ケアマネさんとのお話&「ラビアンローズ La vie en rose 」の集まり

2021年02月05日 21時31分31秒 | 友人との時間

 今日は朝は寒かったですが、日中は穏やかで暖かい一日でした。

夜中に目が覚めると、いつの間にか母のことを考えてしばらく眠れなくなりますが、528ヘルツの音楽をかけるといつの間にか眠っていて、今朝は寝過ごしてしまいました

 

 今朝の果物

 10時から1時間15分位、ケアマネさんがいらして下さっていろいろとお話しました。

いいお話合いが出来たと思います。

医療付き介護施設のパンフレットも持って来て下さっていました。

「もし施設に行くにしても少しでも一旦は家に帰らせてあげたい」と言いますと、以前そういう方がいらして「これが最期かと思うと胸が張り裂けそうだったと言われ、家を外から眺めてもらうだけにしていた方が良かった」と言われたお話なども伺いました。

ケアマネさんとしては何が何でも「施設」ではなく、もし私達が在宅を選んだならば今と大きく違ったサービスは提供出来ないかもしれないけれども出来るだけ協力するとおっしゃって下さいました。

ただ、心配なのは私にかなりの負担がかかることと、今は寒いので喘息の心配もあるしもう少し暖かくなるまで待った方がいいと言うこと、母のベッドを南のお部屋に移した方がいいとアドバイスを下さいました。

また、「サコージュ」 の話もついでに出て、それは何と思っていましたら(どこかの施設の名前かと思っていました)「サ高住」
「サービス付高齢向け住宅」のことだったのですね。

そう言えば、今の小多規を決める時に、もうひとつの施設の2階が「サービス付高齢向け住宅」だったことを思い出しました。

60歳から健康な人でも入れるのですね。

ところで、今の訪問のドクターが最初にいらした時から言われていましたが、「太く短く生きるのがいいか、細く長く生きるのがいいか」と言う質問、母は未だに結論が出ないようです。

今日、同い年のグループ「ラビアンローズ La vie en rose 」の月1回の集まりが我が家であったのですが、半分に割れました。

ただ、皆一致したのは苦しむのだけは嫌だと言うこと。

結局、昨日もカウンセリングを学んだ先生から聞かれたのですが、「何を一番避けたいか」、反対に言えば「何を一番優先したいか」。

私は「母が長く苦しむのだけは避けたい」と言いました。

そうなると「在宅」ではなく「施設」の方が有利になってしまうのですが・・・。

死に方だけはわかりません。

ぽっくり亡くなるかもしれないですし、寝ている間に逝ってしまうかもしれません。

あるいはドクターが懸念されているように何もかもが一度に来て、救急車も受け入れ先が遠くになって・・・という可能性もあるわけです。

こればかりはわかりません。

母がよく「90歳を過ぎたらあまり苦しまないで死ねるらしい」と言っていましたが、今、毎日苦しんでいるではないかと思います。

今日もやはり2時頃まではしんどかったようで、先生に来て頂いたそうです。

朝夕、来て下さっているようですが、今日は3回来て下さったと言っていました。

Today , it was the day when people from the age group called "La vie en rose" had a monthly gathering.
My friends bought lunch boxes and cakes, and we ate them at my house.
We enjoyed eating and chatting together for almost five hours.

今日は同じ年齢のグループ「ラビアンローズ」の月に1度の集まりの日でした。
友人達は私の家にお弁当とケーキを買って持って来てくれました。
私達は5時間おしゃべりを楽しみました。

 「ラビアンローズ La vie en rose 」の集まりの前に、友人が「もうすぐ着くから、駐車場に入れるのを見て」とラインがありましたので、外に出て暖かい日差しを浴びながら撮った写真です

 

11時40分位から4時45分位までお弁当やケーキを食べながら、おしゃべりを楽しみました。

蟹の甲羅のお弁当

 

節分に巻き寿司が食べられませんでしたが、今日、蟹の巻き寿司を食べることが出来ました

 

タルトのお店のショートケーキ。

甘くなくて美味しかったです

こちらの写真は友人がiPhone 12 Promaxで撮った写真です。

 

持って来てくれたお土産。

手作り塩麹と醬油とバレンタインチョコ。

もうひとりは家で育てたレモンとポンカン。

 

楽しい時間でした。

おしゃべりはなかなか尽きません。

多分、尽きることはないのでしょう

お陰で、エネルギーをもらって元気になりました

明日も今朝、急にラインが来てホスピス仲間(ホスピス勤務時代の友人)が来ることになりました。

お姑さんのことでかなり煮詰まっているようです。

このメンバーとの話もこれまた尽きることがありません。

楽しみです

 皆が帰った後、母と電話で話しながら公園を少し歩きました。

今日は介護認定の日でした。

私はコロナの為診療所側が遠慮して欲しいと言われたとのことで行きませんでした。

母は現在要介護4ですが、母曰く「また張り切ってしまったんよ。」と言います

母はいつも認定の時にはとっても張り切ってがんばるのです

本人は少々落ち込んでいました

でも、何だか可笑しくて・・・

「要介護3になったらそれはそれで良くなったことだから素晴らしいじゃない」と言いますと「ちっとも良くなっていないわ」とぼやいていました

明日は母の好きなサラダ巻や胡麻豆腐、バナナなどを持って行く予定です。

今日は彩雲が見られました

母に「ラッキーなことがあるよ」と伝えました。

 

 

そして、もうひとつ、公園の梅が一輪咲いていました~

 

これは昨日の新聞ですが、つんくさんの記事と、カトリックの病院で手術の前に看護師さんが「祈ってもいいですか」と言って祈られたお話。

手術の前にはドクターも看護師さんも祈っていらしたそうです。

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

(2月3日)

やっぱり負け続けた人は
強いですよね。
負け続けている人って、
負けても死なないと分かっているから、
這いつくばってでも
現状を打破しようとする強さがある

――――――――――
又吉直樹(お笑い芸人/作家)


(2月4日)

人間は天使と悪魔が
同居している複雑な
存在なのであって、
一色に染め上げることはできません。
つまり、自分とは
真逆の立場の人と共に
生きることが大事

――――――――――
秋満吉彦(NHK「100分de名著」プロデューサー)


(2月5日)

10・10・10(テン・テン・テン)の法則

ブランドを構築するには10年かかる。
しかし、そのブランドを失うのはたった10秒。
失った信用、ブランドを
盛り返すにはまた10年かかる

――――――――――
藤居寛(帝国ホテル顧問)

★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

(2月03日)

愛着を愛と混同してはならない。情熱と愛を混同してはならない。愛は神に属するものであり、愛は創造的であり、あらゆるものを与える。
Do not confuse affection with love.
Do not confuse passion with love.
Love is of God, it is creative, it is all giving.
(3545-1)


(2月04日)

あなたは誰にそして何に信頼を置いているか、はっきり自覚しなさい。
Know then in WHOM as well as in what you put your trust.
(1431-1)

(2月05日)

もしあなたが経済を最優先にするならば、あなたは道を失うだろう。もし理想を最初に定めるならば、経済は後からついてくるだろう。
If the finances are put first and foremost, ye may lose the way. If the ideal is set first, the finances will follow.
(3653-1)

★バラ十字会 メールマガジン

(1月29日号・・・掲載するのを忘れていました)

こんにちは。バラ十字会の本庄です。いかがお過ごしでしょうか。


━…………………━

画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M759937&c=3304&d=ed84

━…………………━


昨日は東京板橋にも雪がうっすらと積もりました。

春が待ち遠しいですね。

日本海側はこれから暴風雪とのことです。くれぐれもお気を付けください。



今回も引き続き、当会のフランス代表が書いた『愛へのお手紙』の紹介をさせていただきます。

前回をまだ呼んでいない方は、できれば下記を先にお読みください。


参考記事:「愛へのお手紙」(その1)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M759938&c=3304&d=ed84

▽ ▽ ▽

記事:「愛へのお手紙」(その2)

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン



では、人間に働いている「引き寄せの法則」とはどのようなものでしょうか。

生理学的にいえば、人間は発達した動物にあたるので、生殖の必要と欲求にはこの法則が物質的な愛(エロス:Eros)として表れています。


しかし人間は感情面での愛(フィリア:Philia)も感じ、必要とし、愛し愛されること誰もが望んでいます。

人種や文化や国籍や、人の表面上の差異を作り出している他のあらゆる要素とは無関係に、男性にも女性にも子供にも大人にも、この2つの種類の愛を見てとることができます。


人類の歴史の始まりから地球の人口が70億人以上に達した現在まで、このことに変わりはありません。

本能的で生まれたときから持っている性的な愛と感情的な愛への欲求がもし存在しなければ、人類は存続することなく滅びていたことでしょう。



しかし人間のことを、体と脳だけから生じる一連の働きによって単に活動させられている生きものであると見なすことはできません。

人間には魂(soul:魂)という要素が備わっており、その主な働きは最も高度な愛(agape:アガペー)を発揮することです。


性的な愛や感情的な愛をはるかに超えた愛を他の人に感じることは、人に宿る魂の作用に他なりません。

人間は魂の働きによって、同情、共感、思いやりを心の底から感じることができます。


友情についても同じです。有名な人に対しても無名な人に対しても分け隔てなく常に友情を示す人を私たちの誰もが知っています。

あなた自身も友情を日々感じていることでしょうし、そのときは必ず心地良い幸せを一緒に感じ、自分の心の深いところにある性質が表れていると感じるのではないでしょうか。


なぜならそのときあなたは、神聖という言葉を使わないとしても、自身の貴い、最良の部分を表現しているからです。



もしすべての人が共通に愛し愛されることを望んでいるのだとしたら、なぜ人類はあらゆる時代に、互いに殺し合ったり戦ったり、搾取したりしてきたのかという疑問が生じることでしょう。

また、人間が互いにひどく憎しんだり、他の仲間に残酷な仕打ちをしたりすることができることは、どのように説明できるのでしょうか。


その答えは自由意志にあります。

動物の中で最も発達した人間だけが自由意志を持ち、そのため人間は愛という法則に反して、最も原始的な本能を解き放つことができます。

そのとき、人間の性質の中の最も否定的な部分が表され、他の人に敵対する思考と発言と行動が生じます。


このことが意味しているのは、一人一人の人の心の奥には愛という長所が必ず備わっているけれども、人間はそれを目覚めさせて、判断と行動を通して外に表さなければならないということです。

そうしなければ、愛し愛されることを必要としているという人間本来の性質も、愛し愛されたいというという欲求も結局は隠れたままになってしまいます。



さまざまな哲学者と同じようにバラ十字会員の多くも、人間は本来、善良な存在だと考えています。

その理由はまさに、人間は魂を持ち魂の本質は愛だからです。


子供を育てた経験のある方でしたら、子供たちが何も教えられなくても、苦しんでいる人や困っている人に自然に思いやりを示すのをご存知のことでしょう。

また子供たちは、苦しんでいる動物に同情を感じて自発的に助けようとします。


しかし成長するにつれて、発達するエゴの影響によって、時として他の子供とけんかをしたり意地悪をしたりするようになります。

そのようなことが起ったとき、私たちは子供をなだめ仲裁して、彼らの心が調和を取り戻す手助けをすることができます。


このように、保護者の教育には欠くことのできない役割があります。

自分と他の人たちを愛する心、動物と、より広く言えば自然を愛する心を子供の中に育むことは保護者の責任です。

このことは、子供を愛しその愛を子供に伝えている場合にだけなし遂げることができます。



先ほど「自分を愛する心」と述べましたが、それは具体的には何を意味するのでしょうか。

明らかなことですが、自分の姿に恋をしたナルキッソス(訳注)のように、自己中心的に自分だけを愛することを意味してはいません。

必要なのは自分を知ることであり、長所と短所、強さと弱点、知識と無知など、あるがままの自分の姿に向き合うことです。

自分を愛さないとしても、少なくとも私たちは、実際の自分を受け入れなくてはなりません。


訳注:ナルキッソス(Narcissus):ギリシャ神話に登場する美青年。あまりにも美しかったため、失恋したニンフのひとりであるエコーが憔悴して声だけの存在になってしまい、神々の怒りを買った。その罰として泉に映った自分の姿に恋をし、その場を離れられなくなって死に、水仙に変わった。



実際の自分を受け入れることは、いつも簡単なわけではありません。

とりわけ現代のように、社会があらゆる場面で、身体や顔の美しさを称賛することを重視している状況では、ありのままの自分を受け入れることが困難になりがちです。

現代社会ではファッションという現象とともに、身体や顔の美しさが特に強調されていますが、実際のところそこには主観的な基準しかありません。


もし人類が望ましい成熟を遂げたならば、身体や顔は、内面的な美しさのためのショーケースと見なされる日が訪れることでしょう。

内面的な美しさは、魂そのものから発しているので失われることがありません。

「美しい人」のことが語られるのではなく「美しい魂」、つまり善意、不執着、寛容、正直などの意味での徳の高い人のことが語られる時代が訪れることになるでしょう。



次に「他の人たちを愛する」ということについて考えてみましょう。

ひとつにはそれは、仲間と一緒にいる時間を楽しむことです。多くの場合、一緒に過ごすのは親類や家族や親密なパートナーであることでしょう。

相手に欠点、弱さ、弱点があったとしても、これら親しい人への愛情が妨げられることはありません。

そして、彼らの長所、強さ、知識などが、その人を尊敬する理由になります。


親しい人は人生の一部だと言われることがありますが、それだけでなく自分の一部だとさえ感じられます。

ですから長いこと会えなければ寂しさを感じますし、その人が病気になったり事故に遭ったり、心身をすり減らすような困難に直面したりしているときには、自分のことのように心が痛みます。

もしその人が亡くなったときには、もう会えないという思いから、満たすことが困難な空しさが生じます。



しかし、他の人を愛するということは人間にとって自然で普通のことであり、愛する対象は親しい人に限られる訳ではなく、家族ではなく同郷でもなく、宗教や住む国や肌の色や、好みや興味や政治的立場が異なる人たちなど、本来愛する理由が特にない人たちにまで広がっていきます。


このような場合に私たちは世界の住人として、ハリール・ジブラーンの次の美しい言葉に沿うようにふるまっています。

「地球は私の故郷であり、人類は私の家族です」。


手短に言えば、それは心の底からヒューマニスト(humanist:人間を尊重する人)であることであり、バラ十字会員や他の神秘家が「普遍的な愛」と呼んでいるものを育むことにあたります。

しかし認めなければなりませんが、普遍的な愛を育むのは簡単なことではありません。

(その3に続く)



著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。



文中に紹介されていたレバノンの詩人ハリール・ジブラーンですが、彼の書いた『預言者』という本があります。心が洗われるような美しい内容で、何度も読み返したことがあります。


今回初めて知ったのですが、『預言者』はアニメーション映画にもなっていました。

原作の書籍があまりにも素晴らしいのでイメージが壊されないか少し不安なのですが、今週末に見てみようかとも思っています。


ご参考まで。



では、今日はこのあたりで。


また、よろしくお付き合いください(^^)/~


==============

■ 編集後記

季刊雑誌「バラのこころ」(No.160、Kindle版)が2月2日(火曜日)の午後4時59分まで無料です。下記で手に入れてお読みください。

内容:99枚の金貨/魂の暗黒の夜/神秘学の啓示/サミュエル・ハートリブ(知られざる教育改革家、情報専門家)/賢人/神秘学の庭師/タ・ディ・ナ・ネフェルの棺(バラ十字古代エジプト博物館のコレクションから)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M759939&c=3304&d=ed84

(2月5日)

こんにちは。バラ十字会の本庄です。いかがお過ごしでしょうか。


━…………………━

画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M762239&c=3304&d=ed84

━…………………━


東京板橋には、いよいよ、春の気配が近づいてきました。

サクラソウや梅が咲いています。


そちらはいかがでしょうか。

今回は、当会のフランス代表が書いた『愛へのお手紙』の最終回です。

前回、前々回は下記で読むことができます。


参考記事:「愛へのお手紙」(その1)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M762240&c=3304&d=ed84


「愛へのお手紙」(その2)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M762241&c=3304&d=ed84

▽ ▽ ▽

記事:「愛へのお手紙」(その3)

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン


ご存じのように多くの哲学者と思想家が、人と人が互いに愛し合うことを勧めています。

このことを最も強調したのはイエスであることに間違いはありません。

というのも彼は、自分の敵であっても愛せよと語ったからです。


しかし、そうすることを望んだとしても、私たちの中の一体誰が、そのようなことを本当にできると言うのでしょうか。

聡明であり善意を持っていれば、そんなことができると言うのでしょうか。

いえ、私たちにできるのは誰も憎まないということです。

このように考えると、完全に永遠に憎しみを持たないと言うことは、消極的ではあるけれども愛のひとつの形であるように私には思えます。


もし互いに憎しみ合う人がひとりもいないとしたら、世界はどれほど素晴らしい場所になるかを想像してみてください。

このような期待は、実現することのないユートピアのようなものであるのかもしれませんが。


しかしこの場合も、この目標に向かって人が努力できるようにするのは教育の役割です。

子供に寛容の心を育み、肌の色が異なっていたり、国や文化が違っていたり、考えや信念や、生活スタイルや理想が異なっていたとしても、それが理由で他の人を決して憎まないことを子供に教えるということが教育に含まれるべきです。



すべての人を愛することは不可能だとしても、人類を愛するように努力することができます。

私たちはいわば人類という体の細胞であり、この体は70億個の細胞からできています。

この体は集合意識を持ち、それはすべての個人の意識が結びついて構成されています。


個人の意識は人類全体の意識に影響を与えますし、人類全体の意識は個人の意識に影響を与えます。

この相互作用が有益なものであり、すべての人の幸せに役立つことを私たちが望むならば、人間関係は憎しみでなく愛に基づかなければなりませんし、悪意でなく善意に基づかなければなりません。


心理学者のカール・グスタフ・ユングは、これと同じ「集合的無意識」という観念を提唱しました。

集合的無意識が肯定的にも否定的にも個人の無意識に影響し、また個人の無意識が集合的無意識に影響し、それが望ましいものになるかそうでないかは、ひとりひとりの人が日常的に抱いている思いの性質に左右されると彼は考えました。



例外はありますが、多くの場合、血のつながった兄弟姉妹は互いに愛情を持ちます。

なぜでしょうか。それは母や父が同じであるという血縁関係によって、多かれ少なかれ意識的にお互いを尊重し助け合うからです。


そして、すべての人間は大部分の遺伝情報が同じであり、血管の中を流れている血もほとんど同じなので、突き詰めて言えば兄弟姉妹だと言うことができます。

また、母なる地球に生存を支えられているということもすべての人に共通しています。

このことを念頭に置いているだけでも、愛し合うとまではいかなくても、すべての人が少なくとも互いに尊重するのには十分ではないでしょうか。


また、あらゆる人と人の間にはさらに深い絆があります。個人の魂は、普遍的な魂(Universal Soul:宇宙の魂)から生じたものなので、すべての人はソウルメイトです。

それゆえにすべての人は、生物学的な意味だけでなく、スピリチュアルな意味でもひとつの家族です。

このことは、人と人が親密な関係を維持すべきであり、憎んだり恨みや悪意を持ったりすることや、より広く言えば互いを傷つけようとする望みのすべてを拒絶すべき、もう一つの理由です。



さて、自然への愛を取り上げましょう。

それは、“自然”に湧き上がってきます。

自然を愛することは、受け身ではなく活動であるべきだと私は思います。

たとえば、自然に対して敬意を示す行動をすること、自然保護の活動に関わること、自然と共同で作業をすることなどです。


しかし誰もが知っているように、私たち人類の調和を欠いた行動によって、地球が傷つけられています。

私たちの星は、もがき苦しんでいるとまではいえないまでも、かなりひどい状態にあります。

実際のところ、まるで人間は、地球に対して無知な暴君のように振る舞うようになったとさえ言えるかもしれません。


ですから、長い間地球に人類が科してきた不調和を解消しようとして、地球が時として荒々しい反作用を示したとしても、それは驚くべきことではありません。


もし地球の回復をもたらすような意図的な行動が何も行われなければ、そう遠くない将来、数億人の命が脅かされる危険がありますし、もしかしたら人類全体の存続さえ脅かされるかもしれません。

地球が、母なる大地としての尊敬を受けてきた日々は、遠い過去となってしまったようです。

私たちが、地球を愛することを学び直し、環境問題に常に配慮を払うことがこれほど重要になったことは、いまだかつてありません。



全体として人類は地球を尊重していませんが、多くの人が自然を愛しています。

それは、水、ミネラル、微量元素など大地に由来する要素で人の体が構成されているという意味で、地球がすべての人にとって母にあたるからでしょう。

人間の中の最も貴重な部分である魂についても同じで、人間の魂と地球の魂は不可分です。


私たち自身が気づいているかいないかにかかわらず、地球と人の間には、生物学的にもスピリチュアルな意味でも、極めて深い絆があり、それゆえに人間にとって地球に愛を感じるのは極めて自然なことです。

日暮れの美しさ、渡り鳥たちの編隊、巨木、散りばめられたように花が咲いている野原に心を動かされたことが一度もなかった人がいるでしょうか。


このようなときに私たちが感じているものは、客観的な感覚も思考もはるかに超越しているので、その感情を言葉で表現したり、他の人に伝えたりするのは極めて難しいことです。



人間の最も貴い部分である魂は、自然界の魂と不可分であると同時に、宇宙の魂(Universal Soul)とも不可分です。

それゆえに愛とは、万物に内在する普遍的な力だと推測することができます。


このことから考えると、さまざまな宗教で語られているように、宇宙の創造それ自体の源泉は、ある創造者の愛なのではないでしょうか。

何らかの宗教を信じている人の多くは「そうです」と答えるでしょうし、無神論者は「いいえ」と答えることでしょう。


しかし確かに私たちは、満天の星空をじっと見つめたとき、無限の宇宙に“引き寄せられる”ように感じ、まさにこのような瞬間に、ビクトル・ユーゴが次のように述べた感情を体験するのではないでしょうか。「何か偉大なものが、私たちに耳を傾け、私たちを愛している?」。


興味深いことに古代ギリシャの哲学者たちは、このお手紙の最初に話題にしたアガペ(Agape:精神的な愛)が、「至高の善」(Supreme Good)を意味するアガソス(Agathos)と不可分であると考えていました。


友愛の思いとともに、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。



著者セルジュ・ツーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

ふたたび本庄です。


3回にわたって、セルジュ・ツーサンの「愛へのお手紙」をご紹介してきました。


最後に話題になりましたが、皆さんが満天の星空を最後に見たのはいつのことでしょうか。

私は、湯西川温泉で露店風呂から見た夜空が最後で、もうそれから7年ほどが経ちました。


コロナ禍の時期が過ぎたら、のんびりゆっくりと旅を楽しみたいと、もしかしたら皆さんもお考えではないでしょうか。



では、今日はこのあたりで。

また、よろしくお付き合いください(^^)/~


==============

■編集後記

赤いウメの花が咲いています。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M762242&c=3304&d=ed84

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする