昨日は最高気温が13.2℃、最低気温が7.3℃(夕方になりどんどんここから下がっていったようです)でしたが、今日の立春は寒く、最高気温は9.1℃、最低気温はマイナス0.6℃でした。
でも、寒くても真面目に朝起きたら一番にまず瞑想を30分しています。
(今年こそは続けます)
その後は時間がある時や気が向いた時にしています。
今朝の果物
果物も冬の間は寒い~と思いつつ結局、毎朝、食べています。
何となく新鮮なエネルギーが入ってくる感じがします。
そして、今日も9時半頃からお買い物に行き、母の食べられそうな「ご飯のお供」をたくさん買って、診療所へ。
「ちょうどこれからお風呂です」と看護師さんが教えて下さいました。
お風呂に入れるなら、今朝は調子が悪くなかったようです。
その後、ソーシャルワーカーのYさんを見かけたので、「ちょっとお話出来ますか」とお声をかけて、診療所側は施設を考えておられるのか、療養型とはどういうものなのか、また今の気持ちなどしばらくいろいろ聞いて頂きました。
それこそ言えないことも彼には話せます。
私がまだ職員となる前のボランティアとして活動を始めた頃からのお付き合いで、死にゆく人や苦しんでいる人に寄り添って生きてこられた人ですから、とても優しいし信頼が置けます。
一通りお降り話し終えると「一人で抱えすぎなんじゃないか」と心配してくれました。
確かに友人は違いますが、今は医療者側や施設側に対して、私はひとりって感じです。
診療所を出て、いつものようの教会経由公園を1周歩いて帰りました。
それから、また少し瞑想をしていると、久し振りに11時15分頃、娘から電話がありました。
夜勤明けのようでした。
私もオンラインミーティングのこともありますし、話がしたいと思っていましたのでちょうど良かったです。
今までの母の状況を話し、担当医から言われたことを話しました。
小1時間話をしたのですが、医者として、また祖母というワンクッション離れた立場にいるので(母である私だと又違ってくるようです。やはり冷静には考えられないということでしょうか)冷静に客観的に見ることが出来るようで、いろいろな話を聞きながら伊達に医者をしていないなと今日は妙に感心しました。
娘は在宅はやはり今の環境では相当厳しいと思うと言っていました。
ただ私が母の願いを叶えたいとずっと言っていましたので、敢えてあまり言わなかったようです。
結局は私次第なのでしょうか
娘は最後には「もうここまで来たら最期まで突っ走ったら」とも言っていました。
それもいろいろな人の死や患者さんを見てきての言葉でもあり、私のこだわりへの応援諦め
なのかもしれません。
ホスピスに勤務していた時にあるドクターが言われたのですが「人間、生まれる時と死ぬ時にはちょっとだけ苦しまないといけない」と。
娘も同じことを言っていました。
午後1時前、高校時代からの友人から昨日「税理士さんのところに行った帰りに寄るからランチでも一緒に食べる」とラインをもらっていましたので一緒に出掛けました。
お互いにちょっと会わなかっただけでも話がいっぱい。
毎日、ラインや電話もしているのですが
まぐろ丼をご飯を少な目でお願いしたのですが、この量
結局、ご飯は食べられず残しました。
デザートのわらび餅
ウィンドウショッピングをして、帰りに黒蜜ときなこのソフトクリームを食べました
今日は私の英語のレッスンが4時からでしたので、早めに別れました。
・・・と言っても3時50分。
彼女も今、毎日歩いていますので、遅くなると寒くなりますので「3時半頃には帰るわ」と言っていました。
レッスン後、寒かったのですが私も歩きに行き久々に一万歩達成。
薄っすら彩雲が見られました
ポプラちゃん
大分、出来上がってきました。
家に帰って早目にお風呂に入っている間に母から3回も電話が入っていました。
今日は特別しんどくて「もうこれで死ぬのではないか」と思いドクターを呼んでもらったそうです。
母は最近では「少し前までは12時位まで調子が悪かったのが、最近では2時位までしんどい」とよく言っています。
でも、今朝お風呂に入れたのではないかと聞きましたところ、しんどかったので清拭だけにしてもらったようです。
最近、血圧が朝から高いので、今日は先生がダメだったら1日で止めたらいいからと言われて、降圧剤か何かを試したようでした。
それで調子が悪くなったのかもしれません。
朝から何も食べられなかったようです。
でも、やっとよくなり、夕食は食べられそうとのこと。
「なんやかんや持って来てくれたんねぇ」
そうなんです。
とにかく食事をして欲しいので、「ご飯のお供」になるようなものをあれこれ買って行ったのです。
話しているうちに看護師さんがお膳を持って来て下さり(お昼は調子がいい時には皆で食堂で食べるようです)、「たくさんいろいろなものがあるよ。何を食べる」と優しく聞いて出して下さっていました。
最期まで突っ走る。
皆が反対をしている中で。
私に出来るでしょうか。
反対は気になりませんが、どんな急変にも対処して行けるでしょうか。
「在宅と言うことは医療を拒否するということ」だとドクターは言われました。
娘もそうだと言っていました。
究極的にはそうなのでしょうね。
(もしかして、究極的でなくても)
長寿を全うして枯れていくように亡くなるのであればそれは可能でしょう。
でも、母の場合は調子のいい時と悪い時の繰り返し。
延命ならいざ知らず、医療を拒否することは私には出来ないと思います。
例えば、今回のような喘息発作を放っておくことことなどは当然のことながら出来ません。
ここからが専門的でよくわからないところなのですが、喘息の発作と一口に言っても心臓と気管支とあるようです。
あの時、救急隊員はバイタルがかなり低いと院長先生に言われたらしいです。
そして、心臓マッサージの軽いようなことを「この方が楽ですか」と母に尋ねてして下さっていました。
ですから、延命の為の心臓マッサージの機械(名前が出て来ません)のない今の診療所ではなく、総合病院に搬送されたようです。
結局、天寿を全うする人と言うのは本当に僅かなようで、ほとんどの人の死は「誰かの決断」であるようです。
本当に母を最悪、少しの間でもいいので家に帰してあげたいですが、今日のYさんの話ですとこのコロナ禍の中、当然のことながら一旦施設に入ると外出、外泊はまず無理なようです。
コロナ・・・
このコロナによって多くの人の最期のあり方が大きく変わったのは事実です。
私の悩みはまだ続きそうです。
夜中にも目が覚めると考えてしまってしばらく眠れなくなります。