母とのんびり。でも。。。

2021年03月27日 23時55分01秒 | 介護

 今日は5時半起床。

6時に起床時のお薬を母に飲ませて、瞑想し、7時に朝食の準備。

いつもと同じです。

 今日の果物

母も果物が好きですが(特に入院中やショートステイでは果物が出ることは稀ですから)、明日からは果物を食べると主食を食べることが出来ないので10時に食べると言いました。

明日の朝はボイルキャベツをポン酢で食べたいそうです。

 母は寒がりなのですが、昨夜は暑かったようで、汗びしょになったと言っていました。

しかも、「こんなことは初めて」というくらいの尿量で、衣服も濡れて(これは汗で、多分)本人もびっくりし、昨日に続いて自信を失ったようです。

昨夜は「おむつ5枚は多いので今まで通り2枚でやってみましょう」と朝に訪問看護の看護師さんに言われていました。(実際、昨日は両面吸収の2枚しか濡れていませんでした)

急に朝、出てしまったようでした。

そこへ、ヘルパーさんがいらして、「おむつだけの交換」ということで、ちょうど着替えさせていたのですが裸のままの時にさっさとケアマネさんからのお手紙を置いて帰って行かれました。

拝見すると「今まで通り万全を期して(ドクターが言われたにも関わらず)、減塩職、お粥、刻み食にします」と書かれてありました。

その後、訪問看護の方がいらして下さいました。

「おむつのことと言い、食事のことと言い、私の方から言います」と言われました。

でも、母が「言えば言うほど頑なになるのでないか」と言ったものですから「冷静ねえ」と感心されていました。

文句は言いたくはないのですが、ちょっとこのままここの小多機を使うことが嫌になってきそうです。

家においてさえそうですから、ショートステイの間大丈夫かしらと心配になります。

(夕方のヘルパーさんは優しかったです。決まったこと以外はもちろんされませんが)

看護師さんは40分ほどいらして、一緒にお茶して「褥瘡にクリームだけ塗らせて」と言われて次の正式な?訪問に行かれました。

母は前の小多機の看護師さんにお礼も言っておらず、帰れるものなら帰りたいと思い、電話をしたところ、ちょうど看護師さんが電話に出られました。

でも、母曰く利用していた頃と違って冷たかったと言っていました。

私も途中でかわりましたが、よそよそしい感じを受けました。

母は割り切ったもので、そんなものだろうと言っていました。


 その後、ご近所のママ友か、「しだれ桜が満開だから良かったら見に来て。明日は雨で散るから」とラインが来ましたので、歩いても知れていますが、昨日のお礼も持って行きたかったので自転車で大急ぎで行って来ました。

 

 

 

 

帰りは公園の外を廻って帰りました。

 

 

 

我が家の牡丹はつぼみが3つになっていました。

 

クンシランも色づいて来ました。

 

家に入って母に見せると「まあ~

 お昼ご飯は母が帰って来たら食べさせたいと思っていた鯖寿司。

 

ちょっと解凍に時間がかかりましたが、「美味しい」と言って食べてくれました。

おかずはふきや筍の煮物。

その他、今日、母が食べたおやつはコーヒーゼリーとプリン半分、大手饅頭2個。

以前よりは食欲が落ちましたが、それでもよく食べていると思います。

午後からは居間の新しいTVで「冬のソナタ」を観たり、フィギュアスケートを最後まで観たりしました。

その間、あれこれ話したのですが、母はこの数日、おしりが持ち上がらないし(今日も足がふにゃふにゃで転びそうになりましたが、私が持っていましたので、そこへ座りこむ状態になったのですが、そこからなかなか起こすことが出来ませんでした。重い 最終的には手すりを持って来てそれにつかまり、私が脇に腕を入れて立たせました)段々と悪くなってきたので、施設に行く覚悟は出来ていると言いました。

「あんなに家がいいと言っていたではないの 私がもっと介護出来たらいいの」と尋ねるとお昼お時点では「そう」「機能的ではないね」と言っていましたが、夜には「もう家では無理」と言い出しました。

「寝たきりになっても家で過ごす人はいるよ」と私の方が割り切れず

母は食べ物さえ悪くなければ施設でもいいようです。

「果物などは今のように食べられなくなるけどね」とも言っていました。

「でも、先生が言われていた施設に入れてもらおうかな」と。。。

私の方が納得がいかない気持ちです。


 今日の英語の先生からの復習の英文

Happiness is the art of never holding in your mind the memory of any unpleasant thing that has passed.

Happiness is not something ready-made. It comes from your own actions.

The choice to be happy is always yours to make. Make that choice and cultivate a happy spirit.

Happiness is when what you think, what you say, and what you so are in harmony.

以下はグーグル翻訳

幸福とは、過ぎ去った不快なことの記憶を決して心に留めない芸術です。

幸福は既成のものではありません。 それはあなた自身の行動から来ています。

幸せになるという選択は、常にあなた次第です。 その選択をして、幸せな精神を育ててください。

幸福とは、あなたが考えること、言うこと、そしてあなたがそうすることが調和しているときです。


★バラ十字会 メールマガジン (昨日分)

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M778718&c=3304&d=ed84

━…………………━


私たちの事務所のすぐ近くにある板橋は、石神井川にかかる旧中山道の橋で桜の名所です。

今まさにソメイヨシノとオオシマザクラが満開で、行き交う人たちが写真を撮ったりしています。


いかがお過ごしでしょうか。



今回は、作編曲家の渡辺さんからの寄稿「数とは何か」というシリーズの第6回です。

「ゼロ」との関連で、「有」と「無」が話題として取り上げられています。


前回(その5)は、下記で読むことができます。

『数とは何か - 弦から生じる倍音と数』(その5)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M778719&c=3304&d=ed84

▽ ▽ ▽

数とは何か?(その6)

~形而上学における数の概念~

渡辺篤紀



数学的な大発明とも言える「ゼロ」という概念ですが、今回は、この「ゼロ」や「無」という概念について、形而上学的な観点からも考察してみたいと思います。



■ 「ゼロ」とは?

“「ゼロ」の起源はインドである”と聞いたことがあるかもしれませんが、“数学で使用する数字としての「0(ゼロ)」を発明したのはインドである”という言い方のほうが正しいかもしれません。


今日、私たちは、十進法などの位取り記数法で10や100を表す際に「0」を使用しますが、これは単にその位が「空位」であることを表すものであり、何もないことを表す「無」の概念とこの記号としての「0」は異なるものとなります。


桁の空位を表す数字の「0」としては、バビロニアやギリシャ、マヤ文明などでも記号を使って表されていたようですが、インドにおいて、この「ゼロ」という概念に実体として「0」が与えられ、数学としての実用性が飛躍的に向上しました。



■ 「無」とは?

形而上学的に「無」とは、何もないことであり、考えることも議論することさえもできないものとして考えられています。


似たようなものとして、仏教における「空(シューニャ)」という概念もありますが、これは「無」とはまったく異なる概念になります。


簡単に説明すると、「空」とは、「すべては因縁によって生じるので、実体と称すべきものがなく空(むな)しい」という仏教の教理ですが、「無」とは、その因縁さえも無い、まったく何も無いということを表しています。



そして、自然界には「0(ゼロ)」というものは存在しません。


木が0本、動物が0匹など、この場合の「ゼロ」は思考上の産物にすぎません。



しかし、何かが存在すると、「有る(1)」という状態が生じ、その対として「無い(0)」という概念が生じます。


例えば、「木が一本あったが、無くなったので0本になった」などのように考えることによって「0(ゼロ)」というものが思考上に現れます。


ですので、この場合の「無」とは、「有」との対であるとも言えます。



■ 「光」と「闇」
同じような対として、光と闇、善と悪などのようなものがありますが、上記のことを踏まえて考えるとどうなるのでしょうか?


神秘学においては、「闇」は「光の不在」として、「悪」は「善の不在」として考えられています。


「闇」というものは、それ自体で存在しているわけではなく、「光」という実在に対して、「光」の不存在を表すものであり、先ほどの「有」と「無」の概念と同様のものであると言えます。


言い換えれば、「有る」ことと「無い」ことは表裏一体であり、本質的にはどちらも同じことを表しているとも言えます。



もう少し詳しく説明をすると、

完全な「無」とは、存在さえ無いことであり考えることさえもできませんが、「有る」ということを前提とすると、それが「無い」ということを生じさせます。

ですからこの場合の「無い」とは、「有る」ということを別の角度から見たものであると言うことができます。



■ 「0」を掛けるということ

数学的には、ある数字に0を足したり引いたりしても元の数と同じになりますが、ある数字に0を掛けると0になります。


たとえ、どんなに時間をかけて複雑な計算をしたとしても、最後に0を掛けてしまうとすべてが0になってしまうという、笑えないほど悲しい結末になってしまいます。(笑)



では、果たして、実在する物体に0を掛けることはできるのでしょうか?


残念ながら質量保存の法則などにより、実在する物の姿や形は変わったとしても、完全な「無」にすることはできません。


では、少し視点を変えて、人間に0を掛けることはできるのでしょうか?



■ 「ゼロ」=「無」=「死」?

個人的には、「0(ゼロ)」という概念を導入することによって現代人が得たものとしては、死に対する誤った概念ではないかと思うことがあります。


よく、「人が死んだら?」「死後の世界は?」「生まれ変わりは?」など、生きている人間が持つ疑問として「死」という問題が付きまといますが、この「ゼロ」=「無」=「死」という連想により、現代では、人は死ぬことによって何も残らない、という概念が多少なりとも形成されているような気がします。


古代文明をはじめ、古の時代には、死というものは新たな旅の始まりとしてとらえられていたのですが、科学が主導権を握るようになった現代では、「死」とは、まるで数学の「0」のように、すべてが無くなってしまうかのようなイメージを持ってしまいがちです。



しかし、実際には、我々は「有る者(1)」として、様々な数字を足したり掛けたりして、人生の起伏を体験することができます。


そして、神秘学的には、「有る者(1)」から「有るということ(1)」を引くと「無(0)」になり、これはある意味で死を表していますが、この場合の「無(0)」とは「有る」ことと表裏一体の「無い」であり、常に「有る」ことと対をなしています。


ですから、神秘学で語られる「輪廻転生」とは、「無」という「死」は、常に「有」という「生」と対をなし、二重螺旋のように交互に表れるものとして表すこともできます。


(ヘビが二重螺旋を形作っているケーリュケイオン(カドゥケウス)の図はブログ記事でご覧ください。)

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M778720&c=3304&d=ed84



繰り返しになりますが、我々「有る者(1)」には様々な数字が加減乗除され、その結果、様々な喜怒哀楽や人生の起伏が生じますが、不意に「0」を掛けられることはあったとしても、自分から「0」を掛けない限り、この旅は終わることはありません。


この世界に「秘数術」というものがあるとすれば、案外、このようなことなのかもしれませんね。

△ △ △

ふたたび本庄です。


私が「無」という言葉から思い起こすのは、「無門関」という禅の書物と次の老子の言葉です。

「万物と無は同じ顔をしている。」(老子道徳経)



さて、渡辺さんが文章中で紹介していた図案は、ケーリュケイオン、別名カドゥケウスと呼ばれます。

ギリシャ神話で神々の伝令とされるヘルメス神の持っている杖です

伝令として神の言葉を素早く伝える必要からヘルメス神の背中には翼が生えていて、この図案の上部はその翼を表しています。


ヘルメス神は、ローマ神話では商人、羊飼いの神とされましたが、その素早さから、博打打ち、嘘つき、盗人の守護神ともされていました。



ギリシャがエジプトを征服した時代に、ヘルメス神はエジプトのトート神と同じ神だと考えられるようになり、ヘルメス・トリトメギストスという名前で錬金術の達人とされました。


ヘルメス・トリトメギストスが書いたとされるエメラルド・タブレットという有名な文書があります。

以前にその解説を書いたことがありますので、ご興味のある方はこちらをご覧ください。


参考記事:『エメラルド・タブレットとは』

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M778721&c=3304&d=ed84



次回は打って変わって、和楽器とお祭りが三度の飯よりも好きだという、山形県村山市に住んでいる私の友人からの寄稿をご紹介する予定です。


またお付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■ 編集後記

石神井川沿いの桜が満開です。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M778722&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇



コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする