海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

サイパンの追悼式/開式の言葉

2009-06-13 03:59:08 | 2009年 南洋群島慰霊墓参団
 写真は追悼式で開会の言葉を述べる南洋群島帰還者会相談役の伊禮真栄氏。
 これが最後の墓参団とは言わないでほしい。これからも形を変えて墓参に訪れると強調し、若い人たちが参加していることに希望を託していたのが印象に残った。
 最後に「私事ですが…」と断って「玉砕地の死体片づけ」の話をされた。その最後のところを紹介したい。

 ……それから私事ですが、サイパンは7月の7日、こっちから向こうのマタンシャの海岸までの間に、日本軍は、最後の総攻撃をかけて、玉砕をなさっています。それで、マタンシャの上の方に、昔から、戦争をくり返してあった所、防空壕、司令壕で、海軍の南雲中将、陸軍の関東軍の司令官だった斉藤中将、こういう方たちが玉砕命令を出して、自分でも切腹すると同時に、壕の方に籠もっていた日本兵、並びに民間人の若い人たちも、この総攻撃に参加してほしいと、こういう指令が出たようでございます。私はそれをあとで聞いて分かったことです。
 それで7月の8日から、私はここから上のジョウバまで、一週間かけて、この玉砕地の死体片づけをしたので、戦争の凄さというのを身を持って感じました。このサイパンは、1万2800の半分の、6300がサイパンで亡くなり、それからテニアン、ペリリューで半分の6000ぐらいが亡くなっている。いわばアメリカ軍が上陸したサイパン、テニアン、ペリリュー、ここで大きな沖縄県人の犠牲がありました。
 あ、長い間どうもすみません。それではただ今から、先ほど司会からありましたように、慰霊祭を始めます。ありがとうございました。

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