

今年もどうぞよろしくお願い致します

私の実家は、何を隠そう(隠してないけど…)「神社」です。
私の父も母も弟も、私以外の家族は全員「禰宜」(ねぎ)の資格を持っています。
「禰宜」(ねぎ)というのは、つまり、神職に携わる者の総称です。
私の父は、教員在職中はもちろんのこと校長引退後の現在も、地元周辺の複数の神社を守っている現役の「宮司」(ぐうじ、つまり神主)です。
一応、実家は由緒正しい家系らしく、先祖を辿っていくと「藤原氏」に行き着くらしい…
ホンマかいな…

実家の歴史にまつわる話は、他にも事欠きません

昔、日本史で出てきた「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)って人、いましたよね?
鎌倉倒幕計画がバレて隠岐島(おきのしま、島根県)に流されながらも再起し、「建武(けんむ)の新政」とやらを実現した人物…らしい(見たことないんで…)
天皇が隠岐を脱出して蜂起した際の功労者に、伯耆(ほうき、鳥取県)の名和長年(なわながとし)という人がいたらしいのですが、実家の先祖はその第一家臣だったそうな…
ホンマかいな…

その後、戦国時代には、出雲(いずも、現在の島根県)の尼子(あまこ)氏に攻め込まれて現在の地に辿り着いたとか…
ホンマかいな…

私が小さい頃、祖父(先代の宮司)や祖母からよく聞かされた言葉…
「この神社におるヘビ


実際、社務所を改築したとき、土壁と土壁の間に巨大なヘビ


ホンマかいな…

実家には、江戸時代かそれ以前のものと見られる地図、刀剣、矛先、食器…etc、その他おびただしい数の「骨董品」がありました。
「家系図」なんかもありました。
これは、見た

子どもたちみんなで寄ってたかってアオダイショウ

四方八方を「七色」のヘビに囲まれ、睨まれて、身動きも出来ず、どんなに叫んでも声が出なかった

そのヘビを操っていたのは、あのアオダイショウだった

とにかく、メチャクチャ、こわかった

おじいちゃんおばあちゃんの言うことは、やっぱりちゃんと聞くもんだと身に染みた…
これも、ホンマの話。
…まぁ、そんな「歴史」というか「いわく」付きの実家で、私は大きくなった。
他にも、語り尽くせぬエピソードは数多くある。
「神道」なんて信仰はよくわからなかったけど、ともかく、大自然の「八百万(やおよろず)の神々たち」に囲まれながら、私は大きくなった。
でも、それって、実はとてもステキなことだったんだなぁ…

年末恒例の「NHK紅白歌合戦」

その喧騒が一転して、厳かな除夜の鐘と共に「ゆく年、くる年」が始まる

すると、おもむろに父は「儀式」の装束に着替え始めます。
その間、私たち姉弟は母と共に離れの「ご神前」に移動します。
そして、どんなに冷え込んでいても、どんなに大雪の日でも、全ての雨戸を開け放ち、「ご神前」に「正座」して父を待ちます。
時計


太鼓を叩き、祝詞(のりと)を捧げ、私たち家族の御祓いをします。
最後にお神酒と田作りを頂くと、新年の儀式は終了

しかし、私の仕事は、そこからが本番

新年のお参りに来る人々にお神酒を振る舞い、ご挨拶をするのです。
つまり、「巫女」(みこ)ですね。
これが、寒いの


ハンパじゃないんです

でも、その寒さにがんばって耐えていたのは、何を隠そう「バイト代」目当て

まっ、早い話が「お賽銭」です

「松の内」が過ぎると、弟と一緒に「賽銭箱」をひっくり返してお賽銭を数え、山分けするのです。
お米(農家の人は収穫した新米を賽銭箱に入れたりする



今年は一体いくらもらるのか…

ワクワク


田舎の小さな神社なので大した金額ではなかったけれど、それが私たち姉弟の何よりの「楽しみ」でした

父も、そうやって「労働」の喜びを幼い時から教えてくれたんだと思います。
「お年玉」、もらってト~ゼ~ン

…みたいな現代ッ子を見ていて、あの頃の自分が無性に愛しく思える新年なのでした

あっ、ちなみにわが家は、年末28、29日とも「大掃除」

「大掃除しない子には、お年玉ないから

その言葉で、2人とも机周りを整理・整頓したり、ゴミ捨てしたり、床のワックスがけしたりと、ちゃんとマジメに掃除していました。
でも、珍しく息子がしてくれたトイレ掃除

なぜかそのあと、温水便座が故障しちゃってるんですけど…
