がついつい増えて何回も食べないといけなくなってしまいますから~

 ひとりは自由で気ままでいい反面、一人っ子の為昔からひとりに慣れていて苦痛ではない私も、淋しさや孤独感を感じることがあります。

お食事も砂を噛むように感じることも・・・

こういう時には大抵母のことで何かがあった時が多いですが、でも、そうじゃなくても特に病気の時などは不安だろうなあと思います。

 

 ところで、今回の入院でもいろいろとありました。

今後もあるでしょうけれども、例えばケアマネさんとコミュニケーションが上手く取れなくなりました。

話し合えば単なる誤解で終わることではないかとも思っていますが・・・。

例えば、入院中などはケアマネさんから全くご連絡がないのは普通でしょうか

小規模多機能施設のケアマネさんなのでとてもお忙しく時間がないことは十分考えられますが、転院のことでこちらがご連絡した時には「方針が何も決まっていないので私からは診療所への電話は出来ません。娘さんがして下さい」と言われたり、訪看さんへ我が家は「在宅は無理ですよ」とお電話をされたりということがありましたので、こちらからはもう何となく連絡しにくくなり、母の夜のおむつ(施設用なのでこれだけは介護用品のお店で購入)ももう私の方で注文しました。

又、ドクターのお話で納得のいかない部分もあります。

そんなこんなで悶々としていることの多い最近ですが、昨日ある方からお手紙が届きました。

あちらは季節のご挨拶やお礼を兼ねてのお便りだったと思うのですが、私としては書かれている内容にはっとしました。

そこには「神秘家として・・・ネガティヴな意見や、扱いに直面しても寛容さを失わないように」ということが書かれてあり、私は「あぁ、そうだった。。。」という思いに打たれました。

また、生き方の「そのような理想が見えていて、日々そこに少しずつ近づく努力をすることができるというだけでも、何と幸せなことでしょうか」と言う文面に接し、私はとても納得すると共に、これからの生きて行く生き甲斐のようなものを感じました。

生きとし生けるものや自然を愛し慈しみ、国境や文化、考え方の違いを超えて人々を同胞と感じ、多くの人の役に立ちたいと思い(これは何かをするということも入りますが、何も出来なくても祈ることは出来ますし、想いを馳せ寄り添うことも出来ます。また自分の居る場所で自分なりに一生懸命に生きることも素晴らしいことです。もっと言えば存在そのものでOKですよね)、困難な状況にあっても前向きに生きようとする、そして、ネガティヴな意見や、扱いに直面しても寛容さを失わない等。

このような生き方はクリスチャンとしてもバラ十字会員としても同じものです。

もっと言えば「人として」の生き方の理想です。

なかなか一朝一夕にはいきませんし、出来ないことの方が多いのですが、気持ちだけは持っていたいと思っています。

それがひとりで生きる私の生き甲斐となるのではないかと、今回のお手紙を頂いて感じたわけです。

私は小さな弱い人間ですので、大きなことは出来ません。

ですから、昔から「照一隅」という言葉がとても好きです。

落ち込んだ時こそ、にっこり笑う。

なかなか出来ませんけれども、そう出来たらいいなあと思います。

 

 

 

 

 今朝の果物

 

 

 今日は昨日とは打って変わってとてもいいお天気です。

今日は母の所に朝の9時半にはポン酢とお漬物を持って行ってきました。

帰りはいつものように、教会経由で公園を1周だけして帰ってきました。

 

 

今日も剪定をされていました。

 

 

 午後、再びウォーキングへ。

かなり風が強く、剪定も随分と進んでいました。

 

ニセアカシアの枝も

なんとポプラちゃんの枝も全部切られて無くなっていました。

 

もう芽が出ていましたが、それでも生命力のある木々ですから、春には新しい葉が芽吹いてくることと思います。

外周のカイズカイブキも綺麗に剪定が終わっていました。

我が家のお花

 

 

 今日のブログはここで終わりと思っていましたら、夕方、母から電話がありました。

お醤油の許可が出たのでお醤油とご飯と一緒に食べられるお味噌やふりかけがほしいとのこと。

「病院の食事は味がなくて欲しくなくて食べられない」と言います。

最初は「うんうん」と聞いていたのですが、あんまり文句ばかりを言うので(母は文句ではなく本当のことを言っていると言うと思いますが)、少々きつく私も言いました。

病院に入りたくても入れない人もいる、食べたくても食べられない人もいる。

それを考えたら、暖かい病院の中にいるのだし、感謝して食べないといけないと。

食べないと元気が出ないよと。

でも、「欲しくない」を繰り返し、「先生は娘さんさえ良ければいつでも帰れると言われたけどダメなの」と言いました。

いつ言われたのか聞いたら転院した時だそうです。

本当かどうかはさておき、今の母の状態を考えてみました。

もうシルバーカーを押して歩いているようですし、その方の状態は良さそうです。

血圧に関しては、今朝、看護師さんにお薬も持って来るように言われていましたので自宅で余っているお薬も持って行ったのですが、その時に、ミオコールスプレーをすると急激に血圧が下がり90くらいになって余計にしんどそうになるので今日から中止になったことをお聞きしました。

血圧が90になるのは乱高下ではなく、ミオコールスプレーのせいだったようです。

喘息については時折軽い喘鳴が電話を通して聞こえることがありますが落ち着いているようです。

ただ外はまだ冬。

寒い部屋に帰ってどうだろうか。

前のような喘息発作が起こらないだろうか。

起こった場合、コロナが流行っているなかで、先日まで居た病院が受け入れてくれるだろうか等々。

(岡山は最近落ち着いてきたように思います)

そして、私は母に言いました。

私にも覚悟がいるけれど、母にも覚悟がいることを。

今まで何回か救急車のお世話になりましたが、又、苦しい状況が起きないとは言えない。

家に帰るとはそういう覚悟がいるけれども、その覚悟はあるのかどうか。

母は黙りました。

そこでいろいろな可能性やパターンを話しました。

母も一人暮らしの友人と一緒に小規模多機能施設に行けないだろうかとか考えてみたようです。

そうすれば母の安心感も増し、私の安心感も増すと考えたのでしょうか。

お金に糸目を付けないなら看護師さんを頼むことも可能ですが、(娘婿のおばあちゃんはそうしています。それにお手伝いさんも何人か居ますし、今は長男夫妻の家に引っ越しました。ずっと24時間体制の看護は海外だから出来ることです。)看護師さんが苦しみを無くしてくれる治療や処置をしてくれるわけではありません。

病院にいることだけは絶対に嫌だと言いますので、私もとても不本意ではありますが、母が病気を持っていますので医療付き施設はどうだろうかと思うと話しました。

日中、帰りたければ帰ることも可能だと思います。

夜、泊まりたいならだれか一緒に泊ってくれる人を探すかいなければ、看護師さんを頼むとか。

私も母を帰らせてあげたいですが、ひとりでは非常に不安だと言うのが本当のところです。

いつ爆発するかわからない爆弾を抱えているような気がして心が休まることがありません。

母に数々の病気がなければいいですが、問題は急変した場合です。

苦しんだまま亡くなることにでもなったら・・・。

本当に何かいい方法はないのかと思います。

でも、今日、母と話してみて、母も何が何でも家に帰って、万が一苦しむことになってもいいとは思っていないことがわかりました。

母を最期まで家に居させてあげたい。

それが私の以前からの希望でした。

母がずっとそう希望してきたからです。

けれども、もちろん可能な限り家に帰ることが出来るようにしてあげて、その上で何かがあった時、つまり急変した時にすぐに対応してもらえることが一番大切なことではないかと思うようになりました。

人生の最期は安らかに逝かせてあげたいです。

それが家で出来ないことは私も非常に悲しいことです。

でも、苦しむことなく死にたいと言うのも当然のことながら母の希望でもあるわけです。

多分、これが一番ではないでしょうか。

母が昔よく私の娘、つまり孫に言っていました。

「脈を取ってもらいながら死にたい」

(一番の希望はご飯を食べて「ご馳走さん」と言って死にたいですが)

孫は忙しく帰ってくることは出来ません。

ましてやこのコロナ禍。

まだ時間がありますので、今までのように「一番いい方法をお示しください」と祈りながら出来ることをしていきたいと思っています。

コメント (6)
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