1995年9月4日、沖縄島北部で米海兵隊員三人によるレイプ事件が起こった。あれから13年の時が経った。被害者やその家族はこの間どのように生きてきたのだろうか。
そのことを考えるなら、事件の起こった北部の地に、これ以上基地を増やすことなどできないと思うのだが、島袋名護市長、仲井真県知事、日本政府ともに事件のことを忘れたかのように、辺野古への新基地建設を推し進めている。
米兵による事件を一般化し、レイプ事件は日本人も起こすし、他府県でも起こっていると口にする阿呆もいる。沖縄への米軍基地の集中化に目をそむけ、自分の所にはおきたくない基地を沖縄に押しつけていることをごまかすそのような主張は、論理的にまやかしであるだけでなく、人として恥知らずでもある。米軍基地のない県で、米兵による犯罪がどれだけ起こっているというのか。
この狭い島で基地を押し付け合い、たらい回しすることはまったく愚かなことだ。嘉手納より南の基地を「返還」し、北部に基地を集中させるというのは、沖縄県民を分断し、北部の住民に基地被害を集中させるという、悪辣なやり方である。それはまた、13年前の事件の被害者とその家族に対する最大限の侮辱であり裏切り行為であろう。そして新たな恐怖を押しつけるものだ。
沖縄における「米軍再編」が県民の「負担軽減」につながるという嘘を口にする者も、最近はさすがに少なくなった。だが、嘉手納より南の基地「返還」と辺野古への新基地建設がリンクされていることには触れず、中年部の再開発を前面に出すことで、基地問題を経済問題にすり替える手法はいまだに幅を利かせている。それによって、少数派に基地を押しつけ反発と苦しみの声を押しつぶし、問題を非争点化する、というヤマトゥとウチナーの間で作られてきた構図が、ウチナー内部でも作られようとしている。
麻生だ小池だ小沢だとマスコミは騒がしいが、日本の首相が誰になろうと、日本の「平和と安全」のために沖縄に米軍基地を集中させている政策が、大きく変わることはあるまい。それを変えるには、沖縄人の力だけでは無理だ。しかし、まず沖縄人自身が力をつけて動かないかぎり、何も変わらない。その分かりきったことを、どれだけ実行できるかだ。
13年前のことを思い出し、この沖縄に新たな基地を造らせてはならないし、今ある基地を撤去させていかなければならない、と改めて決意する。
そのことを考えるなら、事件の起こった北部の地に、これ以上基地を増やすことなどできないと思うのだが、島袋名護市長、仲井真県知事、日本政府ともに事件のことを忘れたかのように、辺野古への新基地建設を推し進めている。
米兵による事件を一般化し、レイプ事件は日本人も起こすし、他府県でも起こっていると口にする阿呆もいる。沖縄への米軍基地の集中化に目をそむけ、自分の所にはおきたくない基地を沖縄に押しつけていることをごまかすそのような主張は、論理的にまやかしであるだけでなく、人として恥知らずでもある。米軍基地のない県で、米兵による犯罪がどれだけ起こっているというのか。
この狭い島で基地を押し付け合い、たらい回しすることはまったく愚かなことだ。嘉手納より南の基地を「返還」し、北部に基地を集中させるというのは、沖縄県民を分断し、北部の住民に基地被害を集中させるという、悪辣なやり方である。それはまた、13年前の事件の被害者とその家族に対する最大限の侮辱であり裏切り行為であろう。そして新たな恐怖を押しつけるものだ。
沖縄における「米軍再編」が県民の「負担軽減」につながるという嘘を口にする者も、最近はさすがに少なくなった。だが、嘉手納より南の基地「返還」と辺野古への新基地建設がリンクされていることには触れず、中年部の再開発を前面に出すことで、基地問題を経済問題にすり替える手法はいまだに幅を利かせている。それによって、少数派に基地を押しつけ反発と苦しみの声を押しつぶし、問題を非争点化する、というヤマトゥとウチナーの間で作られてきた構図が、ウチナー内部でも作られようとしている。
麻生だ小池だ小沢だとマスコミは騒がしいが、日本の首相が誰になろうと、日本の「平和と安全」のために沖縄に米軍基地を集中させている政策が、大きく変わることはあるまい。それを変えるには、沖縄人の力だけでは無理だ。しかし、まず沖縄人自身が力をつけて動かないかぎり、何も変わらない。その分かりきったことを、どれだけ実行できるかだ。
13年前のことを思い出し、この沖縄に新たな基地を造らせてはならないし、今ある基地を撤去させていかなければならない、と改めて決意する。