時間的にも早く、また母もよく寝ていましたので、そのままそっと歩きに行きました。
昨夜、母は辛がっていましたので、ゆっくり休ませてあげたいと思いました。
(と言いましても、母がこちらの心配をよそにすぐに寝たのですが)
いつもコールを母のそばに置いていますが、外に出る時には何かあった時には母がすぐに私にスマホで連絡が出来るように、スマホを開いただけで私にかけられる画面を出して外出します。
今朝の空はどんより梅雨空でした。
いつものコース。
ママ友ガーデンから
公園の外周を廻りながらお花を眺めながら歩きます。
そして、ガーデニア~~~
と~ってもいい香り。
そして、この白さが好きです
それから、大抵、廃品を持って教会の門を開けます。
(最近はずっと閉まったままです)
かわいい紫陽花の花の写真を撮り
そこから、公園に入ります。
あの親子さんを久し振りにお見掛けしました。
また、母と同い年の方にやっとお会い出来ましたので、ワクチンの申し込みのお手伝いが出来たらと思いお声をかけましたら、やっとお盆の頃に取れたとのこと。
また、随分と先ですが、かかりつけ医だそうで、そのままでいいとおっしゃいました。
今日は10周も歩きました。
暑くないのでありがたいです。
我が家のお庭
ジャスミン
きゅうりとナスが収穫の時を迎えていましたので、収穫しました。
初物ですので、亡き父や御先祖様にお供えご報告しました。
裏のピンクの紫陽花。
柏葉紫陽花が大きくなり過ぎて表からは見えません。
裏からか、お隣の車がない時に見ることが出来ます。
今朝の果物
きゅうりはサラダ用。
ナスはお揚げとネギを入れて、お味噌汁を作りました。
お昼ご飯は発芽毎、お味噌汁、三田屋のハンバーグ(ソースは手作り)、ジャガイモのミニグラタン、ゆで卵、その他。
金曜日は朝の9時から訪問看護師さんが来て下さいます。
昨夜の母の言葉「死にたくはないのに、死なないといけない」(自分で自分を自由に動かす出来ないのでそれが辛い。死なないと人にも迷惑をかけるという意味だと思います)を聞いて私の心はずっと痛んでいました。
ですから、看護師さんにそのことをお話したところ、「娘さんにそうやって言えるということは良いことですよ」という言葉には救われました。
このことは申し送りされて午後4時からの訪問リハに方も心配されて、母に滾々と話をして下さっていました。
そして、「100歳までがんばって。〇〇(ご自分の苗字)の命を4年あげるから」
訪問看護師さんが10時半に帰られたのと同時にケアマネさんが来られました。
母の生年月日を間違えられていたのを昨日、母が見つけた時にヘルパーさんがいらしたのですが、お風呂が週に1回ということとこのことと、ヘルパーさんからもう報告が行っていました。
すごい連携にびっくりしました。
ケアマネさん曰く、言い訳させてもらえますか
前の小多機からの報告書にこの生年月日が書かれていたこと、又、母の名前の漢字も間違っておられたようです。
最初から名前の漢字を間違えておられましたが、もう訂正済みだと思っていました。
でも、そのままだったようです
ケアマネさんは又お風呂が週に1回というのはよくないと何とかしようと考えて下さっていました。
私はあと、気になることとして、新しいショートステイ先のお食事が冷凍を解凍して出すだけだと昨日、お聞きしていましたので、看護師さんにも話をしていたところ、お食事が美味しいことで有名なショートがあることを教えて下さっていました。
ケアマネさんにも母が又食べないのではないかと心配いることをお話したところ、やはり、この施設のお食事は美味しいことで有名なようで、ショートステイを変わってもいいし、交代で使うという手もありますいとのこと。
「調べてまた連絡をします」と言われていましたが、夕方お電話を下さり、早速尋ねて下さったようで、ここはお風呂も2回は入れること、月曜日から木曜日までならショートステイもOKと言われました。
また、夕方にはワクチンをされた帰りにパンフレットまで持って来て下さいました。
そして、「まずは1週間、様子をみてみましょう」
でも、良かった
もし母が気に入らなくても、他にも行く場所があることがわかり安心しました。
2時半過ぎからは歯医者さんが来られました。
来週、いよいよ新しい入れ歯が出来上がるそうです。
そして、4時から5時15分くらいまで訪問リハの方が来て下さり、5時半にケアマネさんがパンフレットを持って来て下さいました。
入院中もリハの方々は入れ代わり立ち代わりリハビリをして下さり、訪問看護師さんやソーシャルワーカーのYさんもも度々、母のお部屋を訪問して下さいました。
それでも母は淋しかったわけで・・・
午後2~3時、7時以降は何回何回も(1回に10回以上)もワン切りが続きました。
昔、ホスピスに勤務していた時、最後の患者さんのお部屋に他に方と訪問していた時のことです。
この方は独身の男性で教師をなさっていたそうです。
お母様がガンになられたので、最期をホスピスでということで、入居して来られました。
もう定年退職をなさっていましたので、ずっと泊まり込みで看病なさっていました。
それはそれは献身的でした。
そして、お母様がお悪くなった頃、彼もガンであることが判明しました。
私は呼ばれて、ご自分がガンになられたことを直接お聞きしました。
その時の衝撃。
こんなことが人生には起こるのだと愕然としました。
お母様を看取られた後、お部屋を買われて(多分)、そのままそのお部屋に住んでおられました。
そして、この方にも最期の日々が訪れつつあったある日、私はもう一人の誰かとお部屋にいました。
3人でおしゃべりをしていましたが、少しの間、2人だけの会話になった時に、とても穏やかで温厚なこの方が「もう自分は死ぬんだよ。なのに、なぜ2人で話している」。
でも、すぐに我に返られて普段通りになられましたが、一瞬垣間見せられた孤独感。
脳に転移していらしたので、そのせいだったのかもしれませんけれども。
ご自分が自分らしさを失った時、その判断とその後のケアは院長と甥御さんに一切託されていらっしゃいました。
そして、この方の最期を私はホスピス病棟のラウンジ隅にある面談室で、ボランティアの仲間と一緒に時間と空間を共有しながら静かに見守っていました。
ボランティア仲間が言いました。
「今、ドアから〇〇さんが入っていらしたわ。
今、逝かれたんだわ」
本当にその通りでした。
最期に会いに来て下さったようです。
こうして、彼の旅立ちと共にホスピスは閉じられました。
私はホスピスが閉じると同時にこの病院を去ることに決めていました。
院長の許可はもらえませんでしたが。
仕事に呼ばれるということが私は確かにあると思います。
それを確信したのは次の職場でした。
この職場については大きな国の機関と言うだけで言うことが出来ないのですが、私は確かに「仕事に呼ばれた」と感じました。
この仕事の移行期間が2、3週間ありました。
(もう忘れました)
その間に私はインドとネパールに行きました。
この旅はいろいろな意味で忘れられない旅となりましたが、次の職場に本当に私が行くかどうか心配だったようで、「必ず行きます」という電話をインドからしなくてはなりませんでした。
インドは強烈だったなぁ~と思います。
また、いつか旅行記が書けたらいいと思いますが、今はその時間はありません。
インドとネパールには(も)、又、行ってみたいです
母はずっと新聞を読んでいます。
ですから、何だか私も寛いでだらだらと書いてしまいました。
6時過ぎ、廃品を捨てがてら、公園を1周しました。
教会の紫陽花
昨日も今日も1万歩を超えましたので、これで6日連続
今日は午後あかりからよく降りました。
明日の朝までこの雨は続くようですので、明日の朝はのんびりしたいと思いますが、明日は7時過ぎには男性のヘルパーさん(ケアマネさんおススメの方)がいらっしゃるので、だらだらとは出来ません。
普段通りです。
モーツァルト 交響曲 第40番 第1楽章
★致知一日一言 【今日の言葉】
後世に記憶される先人たちは皆、
公に生きた人ばかり。
「私」が追求されるいまの時代こそ、
公の精神を取り戻す
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中西輝政(京都大学名誉教授)
★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング
(6月18日)
願わくば、わたしの心に願うあらゆることがキリストに導かれ、わたしの内に《父》の霊の現れ給うことをますます知ることができますように。
MAY THE DESIRE OF MY HEART BE SUCH THAT I MAY BECOME MORE AND MORE AWARE OF THE SPIRIT OF THE FATHER, THROUGH THE CHRIST, MANIFESTING IN ME.
(262-57)