娘一家の帰国

2024年10月25日 23時28分00秒 | 家族

 今朝は3時半に目が覚めてしまいました。

早く寝たせいか、子供達が帰ってくるせいかわかりませんが。

でも、お布団の中が心地よくてゴロゴロして過ごしました。

 

 

今日の果物

大胆にカットしたペチュニアが再び咲き始めて綺麗です。

 

西側の朝顔、今日は1輪。

南側ももう流石にそろそろ終わりかなと思いますが、こうして1輪ずつでも立派に咲いてくれますので、そのままにしています。

ご近所ではもうパンジーやビオラへの植え替えが始まっています。

 

バラは小休止状態。

 

 

 今朝は6時25分頃、母は目を覚ましました。

口腔ケアをし、お茶やエンシュアやはちみちを飲ませたりしましたが、最後はほっぺたの中に飲み込めず溜まってしまいましたので、吸引をしました。

 その後7時15分頃に看護師さんが来て下さって吸引。

結構な量が引けました。

8時頃、又今朝も従兄弟が寄ってくれました。

そして、今日は往診の日でした。

10時45分くらいにドクターが来られました。

「まだ(娘が)帰っていないんです」と言うと「そーかー、それは残念」

いつも何か困っていないか、尋ねたいことはないか聞いて下さいます。

母の苦しそうな表情(パーキンソン独特なのかもしれませんが)が気になって・・・

あるいは口の中が起きている間は絶えず気になるので、そういう時の表情が苦しそうに見える訳ですが、ドクターとしては主観はわからないが、医師の立場からしたら、ひどく苦しんでいるようには見えないとのことです。

バイタルもいいですし。

でも、尿量が少ない場合お腹に溜まっているせいで苦しい場合があるということで、エコーで診て下さり、私にも見るように言われて説明して下さいました。

携帯用の小さなエコーに驚きました。

母の膀胱に異常はなさそうでしたので、原因はこれでもなさそうです。

「前にも言いましたが、口の中も全然干からびていなくて潤っていて、綺麗な状態に保てているのできちんとケアをして下さっているんだなとわかります」と言われました。

いつからパーキンソン病かとかそんなお話や母が旅した話もしました。

あとはカレンダーのお話も。

昨夜の看護師さんがこのクリニックにかかってる患者さんは皆さん、クリニックのカレンダーを飾っているとか。

伺ってみるとドクターの弟さんさんの作品だそうです。

この弟さんは障害者だと言われました。

この先生の瞳の奥がこんなにも慈愛に満ちているのはそのせいもあるのかなと思いました。

又、ドクターズバッグの中身を見せて下さったのですが、この量で最低限で、まだ車の中にもあるそうですが、プリンターや血液検査のセットとか入っていました。

 ドクターが帰られ、お昼前にヘルパーさんがいらした頃、又、痰がからんでいましたので、今度はもう少し奥まで入れたら結構な量の痰が吸引出来ました。

 昨日までの2日間は寝入っていましたが、今日は寝入ってはいませんでしたので、その都度、口腔ケアや水分補給などをしました。

 

  午後から炊き込みご飯を炊きました。

娘達が食べるか食べないか全くわかりませんでしたので、残りは冷凍するつもりで3合炊きました。

 おかずはにらや小松菜、えりんぎを使った簡単なもの。

 

 

 成田から東京駅に向かっていると連絡があったのが11時。

 お婿ちゃんがexhaustedを使っていましたので相当疲れていたようです。

次に連絡があったのは新幹線の中からで、娘から電話でしたが電波状況が悪くて全然話にならず。

あとで、5時頃に駅に着くとWhatsAppからメッセージが届きましたので、その気でいたら、4時半頃随分と外が賑やかに。

帰ってきました。

皆、ハグハグにキスキス。

最後、お婿ちゃんもハグにキスをしないと荷物を持ったまま中に入って来ない

大きな空のスーツケースを2つも持っていましたが、帰りはお化粧品やら日本食を一杯買って帰るつもりのようです。

牛窓に泊まって日参すると言っていましたが、あまりにも疲れ過ぎて、牛窓まで行く元気がなく今夜は泊まっています。

調味料も足らないものを持って行かせようと用意していましたが、娘が「日本に帰ってまで作らない」

でも、お婿ちゃんには1度、イタリアンを作ってもらう約束だけは取りつけました

やった

 帰宅してほどなくヘルパーさんが来て下さったのですが、娘はずーっと話を聞いていました。

一気に静かな日常が変貌しましたが、母の覚醒度が上がって来てすっかりお目々パッチリになりました。

家の中では日本語と英語とイタリア語、そしてスペイン語が少し、飛び交っています。

パパは孫娘に分からない時「これは日本語で何て言うか」と英語で尋ね、孫娘はそれを教えたり。

孫達は元々家の中での会話が英語でしたから英語を話せていましたが、やはりかなり磨きがかかり発音も上達して、私には速過ぎてわからない箇所もあって、もう一回言ってくれるように頼んだりしました

でも、その分、日本語が怪しくなっていましたが。

日本語でお手紙を書いてくれていましたが、特に下の子の日本語はもうわけわかめ

 お風呂上り、娘にパックを出していると、孫娘も自分も「したい。」

2人してパックしている姿がおかしかった。

 今夜の看護師さんは21時半予定でした。

孫娘は看護師さんに会うのだとがんばっていましたが、そして、娘も21時半まではがんばっていましたが(時差もあるし早く寝るように言いましたが)、ついに眠気と疲れには勝てず

看護師さんが21時45分過ぎに来られました。

あともう3軒、あるそうです。

母も看護師さんの吸引で一気に目が覚めましたが、すぐに寝始めました。

 4人は最初、私の部屋が畳で広いのでそこに寝ると言っていましたが、そこだけ掃除をしていないのになんで~~~

最終的にはもう2つの和室もやめて、リビングに寝ています。

明日の朝は伝統的な日本の朝食にしようと思っていますが(とにかく日本食を食べさせようと思っています)、あちらでは日本食が高いので、、「吉野家の牛丼が食べたい」そうです。

やれやれ。。。

長い一日が終わりました。

良かったね、キラキラばあば

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと199・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.10.25

 

捲土重来

 

「捲土重来」(けんどちょうらい)。
大志・大望を抱いた者が
一度や二度の挫折や失敗で諦めたり
挫けたりするな、捲き返せ。
━━━━━━━━━━━━━━
數土文夫
(JFEホールディングス名誉顧問)
〇月刊『致知』2024年11月号
連載「巻頭の言葉」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

★[ECCJ] 今日(10月25日)の珠玉のリーディング


エドガー・ケイシー

 

すべての魂には、どのような環境、どのような状況、どのような経験にあろうと、選択するという特権が与えられています!

Each soul is given that birthright of the ABILITY to choose, UNDER any environ, any circumstance, any experience!

(1580-1)

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

創造されつつある世界


バラ十字会日本本部AMORC


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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


秋も深まり、すっかり涼しくなってきました。

東京板橋では、ススキやケイトウが見られています。


いかがお過ごしでしょうか。



関西を中心にゴスペルやライブハウスでの演奏活動を行っている、当会の役員の方から寄稿をいただいたので、ご紹介させていただきます。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、ミヤンマーのパワースポット、リンゴをかじる赤ちゃんなどの写真が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156784&c=3304&d=ed84

(創造されつつある世界|行動と観念によって誰もが現実を作り出している)

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▽ ▽ ▽

★ 記事:『創造されつつある世界』

(写真:バラ十字会日本本部AMORC下部組織(大阪)役員 渡辺篤紀)



「世界を創造する」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、私たちは宇宙という大海原を漂いながら、一人一人の心(精神)の中に宇宙的な広がりを持った世界を、時々刻々と創り上げています


その意味では、「創造する」というよりも「創造されつつある」と言う方が正しいかもしれません。



昨今の「引き寄せの法則」などのブームにより、「想像したことが現実になる」や「望んでいないことを手放す」などのフレーズが精神世界の常套句のようになっています。


また、それらが高じて、「望んでいたものが向こうからやってくる」「この場所に呼ばれた」などという表現をSNS上などでもよく見かけますが、私は個人的には、このような表現はあまり好きではありません。


なぜなら、この世界の主体は自分自身であるはずなのに、いつの間にかパワースポットや情報が主体になっているように感じられるからです。



では、「創造する」、「創造されつつある」世界とは、実際にはどのような世界なのか、考察してみたいと思います。


(写真:ミヤンマーのチャイティーヨー山の黄金色の丸岩)


参考記事:『世界の十大聖地』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156785&c=3304&d=ed84


◆ 美味しいパスタを食べたい

もしも、あなたが美味しいパスタを食べたいと思った場合、どうしますか?


美味しいパスタを食べているところを想像して、魔法のようにパスタが現れることを期待しますか?


もしくは、友人から美味しいパスタ屋に行こうと誘われるのを待っていますか?



もしも、自宅で食べるとすると、


・パスタや食材、調理器具を用意する
・レシピ、作り方を調べる
・実際に調理する
・失敗したとしても、再度挑戦する

などのプロセスを経て、最終的にあなたは美味しいパスタを食べることができます。



とても普通のことで、これのどこに「世界の創造」というものがあるのかと思われるかもしれませんが、これらの原動力は、最初に考えた「美味しいパスタを食べたい」という「衝動」がきっかけとなっています。


しかし、思っただけでは何も生まれないのが、魔法の世界ではない、この世界の法則でもあります。


ですから、この「衝動」を「行動」に変えていかなければなりません。



そこに、何らかの不思議な作用はありません。

これは、私たちが生活している中で常に行っていることです。



しかし、最初の「衝動」とそれを「実行」するという「選択」がなければ、最終的に「美味しいパスタを食べた」という現実を作ることはできません。


しかし、「引き寄せの法則」などを意識するあまり、「望んでいると偶然素晴らしいレシピを手に入れた」、「このお店に呼ばれた」などと表現したりして、主体が自分ではなく、他の素晴らしいものに「自分が引き寄せられた」というような表現にすり替わってしまっていることもあるようです。



しかし、冷静に考えると、その原初のきっかけは「自身の衝動」であり、それによって周りにアンテナが張り巡らされ、パスタのレシピが目に付いたり、美味しそうなお店を自分自身で発見したりすることになります。


(写真:プチトマトとバジルをトッピングしたイタリアのパスタ)


また、パワースポットなどに「呼ばれた」と表現されることも多いですが、パスタのときと同様に、


・その場所に行きたいと思う
・交通経路を調べる
・予定が合うか、天候は大丈夫か
・車や交通機関を利用して現地へ行く

などのプロセスを経て、現地へとたどり着きます。



道を間違えたとしても、たどり着きたいという気持ちがあれば、道を引き返すことも苦にはなりません。


しかし、この場合も、どのような結果になったとしても、主体はあくまでも自分自身になります。


決してその場所が、そこに来る人間を選別しているわけではありません。


そこにたどり着きたいと思った人だけが、その場所にたどりつけるだけなのです。


ですから、この世界は、ある意味、「思考」と「選択」の連続であると言えますが、私が言いたいことは、主体が「自分自身」であることを忘れないでほしいということです。


そして、この主体が「自分自身」であるということを意識し始めると、周りの世界の見え方がまったく変わってきます。


そして、もう一つの「世界の創造」について考察してみたいと思います。


◆ リンゴとは?

あなたの目の前に「真っ赤なリンゴ」があります。


この場合、あなたは「リンゴ」というものが何であるかを「知っている」ので、美味しそうだと思ったり、食べたりすることができます。



しかし、あなたの中からリンゴというものの観念がなくなり、目の前にあるものが、ただの「赤い得体の知れない物体」として認識される場合、美味しそうだと思ったり、食べたい思ったりすることはありません。


同様に、周りの物などに対する自身の観念がなくなった場合、椅子に座っていいのかさえも判断できなくなります。



ですから、もう一つの「世界の創造」とは、自身の中に、存在するものすべての「観念」を造り上げることでもあります。


そうすることによって、「得体の知れない赤い物体」が、食べることができる美味しそうな「真っ赤なリンゴ」へと、あなた自身の中で変化します。


しかし、このプロセスは、リンゴ自体が変わるわけではなく、「得体の知れない赤い物体」に対するあなた自身の「認識」が変わることによって引き起こされます。


例えば、少し苦手だと思っていた人がいたとして、話してみると共通の趣味があって話が弾み、今まで苦手だと思っていた人にとても親近感を感じたりすることがあります。


しかし、この場合も、その「少し苦手だと思っていた人」自体は何も変わっておらず、あなた自身の中の「認識」が変わったことによって、あなたの周りの環境に変化が生じます。



神秘学の世界でよく使われる「人は見たいようにしか物事を見ない」という格言も、このことをとてもよく表しています。


ですから、その様な自身の認識、観念を通して自身の「心(精神)の中の世界」を構築し、または再構築していくことによって、自身の中に「世界が創造されつつある」のです。


ですから、この世界に夢や現実を引き寄せる「魔法」があるとすれば、最初の「衝動」こそ、その源泉であると言えるでしょう。


△ △ △

★ あとがき

再び本庄です。


下記は前回の渡辺さんの記事です。こちらも興味深い内容ですので、お読みくださればと思います。


参考記事:『アイスマンというミイラに施された入れ墨と古代の医学|5300年前のツボと生薬の知識』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156786&c=3304&d=ed84



さて、この寄稿文は、「私たちは宇宙という大海原を漂いながら、一人一人の心の中に宇宙的な広がりを持った世界を、時々刻々と創り上げています。」という文で始まっていました。


この点を少し掘り下げてみたいと思います。



考えて見ると、私たちが存在している宇宙も、上記の文章で話題になったリンゴと同じように、自身の観念と言えるのではないでしょうか。


すると私たちは、自身の観念の中で暮らしているという奇妙な矛盾が感じられて来ないでしょうか。


下記の2つの記事は、このことについて書いていますので、ご興味のある方はこちらもどうぞ。


参考記事:『全宇宙とあなたの心はどちらが広いか-視覚と脳科学

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156787&c=3304&d=ed84



参考記事:『宇宙意識とは? 潜在意識との違い、普遍的意識とつながることとスピリチュアルな進歩』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156788&c=3304&d=ed84



では、今日はこの辺で。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください(^^)/~


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■編集後記

ベランダのハイビスカスが咲いています

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1156789&c=3304&d=ed84

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コメント
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