34歳で突然社長になった。
準備期間は11ヶ月。社長といってもたったひとり。何もなかった。
全て一人でこなした。というか会社の仕組みを創っていった。何もかもわからない中で脳みそがはちきれた。
失敗など考える余裕すらもなく、それでも絶対家族は守らねばとフラフラになりながら仕事した。
人間本当に必死でやれば道は拓けるもので、様々な方が協力してくれるようになり仕事が回り出した。
そうなると一人では無理で、会社内部のことを任せないと先がなく、私は外に向け動き内を任せるようになった。
(Oさんにはずいぶん苦労を掛けました・・感謝しています)
そこから社員もすこしづつ増えたがとにかく仕事を増やすこと、安定させること、そして会社の価値を上げることに専念した。
そして仕事を受注しては部下に引き継ぎ、私はまた新たな得意先獲得を目指す・・・創業10年目まではそんなカタチだったと思います。
社長としてとにかく仕事を獲ってくること、新たな価値を生み出すことに専念し、ずっと指示をだしていた。
このときこそ傲慢そのものだったと思うし、その頃からの皆さんには良く耐えてくれたと感謝しかありません。
本当によく働いたし、力が伸びている感覚が感じられた。また華々しい一方でつらい思いをしていた人も沢山居たと反省している。
業績が覆い隠してはいたが、現在に至る会社課題が出始めた時期でもあった。会社というのはオフェンスだけではやがてぼろが出る。
さらに創業10年目以降はみんなのライフスタイル変化による影響とモレーツ主義の結果の業績再急伸長との矛盾・GAPとの闘いだった。
伸ばせば伸ばすほどきつくなる。人手は慢性不足と言うより極限状態。ここが一番社長としてつらかったし、未熟さを思い知った。
社長は仕事ができて、仕事を獲れる、新たな価値を創る・・それだけでは駄目だと思い知った。
みんなの力を活かす能力がなければ、それらは逆作用すると痛感した。ここから社長としての役割変化を強く意識した。
実務はリーダーに任せるスタンスに舵を切り、自分は極限の状態から安定に向かうため外部採用やキャリア採用などに力を入れ
ブランディングを意識するようになった。そして会社としての将来に向けた活動。それらが役割となった。
しかしながらその後のコロナ。会社の方針転換を余儀なくされ、新たな事業戦略構築が必要に。
また良くも悪くもエリート主義だった会社に、多種多様な人材が急激に増えたことによる言語や意識の顕著な違いによる混乱。
ここ2年はこれらの対応が役割となった。そしてまだまだ不完全だけど一定の道筋は定めることができた。
こう振り返っても社長の仕事・役割はその時々、会社のステージで変わると思う。
「判断すること」「将来の方向性を決めること」などと巷では言われるが、それらに加え
私が考える社長の仕事は「謙虚に学び続けること」「その上で変化対応すること(批判されても)」。
そして重要なのは「絶対に会社を守る覚悟(自分ではなく)」。
自分自身の哲学として後進に伝えていきたい。