以下に載せるのは、昨年(2007年)11月25日に福岡で行った講演の記録を基に、大幅に加筆修正したものである。すでに四ヶ月がたち、教科書検定の訂正申請の問題などは結果も出ていて、古くなっている部分もある。しかし、9・29県民大会の意義と課題や大江・岩波沖縄戦裁判の背景の分析、「集団自決」をめぐる考察などは、今後さらに深められるべき問題として続いている。明日は大江・岩波沖縄戦裁判の判決が下りるが、このかん傍聴を重ねながら考えてきたことを総括的に話してもいるので、この機会に本ブログに載せておきたい。
なお、演題は集会実行委員会が付けたものを利用させてもらった。基本的な構成や内容は変わっていないが、一部は省略し、「集団自決」に関する考察はかなり書き加えた。そのために実際に行った講演とは別のものとして扱いたい。
長いので5回に分けて載せるが、一読して参考にしていただけると有り難い。
演題「日本軍の強制はなぜ消されたか 9.29沖縄県民大会の怒りを全国へ」
みなさん、こんにちは、目取真と申します。先ほど9.29の沖縄県民大会の様子がビデオ上映されていましたけれども、あの時に私は地元の琉球朝日放送というテレビ局が現場で実況中継している番組に出ていました。会場の後ろの方に放送席があって、そこで発言しながら会場全体の様子を見ていました。
何度も十二年前の10.21県民大会を思い出しました。その時に私はコザ高校で教員をやっていて、一年生の担任をしてたんです。今回の県民大会に、十二年前の一年生がもう大人になってお母さんと一緒に来ていてですね、会場で会って挨拶をしたりしました。十二年前に参加した高校生が今回の大会にもたくさん来たと思います。親子連れや、おじいさん、おばあさん、中学生や高校生など、たくさんの方が来ていました。
【会場外にあふれる参加者の波】
先ほど大会参加者が十一万人という話がありましたけども、これに対して「あれは実際は一三〇〇〇人だ」とか「二万人だ」言っているみなさんがいます。『琉球新報』が載せた集会写真の人数を全部数えたと言っています。熊本大学の学生が数えたという話がありますけれども、学生だったらそんなことをやる暇があったら勉強をした方がいいと思いますけどね。実際にはいくら拡大コピーをしても正確に数えるのは不可能なんです。座っていて人の陰になり見えない人もいますし、親に抱かれた子どもなんて後ろから見えるはずもないでしょう。
あの会場はサッカーコートが二面取れるぐらいの大きな会場ですから、五、六万人は軽く入るんです。なおかつ時間によって人が入れ替わっています。ある一瞬だけを写真に撮っても、それがすべての人数ではないんです。沖縄は鉄道がありませんから移動はすべて車なんですね。ですから会場に集まろうにも渋滞して、結局は閉会までバス停に立って来られなかった人もたくさんいるんです。また、帰る時も渋滞しますから、早めに帰る人もいて、どんどん会場にいる人間が入れ替わっています。写真で数をかぞえたという人たちは、現場には来てないからそういうことも分からないのですね。県民大会の場では、十一万人というのは会場周辺にいる人も含めてそれぐらいだと言っていたと思いますし、実際、それぐらいの人が集まったわけです。
それはなぜかと言えば、大会の意義についての話に入りますが、今回の県民大会は「日本復帰」後最大規模の大会として実現されました。一九七二年の五月十五日に施政権が返還されてから、もう三十五年になりますけども、この間県内ではいくつか大きな大会がありました。その中でも最大規模の大会になったのはですね、県議会をはじめすべての市町村議会で決議が上がっていますね。県知事をはじめ全市町村長、そして市議会議員も大多数が参加しています。一つの壇上に自民党から共産党まですべての政党が座るというのは、他府県においてはほとんどあり得ないんじゃないかと思います。
労働組合や教育関係や平和運動を取り組んでいる団体だけでなく、老人会や子ども会などの地域の団体、経済団体など多様な団体が組織的に参加しています。そういう全県的な取り組みですから、百三七万の沖縄県民でも十万人以上の人が集まるわけです。沖縄は離島が多いですから、来られなかった人はテレビやラジオで見てるんですね。沖縄にある三つの民放とNHKすべてが実況中継しています。ラジオもです。それぐらい大きな取り組みとしてありましたし、バスも料金は無料で会場までピストン運行して人を運んでいます。ヤマトゥの人にはもうそういうことがあるということ自体が想像しにくいのかも知れません。
私の母親は七四歳になりますけれども、今まで一度も県民大会に参加したことはなかった。北部の田舎に住んでいますから、参加する機会がなかったんです。ところが今回はですね、ぜひ行きたいということで初めて参加したんです。北部から路線バスで行くのは無理ですから、役場に行ってですね、自治労のみなさんのマイクロバスに一緒に乗せてほしいとお願いして、自分で交渉して行ってるわけです。年寄りがそんなことをしてまで参加するぐらいの大会だったんです。だから十一万人も集まっているんですね。
これを過小評価したいという人たちは、ただの一人もその場に来ていないんですよ。自分の目で見て確かめれば、一三〇〇〇人だとか、二万人だとか、そんなことは言えなかったはずです。実はさっきのQAB(琉球朝日放送)の番組に、私と一緒に藤岡信勝が出る予定だったんです。ところが藤岡がドタキャンしてしまった。それでQABは慌てて、別の人を捜すのに苦労したという話があるんです。
藤岡はいろいろ理由をつけているようですけれども、おそらくあとでキャンペーンを張るために来なかったんだろうと思います。沖縄の知人から情報収集して、大会がかなりの盛り上がりなることを事前につかんで、慌てて出演を断ったんだろうと私は見ています。実際に現場に来て自分の目で大会の様子を見ていれば、そういったキャンペーンは張れませんからね。そういうところを見ると実に姑息な人だなと思いますけどね。ただ、藤岡とか小林よしのりだとかが参加者を一三〇〇〇人だの、二万人だのと言えば言うほど、沖縄では彼らがいかに平気で嘘をつく人たちであるかが浮き彫りになるわけです。大会に参加した人たちはもとより、その様子をテレビで見ていた人たちも、沖縄県民は事実を知っているわけですから。
今、そういう沖縄の盛り上がりに対して危機感を抱いて、右派が巻き返しを図っているなかで、改めて県民大会の意義を確認しておきたいと思います。
【震えあがった政府・文科省、右派グループ】
今回の県民大会の意義について以上話したことに加えて、意義の二つ目として、今回これだけの集会が開けたおかげで、少しずつ教科書の記述復活の動きが見えています。検定で書き直しを行った教科書会社以外も含めて、六社から「集団自決」の日本軍の「強制」を明記した記述の訂正申請が出ています。しかし、これが認められるかどうかは、あとの課題にもありますけれど、予断を許さない状況です。訂正申請を出したから通るというわけではありません。
三つ目に、県民全体に沖縄戦に対する認識が高まって、沖縄戦の記録と記憶をきちんとあとの世代に継承していこうという動きが、明確に位置付けられたと思います。これは学校現場で教師が取り組むことはもちろんですけれども、各高校の放送部の生徒たちがたくさん大会に参加して、会場でお年寄りからインタビューして、ビデオで記録しているんですね。大会が終わったあとも、会場のあちこちでベンチに座って、お年寄りから話を聞いている高校生の姿が見られました。
高校野球は新人大会の最中でしたけれども、試合を中止して、ユニフォーム姿で選手たちが参加していました。また、若い親たちがまだ五、六歳ぐらいの子どもたちを連れて家族ぐるみで参加していました。沖縄戦の記憶をはっきりと持つ体験者が七十歳を越えて、そういうお年寄りが語れる時間も残り少ない、という想いがあるわけですよ。自分の耳で渡嘉敷島や座間味島の生き残りの人の話を聴きたいという想いがあってですね、会場に来た人もたくさんいると思います。こんなかたちで、たとえ悲惨な事実であっても、戦争体験を継承していこうという動きが、県民の中で今回とても高まったと思います。
四つ目に、この教科書検定の発端は、大江・岩波沖縄戦裁判という、いま大阪地裁で行われている裁判なんです。あとで詳しく触れますけれども、この裁判にも非常にいい影響を与えたと思います。これだけの人が集まったというのは、裁判官の心証にいい影響を与えたと思うし、逆に言うと原告側ですね、渡嘉敷島の隊長だった赤松隊長の弟さんと、座間味島の隊長だった梅澤裕元隊長ですね、彼らは心情的に追いつめられただろうし、原告側の弁護団も焦っているだろうと思います。それだけに彼らは、これから必死に立て直しをやってくるだろうと思います。
五つ目に、全国各地からも多くの人がこの大会に参加していました。今、全国的にはこれだけの規模、あるいは質を持った大会というのがなかなか取り組めない状況で、大きな励ましを受けたという方が全国各地にいると思います。やはり直接的な民主主義が大切で、たんに議会に頼って一票を投じればそれで終わり、ではないわけです。本当はこういった県民大会やデモやストライキ、そういった手法でも政治は動かせるわけです。それこそが本来の民主主義のあり方なわけですけれども、沖縄県民が示したことが、全国にぜひ良い形で波及していってほしいと思います。
意義は他にもたくさんあると思いますけれども、以上簡単にまとめておきます。
【県民大会がはらむ限界の克服を】
ところで意義だけではやっぱりないわけです。この大会が持っている限界ですね、いろんな課題も考えていきたいと思います。
課題の一つは、教科書検定意見はいまだに撤回されていないわけです。教科書会社が記述を訂正申請するという形で幕引きの動きが進んでいる。県民大会の中で、教科書検定意見撤回を決議文の中に入れることも、大変な苦労があったわけです。今時自民党を含めて大会を開き、文部科学省の教科書検定意見を撤回せよということを決議案として出すのは、実行委員会内部やまわりでのいろんな取り組みがあってはじめて可能となっています。そういった高いハードルを設定して、その実現を追求していますけれども、文部科学省をはじめ政府は頑としてそれを拒んでいる。
訂正申請は出されましたが、教科書検定の審議会は、メンバーがまったく替わっていません。なおかつ、検定意見は生きているわけですから、それに基づいて審議も行われるわけですね。だから、この審議会において教科書会社が出した通りの記述の復活がなされるのは難しいのではないか。そういった発言もなされています。今、沖縄を含めて、教科書会社が訂正申請を出したから、何となくそれでうまくいっているかのような安易な雰囲気が流れていますけれども、実際にはそうじゃない。
十二月には新たな審議の結果が出ます。そのあと教科書会社は印刷もありますから、早い時期に出ると思いますけれども、予断を許さない状況になっています。自由主義史観研究会をはじめ右派の側も、連日、文部科学省に陳情に行ったり、教科書会社に圧力をかけたり、いろんな形で巻き返しをやっています。そういった意味でも、逆にこの巻き返しを許さない取り組みを再度作り出していくことが問われている状況です。
二つ目に、沖縄での盛り上がりに対比して、全国的にはまだまだ関心が低い。マスコミは一時的に取り上げましたけれども、すぐに次のネタに移って、最近はテレビでも報道されません。これが現在のマスコミの状況です。しかし、これは沖縄だけの問題ではないわけです。教科書を使うのは全国の子どもたちですから、全国の教師、保護者の問題であると思うんですけれども、そこまで関心が広がっていないわけですね。ですから、この福岡をはじめ全国各地でこの問題を取り上げていけるかどうかが、成否を決めると思います。
三つ目に、この教科書検定問題の背景にある動き、政治的な動きとか、そういったものに対する認識がいまだに弱くて、これが運動の広がりの弱さにもつながっています。あとで詳しく触れますけれど、たとえば、これは明らかに憲法九条を改悪することを目的として行われている動きの一つなわけです。改定された教育基本法の下で推進される「愛国心」教育とも絡んできます。ところが、そういったところまで県民大会では踏み込み得ていないわけです。沖縄においても、記述が復活すればいいかのような形ですまされようとしている。それが要するに幕引きということなんですけれども。
先ほど講演前に上映されたビデオの中で、県民大会の四日後に仲井真県知事が、政府・文部科学省に交渉に行った場面がありました。知事は自ら積極的に県民大会に参加しているわけではないんです。彼は最初は消極的で、県民から突き上げられて仕方なく大会に参加しているんです。そういう彼が交渉に行ったのは、早く文部科学省や政府と手を打って、これ以上問題が大きくならないうちにほとぼりを冷ましたいからです。それが知事の本音なんです。だから、実行委員会全体で行くのではなくして、知事と自民党系の沖縄選出の国会議員など一部のグループで、大会の四日後に行動を起こしているんです。そういう状況ですから、県民の運動が弱まったと見れば検定結果のままにするだろうし、運動が高揚し続ければどうにか記述が復活するという綱渡りのような状況が続いている、と考えた方がいいと思います。
四つ目に、今回の教科書検定問題は、大阪地裁で行われている大江・岩波沖縄戦裁判と深くつながっています。しかし、その認識が十分にできているというわけではありません。文部科学省が書き換えの理由の一つとして、大阪地裁で座間味島の元隊長や渡嘉敷島の元隊長の弟が裁判を起こし、「集団自決」に隊長命令はなかった、と主張していることを挙げています。そのことからしても、この裁判とのつながりは明らかなわけです。大江健三郎氏や梅澤氏らの証人尋問がマスコミでも報道されて関心が高まってはいます。教科書検定問題と裁判の関係について、大会の発言で一部触れられてはいましたが、教科書の記述復活を実現するためにも裁判の支援が必要である、という認識を広める必要があります。
五つ目に、米軍再編や沖縄における自衛隊強化との関係も十分に認識されていません。これもあとで詳しく触れますけれども、沖縄では今、自衛隊が急速に強化されています。かつての日本軍のイメージを払拭して、沖縄県民を再度自衛隊を支える県民に変えていくために、沖縄戦の記憶を抹殺したい、という意志がそこには貫かれています。
以上挙げたような問題と教科書検定問題が切り離された形で、いま運動が進んでいます。いかにしてそれをつなぎ、その背景にまで踏みこんで運動を作っていくかが、私たちの課題ではないかと思います。
【「強制」を削除した文科省の屁理屈と居直り】
次に今回の教科書検定の背景について考えてみたいんですけれども、文部科学省は教科書検定意見をつけた理由として、以下の四点を挙げていました。
一つは、日本軍の隊長の命令を否定する新しい学説が出ている、ということです。
その際に取り上げられたのは、関東学院大学教授の林博史さんが書いた『沖縄戦と民衆』という本です。その中で「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる」という記述があります。この記述に対して私には大きな疑問がありますが、それについて話すと議論が広がりすぎますので、ここでは触れません。ただ、そのような記述をしていても、林さんは「集団自決」の当日に隊長命令が出たか否かよりも、軍隊と住民の全体的な関わりの中で考えることの重要性を述べて、「集団自決」は軍による強制によって行われたものであるということをきちんと書いてあるんです。
しかし、そのことを文部科学省はねじ曲げて、今回の検定意見の理由とした。それですぐに林さんも、自分の本を意図的に歪曲して使用しているということで抗議しています。林さん自身が、軍の強制を否定する新しい学説はないんだ、ということをはっきりと言っています。実際、この『沖縄戦と民衆』は二〇〇一年に発刊されていますけれど、過去五年間まったく問題にならずに検定は通ってきました。『沖縄戦と民衆』を新しい学説として持ち出すこと自体がおかしいし、それ以外に新しい学説など出ていないのが実情なんです。
二つ目として、「すべての集団自決が強制とは言えない」、そういった屁理屈を伊吹前文部科学大臣は唱えていました。けれども、教科書記述を見れば「~もあった」という記述でしかないんですね。「強制されたのもあった」という記述ですから、「すべて」とは最初から書いてないんです。これも事実をねじ曲げた意識的なキャンペーンです。
三つ目は二つ目とも関わってきますけれども、高校生がすべてが強制であったかのように誤解するおそれがある、そういったことも言っています。それだって別に削除する理由にはなりません。誤解しないようにもっと詳しく書けばいいだけのことなんです。だいたい、今までは問題がなかったのに、急に高校生の読解力が落ちたとでもいうんでしょうか。
これは教科書会社と執筆者の問題にもなってきますけれども、文部科学省に対してほとんど反論もできないような力関係の中で、記述を削除してしまった面もあるわけです。日本史の小委員会ではまったく議論がなかったと、あとから教科書執筆者たちも言っています。言われるがままに削除してしまったと。これは教科書会社の弱さでもありますけども、検定に通らないと教科書会社は倒産してしまう、そういった弱みもを持っているわけです。 四つ目に大阪地裁で裁判が起こされている。元隊長が命令しなかったと主張している。これも理由の一つとして挙げていますけれども、現在係争中で、検定意見が出た当時はまだ証人尋問も本人尋問も行われていません。そういった中で一方的に元隊長の主張だけを取り上げて、なおかつ「冤罪訴訟」という原告側の表現を使っていました。何が冤罪なのかと、それこそ問いたいわけですけれども、文部科学省は裁判の一方の主張だけを取り上げていて、中立を犯して今回の検定を行っていることを自ら示しているわけです。
ですから、今回の検定の理由として挙げている四点すべてが、すでに覆っているんです。検定意見を撤回するのが当たり前なんです。だけど、それをやらないで居直っているのが文部科学省です。
そして実際には、この四つ目の大江・岩波沖縄戦裁判こそが、今回の検定の真の理由であるということを、これから話したいと思います。
なお、演題は集会実行委員会が付けたものを利用させてもらった。基本的な構成や内容は変わっていないが、一部は省略し、「集団自決」に関する考察はかなり書き加えた。そのために実際に行った講演とは別のものとして扱いたい。
長いので5回に分けて載せるが、一読して参考にしていただけると有り難い。
演題「日本軍の強制はなぜ消されたか 9.29沖縄県民大会の怒りを全国へ」
みなさん、こんにちは、目取真と申します。先ほど9.29の沖縄県民大会の様子がビデオ上映されていましたけれども、あの時に私は地元の琉球朝日放送というテレビ局が現場で実況中継している番組に出ていました。会場の後ろの方に放送席があって、そこで発言しながら会場全体の様子を見ていました。
何度も十二年前の10.21県民大会を思い出しました。その時に私はコザ高校で教員をやっていて、一年生の担任をしてたんです。今回の県民大会に、十二年前の一年生がもう大人になってお母さんと一緒に来ていてですね、会場で会って挨拶をしたりしました。十二年前に参加した高校生が今回の大会にもたくさん来たと思います。親子連れや、おじいさん、おばあさん、中学生や高校生など、たくさんの方が来ていました。
【会場外にあふれる参加者の波】
先ほど大会参加者が十一万人という話がありましたけども、これに対して「あれは実際は一三〇〇〇人だ」とか「二万人だ」言っているみなさんがいます。『琉球新報』が載せた集会写真の人数を全部数えたと言っています。熊本大学の学生が数えたという話がありますけれども、学生だったらそんなことをやる暇があったら勉強をした方がいいと思いますけどね。実際にはいくら拡大コピーをしても正確に数えるのは不可能なんです。座っていて人の陰になり見えない人もいますし、親に抱かれた子どもなんて後ろから見えるはずもないでしょう。
あの会場はサッカーコートが二面取れるぐらいの大きな会場ですから、五、六万人は軽く入るんです。なおかつ時間によって人が入れ替わっています。ある一瞬だけを写真に撮っても、それがすべての人数ではないんです。沖縄は鉄道がありませんから移動はすべて車なんですね。ですから会場に集まろうにも渋滞して、結局は閉会までバス停に立って来られなかった人もたくさんいるんです。また、帰る時も渋滞しますから、早めに帰る人もいて、どんどん会場にいる人間が入れ替わっています。写真で数をかぞえたという人たちは、現場には来てないからそういうことも分からないのですね。県民大会の場では、十一万人というのは会場周辺にいる人も含めてそれぐらいだと言っていたと思いますし、実際、それぐらいの人が集まったわけです。
それはなぜかと言えば、大会の意義についての話に入りますが、今回の県民大会は「日本復帰」後最大規模の大会として実現されました。一九七二年の五月十五日に施政権が返還されてから、もう三十五年になりますけども、この間県内ではいくつか大きな大会がありました。その中でも最大規模の大会になったのはですね、県議会をはじめすべての市町村議会で決議が上がっていますね。県知事をはじめ全市町村長、そして市議会議員も大多数が参加しています。一つの壇上に自民党から共産党まですべての政党が座るというのは、他府県においてはほとんどあり得ないんじゃないかと思います。
労働組合や教育関係や平和運動を取り組んでいる団体だけでなく、老人会や子ども会などの地域の団体、経済団体など多様な団体が組織的に参加しています。そういう全県的な取り組みですから、百三七万の沖縄県民でも十万人以上の人が集まるわけです。沖縄は離島が多いですから、来られなかった人はテレビやラジオで見てるんですね。沖縄にある三つの民放とNHKすべてが実況中継しています。ラジオもです。それぐらい大きな取り組みとしてありましたし、バスも料金は無料で会場までピストン運行して人を運んでいます。ヤマトゥの人にはもうそういうことがあるということ自体が想像しにくいのかも知れません。
私の母親は七四歳になりますけれども、今まで一度も県民大会に参加したことはなかった。北部の田舎に住んでいますから、参加する機会がなかったんです。ところが今回はですね、ぜひ行きたいということで初めて参加したんです。北部から路線バスで行くのは無理ですから、役場に行ってですね、自治労のみなさんのマイクロバスに一緒に乗せてほしいとお願いして、自分で交渉して行ってるわけです。年寄りがそんなことをしてまで参加するぐらいの大会だったんです。だから十一万人も集まっているんですね。
これを過小評価したいという人たちは、ただの一人もその場に来ていないんですよ。自分の目で見て確かめれば、一三〇〇〇人だとか、二万人だとか、そんなことは言えなかったはずです。実はさっきのQAB(琉球朝日放送)の番組に、私と一緒に藤岡信勝が出る予定だったんです。ところが藤岡がドタキャンしてしまった。それでQABは慌てて、別の人を捜すのに苦労したという話があるんです。
藤岡はいろいろ理由をつけているようですけれども、おそらくあとでキャンペーンを張るために来なかったんだろうと思います。沖縄の知人から情報収集して、大会がかなりの盛り上がりなることを事前につかんで、慌てて出演を断ったんだろうと私は見ています。実際に現場に来て自分の目で大会の様子を見ていれば、そういったキャンペーンは張れませんからね。そういうところを見ると実に姑息な人だなと思いますけどね。ただ、藤岡とか小林よしのりだとかが参加者を一三〇〇〇人だの、二万人だのと言えば言うほど、沖縄では彼らがいかに平気で嘘をつく人たちであるかが浮き彫りになるわけです。大会に参加した人たちはもとより、その様子をテレビで見ていた人たちも、沖縄県民は事実を知っているわけですから。
今、そういう沖縄の盛り上がりに対して危機感を抱いて、右派が巻き返しを図っているなかで、改めて県民大会の意義を確認しておきたいと思います。
【震えあがった政府・文科省、右派グループ】
今回の県民大会の意義について以上話したことに加えて、意義の二つ目として、今回これだけの集会が開けたおかげで、少しずつ教科書の記述復活の動きが見えています。検定で書き直しを行った教科書会社以外も含めて、六社から「集団自決」の日本軍の「強制」を明記した記述の訂正申請が出ています。しかし、これが認められるかどうかは、あとの課題にもありますけれど、予断を許さない状況です。訂正申請を出したから通るというわけではありません。
三つ目に、県民全体に沖縄戦に対する認識が高まって、沖縄戦の記録と記憶をきちんとあとの世代に継承していこうという動きが、明確に位置付けられたと思います。これは学校現場で教師が取り組むことはもちろんですけれども、各高校の放送部の生徒たちがたくさん大会に参加して、会場でお年寄りからインタビューして、ビデオで記録しているんですね。大会が終わったあとも、会場のあちこちでベンチに座って、お年寄りから話を聞いている高校生の姿が見られました。
高校野球は新人大会の最中でしたけれども、試合を中止して、ユニフォーム姿で選手たちが参加していました。また、若い親たちがまだ五、六歳ぐらいの子どもたちを連れて家族ぐるみで参加していました。沖縄戦の記憶をはっきりと持つ体験者が七十歳を越えて、そういうお年寄りが語れる時間も残り少ない、という想いがあるわけですよ。自分の耳で渡嘉敷島や座間味島の生き残りの人の話を聴きたいという想いがあってですね、会場に来た人もたくさんいると思います。こんなかたちで、たとえ悲惨な事実であっても、戦争体験を継承していこうという動きが、県民の中で今回とても高まったと思います。
四つ目に、この教科書検定の発端は、大江・岩波沖縄戦裁判という、いま大阪地裁で行われている裁判なんです。あとで詳しく触れますけれども、この裁判にも非常にいい影響を与えたと思います。これだけの人が集まったというのは、裁判官の心証にいい影響を与えたと思うし、逆に言うと原告側ですね、渡嘉敷島の隊長だった赤松隊長の弟さんと、座間味島の隊長だった梅澤裕元隊長ですね、彼らは心情的に追いつめられただろうし、原告側の弁護団も焦っているだろうと思います。それだけに彼らは、これから必死に立て直しをやってくるだろうと思います。
五つ目に、全国各地からも多くの人がこの大会に参加していました。今、全国的にはこれだけの規模、あるいは質を持った大会というのがなかなか取り組めない状況で、大きな励ましを受けたという方が全国各地にいると思います。やはり直接的な民主主義が大切で、たんに議会に頼って一票を投じればそれで終わり、ではないわけです。本当はこういった県民大会やデモやストライキ、そういった手法でも政治は動かせるわけです。それこそが本来の民主主義のあり方なわけですけれども、沖縄県民が示したことが、全国にぜひ良い形で波及していってほしいと思います。
意義は他にもたくさんあると思いますけれども、以上簡単にまとめておきます。
【県民大会がはらむ限界の克服を】
ところで意義だけではやっぱりないわけです。この大会が持っている限界ですね、いろんな課題も考えていきたいと思います。
課題の一つは、教科書検定意見はいまだに撤回されていないわけです。教科書会社が記述を訂正申請するという形で幕引きの動きが進んでいる。県民大会の中で、教科書検定意見撤回を決議文の中に入れることも、大変な苦労があったわけです。今時自民党を含めて大会を開き、文部科学省の教科書検定意見を撤回せよということを決議案として出すのは、実行委員会内部やまわりでのいろんな取り組みがあってはじめて可能となっています。そういった高いハードルを設定して、その実現を追求していますけれども、文部科学省をはじめ政府は頑としてそれを拒んでいる。
訂正申請は出されましたが、教科書検定の審議会は、メンバーがまったく替わっていません。なおかつ、検定意見は生きているわけですから、それに基づいて審議も行われるわけですね。だから、この審議会において教科書会社が出した通りの記述の復活がなされるのは難しいのではないか。そういった発言もなされています。今、沖縄を含めて、教科書会社が訂正申請を出したから、何となくそれでうまくいっているかのような安易な雰囲気が流れていますけれども、実際にはそうじゃない。
十二月には新たな審議の結果が出ます。そのあと教科書会社は印刷もありますから、早い時期に出ると思いますけれども、予断を許さない状況になっています。自由主義史観研究会をはじめ右派の側も、連日、文部科学省に陳情に行ったり、教科書会社に圧力をかけたり、いろんな形で巻き返しをやっています。そういった意味でも、逆にこの巻き返しを許さない取り組みを再度作り出していくことが問われている状況です。
二つ目に、沖縄での盛り上がりに対比して、全国的にはまだまだ関心が低い。マスコミは一時的に取り上げましたけれども、すぐに次のネタに移って、最近はテレビでも報道されません。これが現在のマスコミの状況です。しかし、これは沖縄だけの問題ではないわけです。教科書を使うのは全国の子どもたちですから、全国の教師、保護者の問題であると思うんですけれども、そこまで関心が広がっていないわけですね。ですから、この福岡をはじめ全国各地でこの問題を取り上げていけるかどうかが、成否を決めると思います。
三つ目に、この教科書検定問題の背景にある動き、政治的な動きとか、そういったものに対する認識がいまだに弱くて、これが運動の広がりの弱さにもつながっています。あとで詳しく触れますけれど、たとえば、これは明らかに憲法九条を改悪することを目的として行われている動きの一つなわけです。改定された教育基本法の下で推進される「愛国心」教育とも絡んできます。ところが、そういったところまで県民大会では踏み込み得ていないわけです。沖縄においても、記述が復活すればいいかのような形ですまされようとしている。それが要するに幕引きということなんですけれども。
先ほど講演前に上映されたビデオの中で、県民大会の四日後に仲井真県知事が、政府・文部科学省に交渉に行った場面がありました。知事は自ら積極的に県民大会に参加しているわけではないんです。彼は最初は消極的で、県民から突き上げられて仕方なく大会に参加しているんです。そういう彼が交渉に行ったのは、早く文部科学省や政府と手を打って、これ以上問題が大きくならないうちにほとぼりを冷ましたいからです。それが知事の本音なんです。だから、実行委員会全体で行くのではなくして、知事と自民党系の沖縄選出の国会議員など一部のグループで、大会の四日後に行動を起こしているんです。そういう状況ですから、県民の運動が弱まったと見れば検定結果のままにするだろうし、運動が高揚し続ければどうにか記述が復活するという綱渡りのような状況が続いている、と考えた方がいいと思います。
四つ目に、今回の教科書検定問題は、大阪地裁で行われている大江・岩波沖縄戦裁判と深くつながっています。しかし、その認識が十分にできているというわけではありません。文部科学省が書き換えの理由の一つとして、大阪地裁で座間味島の元隊長や渡嘉敷島の元隊長の弟が裁判を起こし、「集団自決」に隊長命令はなかった、と主張していることを挙げています。そのことからしても、この裁判とのつながりは明らかなわけです。大江健三郎氏や梅澤氏らの証人尋問がマスコミでも報道されて関心が高まってはいます。教科書検定問題と裁判の関係について、大会の発言で一部触れられてはいましたが、教科書の記述復活を実現するためにも裁判の支援が必要である、という認識を広める必要があります。
五つ目に、米軍再編や沖縄における自衛隊強化との関係も十分に認識されていません。これもあとで詳しく触れますけれども、沖縄では今、自衛隊が急速に強化されています。かつての日本軍のイメージを払拭して、沖縄県民を再度自衛隊を支える県民に変えていくために、沖縄戦の記憶を抹殺したい、という意志がそこには貫かれています。
以上挙げたような問題と教科書検定問題が切り離された形で、いま運動が進んでいます。いかにしてそれをつなぎ、その背景にまで踏みこんで運動を作っていくかが、私たちの課題ではないかと思います。
【「強制」を削除した文科省の屁理屈と居直り】
次に今回の教科書検定の背景について考えてみたいんですけれども、文部科学省は教科書検定意見をつけた理由として、以下の四点を挙げていました。
一つは、日本軍の隊長の命令を否定する新しい学説が出ている、ということです。
その際に取り上げられたのは、関東学院大学教授の林博史さんが書いた『沖縄戦と民衆』という本です。その中で「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる」という記述があります。この記述に対して私には大きな疑問がありますが、それについて話すと議論が広がりすぎますので、ここでは触れません。ただ、そのような記述をしていても、林さんは「集団自決」の当日に隊長命令が出たか否かよりも、軍隊と住民の全体的な関わりの中で考えることの重要性を述べて、「集団自決」は軍による強制によって行われたものであるということをきちんと書いてあるんです。
しかし、そのことを文部科学省はねじ曲げて、今回の検定意見の理由とした。それですぐに林さんも、自分の本を意図的に歪曲して使用しているということで抗議しています。林さん自身が、軍の強制を否定する新しい学説はないんだ、ということをはっきりと言っています。実際、この『沖縄戦と民衆』は二〇〇一年に発刊されていますけれど、過去五年間まったく問題にならずに検定は通ってきました。『沖縄戦と民衆』を新しい学説として持ち出すこと自体がおかしいし、それ以外に新しい学説など出ていないのが実情なんです。
二つ目として、「すべての集団自決が強制とは言えない」、そういった屁理屈を伊吹前文部科学大臣は唱えていました。けれども、教科書記述を見れば「~もあった」という記述でしかないんですね。「強制されたのもあった」という記述ですから、「すべて」とは最初から書いてないんです。これも事実をねじ曲げた意識的なキャンペーンです。
三つ目は二つ目とも関わってきますけれども、高校生がすべてが強制であったかのように誤解するおそれがある、そういったことも言っています。それだって別に削除する理由にはなりません。誤解しないようにもっと詳しく書けばいいだけのことなんです。だいたい、今までは問題がなかったのに、急に高校生の読解力が落ちたとでもいうんでしょうか。
これは教科書会社と執筆者の問題にもなってきますけれども、文部科学省に対してほとんど反論もできないような力関係の中で、記述を削除してしまった面もあるわけです。日本史の小委員会ではまったく議論がなかったと、あとから教科書執筆者たちも言っています。言われるがままに削除してしまったと。これは教科書会社の弱さでもありますけども、検定に通らないと教科書会社は倒産してしまう、そういった弱みもを持っているわけです。 四つ目に大阪地裁で裁判が起こされている。元隊長が命令しなかったと主張している。これも理由の一つとして挙げていますけれども、現在係争中で、検定意見が出た当時はまだ証人尋問も本人尋問も行われていません。そういった中で一方的に元隊長の主張だけを取り上げて、なおかつ「冤罪訴訟」という原告側の表現を使っていました。何が冤罪なのかと、それこそ問いたいわけですけれども、文部科学省は裁判の一方の主張だけを取り上げていて、中立を犯して今回の検定を行っていることを自ら示しているわけです。
ですから、今回の検定の理由として挙げている四点すべてが、すでに覆っているんです。検定意見を撤回するのが当たり前なんです。だけど、それをやらないで居直っているのが文部科学省です。
そして実際には、この四つ目の大江・岩波沖縄戦裁判こそが、今回の検定の真の理由であるということを、これから話したいと思います。
早速訂正します。