今日も暑くなりました。
最高気温は21.1℃、最低気温は4.7℃。
明日の朝の気温も高くなるようですが、日中の気温は下がるようです。
そして、再びマイナスの気温の朝になる予報。
まさに三寒四温です。
今朝の果物
今日は1時からドクターからお話があるということで行って来ました。
ケアマネさんも呼ばれているとお聞きしていましたが、小規模多機能施設からは看護師さんと2人が来て下さいました。
私を見るなり「まあ~、一回り小さくなって。痩せたねぇ。ちゃんと食べてる」
「ダイエットしているんですよ」と私。
そして、何と今回も母と会えました
今回は母の部屋での面談となりました。
ドクターの他には病棟の看護師さんと訪問看護ステーションの看護師さんが来られました。
まず、ドクターが「今回集まってもらった理由」を母に説明されました。
そして、「前回結論が出なかったけれども、気持ちはどうか」と尋ねられました。
生き方の問題だからどうなっても家がいいもあり、また施設もあり。
母は家にはとてもとても帰りたいと言いました。
でも、やはり不安なようで決断が出来ませんでした。
ドクターのお話では病状的には今週末位までの入院で来週の初め位には退院が出来るそうです。
小規模多機能施設の方もドクターからのお話を聞かれて、「今後対応出来るかここでは即答出来ない」と言われていました。
まずショートステイは母の都合には合わせられないし、夜勤者が一人だから、その時に母の調子が悪くなった場合他の人をほったらかしには出来ない。
また、他の人の体調が悪くて、すぐに母に対応出来ない場合もあるかもしれないとのことでした。
デイサービスも車椅子対応の車が一台しかないのでお迎えがお昼になるかもしれない、お風呂も最新式のお風呂ではないので、自分でまたげないなら(もちろん介助はして下さいますが)大好きな入浴サービスも不可能になると言われていました。
何よりも今までもそうでしたが、更に悪くなっている母を受け入れるには介護士さん達の不安がとても大きいようです。
訪問看護ステーションに関しては、完璧に「手放した」という印象を受けました。
これは私だけが感じたことではなく、小規模多機能の方も言われていました。
「今後もサルタノールがどうのと言われてもわからない。」
「この前の喘息の時もやりとりしている間に時間が経過し、最終的に自分で判断して救急車を呼んだでしょう これからもそうして下さい」
彼女達に出来ることは私が迷った場合「血圧を測って下さいとか指示を与えることだけです。」と言われました。
でも、迷って電話をしている時点で、すでに血圧その他は測っています。
途中で訪看さんは退席されたのですが、その時にドクターが「何か言いたいことはある」と聞かれて言われたことは「私達に電話をするか否かの事態(状況)をはっきり認識して((区別して)ほしいということだけです」
一連の流れの中で、つくづく感じたことは人生最期のこれからが一番しんどくて大変な時期に入って行く時にサポートはないと言うこと。
看取りの出来る施設に入れるか、家で覚悟を決めて看取るか(喘息などの急な時には救急車を呼ぶ)以外にはないということです。
それでも、ケアマネさんが言われました。
今の母の部屋の状況では部屋から勝手口まで連れて行くのがそもそも無理だから、部屋替えをすること。
また、そこから外に出て車椅子に乗せる為にスロープを付けられるかどうか等福祉用具の方と一緒に一度訪問したいと。
これは病棟の看護師さんが室内のお手洗いに行く時にも車椅子で連れて行っていると言われたからです。
誤嚥性肺炎になるまでは母はシルバーカーを押して歩いていました。
ベッドからはなかなか起き上がれず、降りれなかったようですが。
でも、今日はベッドサイドに座っていて、顔もふっくらし、元気そうに見えました。
話はほとんど1時間続きました。
私は母を連れて帰ろうと思って話し合いに行きましたが、それは今までのサポートがあればこその話です。
どちらにも助けて頂くことが出来ないならばそれは不可能です。
(訪看さんにはもう期待していません)
もう潮時なのかもしれないと思いました。
不本意ではありますが、木曜日に見学に行く「サ高住」は併設の小規模多機能施設利用ですから、今までの状態に近い状態で母も居られるかもしれません。
母にとっては家より身体的には楽なはずです。
また皆さんが言われるようにかなり不安も強いみたいですので、それも軽減される気がします。
慣れたら幸せに暮らせるかもしれない。
母は私と2人だけで、家に居ることがとても不安なので迷っているようでした。
診療所を出た時の空
その後、いつものように教会に寄ってしばし祈りながら考え、公園を歩きながら考えました。
その後、ケアマネさんから「水曜日の10時に福祉用具の方と行きます」と電話がありました。
少し今日のお話をしました。
ドクターはケアする側のことを何も言わなくても非常によく理解されていると言われていました。
それは私もとても感じます。
それにはドクターならではの理由があるのですが。
母に付いては「あんなに家に帰りたいと言われているから、出来るところまでは可能性を考えましょう」と言われました。
又、何を優先するかだと。
「お風呂が大好き方だからお風呂を優先するなら在宅介護とヘルパーさんに切り替えるとか、小多規のお食事を気に入って下さっているのでそれを優先するならば、お昼にお弁当を届けることも可能」だと言われました。
もちろん、朝夕の着替えにも来て下さるでしょう。
今は分単位で動いている小多規ですから、何とも言えないそうですが、ヘルパーが清拭でいいならどこかで入ることも出来るそうです。
そういうサポートは出来ると言われました。
夕方、ソーシャルワーカーのYさんから電話があり、「普通の人は早く退院したいと言うのにお母さんは穏やかに過ごしているから、案外施設がいいかもしれないと感じている」と言われていました。
確かに病状の不安からなのでしょう。
「早く退院したい」とは言いませんでした。
Yさんも近場の施設を調べて下さると言われていました。
いつの間にか家の西側の花壇でヒマラヤユキノシタが咲いていました。
9時に母から電話がありました。
ドクターがいらして「気持ちは決まった」と言われたとか。
「お昼の夜では無理でしょう」と思いましたが、母は元気な声でした。
何だか帰る気満々になっていました。
そして、私にどう思うかと聞きましたので「帰って来たいならもちろん帰ってきたらいいよ。全部が思うようにはしてあげられないと思うけどね」と答えました。
出来るこころまでがんばろう。
出来なかったらその時に考える。
その間、何かがあっても仕方がないです。
きっと何とかなる。
それに人は必ず死にますから。
母と娘の歌
この曲をを聞くと涙が流れます。
母と私、娘と私。
Kiroro - 未来へ @ 2016 06 29